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第413回 金の魚

2021年07月18日

皆さんは「金の魚」と言う話を知っていますか?「金の魚」はロシアの作家プーシキンが書いた作品です。

内容は、漁で生計を建てていた貧しい生活を送る夫婦がいました。漁師がある日、漁をしていると網に金の魚が掛かっていました。金の魚が命乞いをしたため漁師が哀れに思って海に戻しました。逃がした金の魚は「お礼にどんな願いでも叶えてあげましょう」と言ったので、漁師は金持ちにして欲しいとお願いをしました。金の魚はうなずいて「家に帰ってご覧なさい」と言うので漁師は不思議に思いつつ帰宅しました。するとみすぼらしいあばら家は立派な家になっていました。また、妻の身なりもいいものに変わっていました。驚いている妻に漁師は嬉しそうに事情を話しました。すると妻は夫に激怒し、金持ち程度ではなく大貴族にしてもらいなさいと漁師に言いました。仕方なく漁師は再び金の魚に願いに海に行き、大貴族にしてくれるように願いました。そして家に帰ると大豪邸が建ち、たくさんの召使いが出迎えました。帰ると妻は召使いに奉仕を受けていましたが、その顔はとても不機嫌そうで帰ってきた漁師に女王にならなければ満足できないと言いました。漁師は再び金の魚に女王にして欲しいと願いました。漁師が帰ると巨大な王国が出来ており、幸せそうに妻が女王として君臨していました。さすがに妻は今度こそ満足そうでしたが、次の日に漁師を呼びつけて神になりたいと言い出しました。漁師は拒否できず金の魚に再び願いました。漁師が帰るとそこには最初に住んでいた古い家があり、みすぼらしい衣服を着て疲れた顔をした妻が座っていたという話になります。

「金の魚」の結論を述べると「欲をかきすぎるとロクなことがない」と言うことになります。

何か夢や野望を持って、その実現のために行動すること自体には悪いところは何もありません。この話での駄目なところは、奥さんは他力本願でただひたすらに要求を繰り返したことです。

もちろん最初に願いが叶っているうちは幸せです。しかし与えられた幸せ、ただ奪っただけの幸せは長続きしません。その結果、「金の魚」のようにすぐに飽きて「もっと!もっと!」と要求を繰り返すようになります。しかしその先は地獄です。最初は頑張っていた相手も、どこかで離れていってしまいます。大切なのは「自分の力で」何かを得ていくことです。

「金の魚」での奥さんの場合は、そこまで成功したいなら空いた時間に自分で働いて稼げば良かったのです。「空いた時間などない」と言うなら、夫のサポートをしたり、尽くしたりすることで夫がより稼げるようにしてあげるのでも良かったのです。その上で相手が何かを得られるなら、最終的には自分にも返ってきます。もちろん男女逆でも成立することです。

このように、自分が努力、行動した結果ならそれが「王様」レベルの成功でなくても、充実感を持って受けられるはずです。それこそが最終的な幸せとして感じられていくはずです。

結論としては、人生において得られたものの価値を何より高めてくれるものは「自分が行った苦労」だけだと言うことです。

福田

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