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第84回 社会貢献と年齢と収入と責任との関係

2016年04月18日

学生が終わり晴れて社会人となる。それが同じところで勤めようが転職していようが、働いている以上社会貢献していることになる。
この社会貢献の度合い、つまり会社への貢献度、別の言い方をすればその組織の責任の度合いによって、我々は収入が決まってくる。
例えば新入社員1年生と2年生は明らかに仕事のレベルが違う。違いがあるから給料が違う。それは1年分社会の経験が多いという理由からくるが5年もすると経験値だけでなくその人の能力によって貢献度=責任の度合いも変わってくる。
能力の違いがあるから収入も違いが現れ、そして社会での序列も現れてくる。
中には「私は責任のある仕事したくない。しかし給料は人並み以上にほしい」という方がお見えになる。
そんな都合の良い会社があれば誰もが喜んでいくであろう。しかしそんな世界は資本主義の世界では絶対にない。
カール・マルクスは著書『資本論』の中で「生産手段が少数の資本家に集中し、一方で自分の労働力を売るしか生活手段がない多数の労働者が存在する生産様式」として「資本主義」と定義した。
若いうちは人生観があまりないのでお金=社会貢献=責任という図式にあまり興味を持たない。しかし所帯を持ち子供が生まれ年齢的に40代半ばにもなってくると、後から入ってきた後輩に抜かれる者もいる。それは先ほどの図式を意識せずに過ごしてきたからである。
40代になればその組織のある一端でも責任を任されていなければ、自分の居り場が不安定になるということは理解しておくべきである。
現代は60歳で定年、その後65歳までは嘱託、その後はアルバイトという形でまたまだ貢献しなければならない。
この社会貢献する時間は伸びたが生涯収入が伸びたのかといえばそうは甘くない。社会では50歳を境に下降曲線を描く。なぜなら能力upがすでに見込まれないからである。これが人生というものである。つまり50歳までにはある程度老後のめどをつけなければ50歳になってもバリバリ働かないと生活ができないという状況に陥ってしまう。
なぜ50歳が境となるのか?それは子供もそれぐらいになれば義務教育が終わる年齢になっているからである。それ以上の教育を受けるならば家計との相談となる。自分の社会的責任遂行能力はあるのか?当然子供も能力というものが要求され良い能力の持ち主ならば公立・国立に進学もするが、そこそこのものならば私立に行かざるを得ない。すればお金は多大に必要となりまたまた家計が苦しくなる。こんなこと就職する前にわかっていることである。だから就職したら頑張り抜き、競争に打ち勝ち、社会から責任を分担してもらい、収入をより稼がねばならないのである。これが人生観=人生設計である。
50歳になって職場移動になり、仕事の内容も楽になり、新入社員並みの仕事しか責任として与えられなくなれば、それが社会からの評価である。この時にでは時遅しである。

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