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第258回フォンテーヌブロー宮殿

2018年07月22日

今回はフランス革命・ナポレオンにゆかりの深いフランスの世界遺産、フォンテーヌブロー宮殿についてご紹介します。
フォンテーヌブローの森は古くからフランス王室の狩猟場でした。16世紀にヴァロワ朝のフランソワ1世は、イタリア遠征中にルネサンス美術館に魅了され、ここにあった狩猟用の館を取り壊し、新しくルネサンス様式の宮殿を建築しました。美しい宮殿とフォンテーヌブローの自然は歴代の王に愛され、ルイ13世も馬蹄形の階段を備えた宮殿への入口を増やすなど、増改築が続けられました。
宮殿の外観は質素ですが、内装は非常に豪華です。イタリア出身の画家、イル・ロッソ・フィオレンティーノが手がけたフランソワ1世の回廊は、フレスコ画や化粧漆喰、絵画で飾られたマニエリスム様式の傑作で、宮殿内で最も鮮やかな場所とされています。アンリ2世の時代に、同じくイタリアの画家、フランチェコ・プリマティッチオが完成させた宮殿最大の部屋「舞踏の間」は、美しい格天井とギリシャ・ローマ神話をテーマにした絵画で飾られています。また、宮殿とともに世界遺産に登録されているフォンテーヌブロー庭園は、ヴェルサイユ宮殿の庭園も設計した、アンドレ・ル・ノートルの会心作とされています。
しかしフランス革命の勃発により、このフォンテーヌブロー宮殿の調度品は全て売り払われ、一時酷く荒れ果てます。それを修復したのが、ナポレオン・ボナパルトでした。フランス革命の混乱期に英雄となり、皇帝にまで登りつめたナポレオン1世もまた、緑に囲まれた美しいフォンテーヌブロー宮殿を愛した1人でした。「白馬の中庭」の西側にあった建物を取り壊して鍛鉄の格子門を設置したり、国王の寝室を謁見用の「玉座の間」にするなどの修改築を行いました。
しかし、そんなナポレオンが退位勧告を受けて帝位を剥奪され、流刑地であるエルバ島へと旅立ったのもこの宮殿からでした。ナポレオンは、「白馬の中庭」に面した馬蹄形の階段で腹心の部下達に別れを告げ、無念の旅立ちをしました。そのためこの中庭は、「別れの中庭」とも呼ばれています。
多くのフランス王家の人々に愛されたフォンテーヌブロー宮殿は、今でも沢山の人々が観光に訪れるなど、高い人気を誇っています。
加藤

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