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第92回 PHP研修に「青春とは心の若さである」とあった

2016年06月10日

そこには詳しく「まだ年が若いのに、目に光なく、何とはなしに生きているような人がいる。他方、年老いてなお意気盛んで、はつらつと活動を続けている人もいる。青春とは心の若さである。信念と希望にあふれ勇気にみちて日に新たな活動をつづけるかぎり、青春は永遠にその人のものである」とある。

さてこれをもう一度年齢別で考え直してみよう。
10代は学生である。ほぼ知育か体育で明け暮れる。
20代は社会に飛び出し職場で作業を覚えながら、人生目標を作る。
30代は所帯を持ち子を産み育てる楽しさ、大変さを味わう。
40代は社会人として一人前となり、後輩を教える責任と、子供を中学・高校へと行かせながら自分の将来よりも子供の将来に力が入ってくる。
50代は社会人として覚えることがずいぶんなくなり、また一部に役職から外れ、後輩も与えられなくなり、社会的責任も薄くなってくる。また子供も最終学歴を終え社会人として旅たち、家庭での子育てという役割も薄くなった来る。
60代で定年を迎え、いよいよ社会から必要とされなくなり、また子供たちも独立し、自らの心と体の行き場が薄れてくる。
このときに「青春とは心の若さである」という言葉を思い起こし、はたして年老いてなお意気盛んで、はつらつと活動を続ける目標がその時にあるだろうか?このとき私は青春ですと答えられる人ほど人間として素晴らしい人はいないだろう。それは金銭的にまた健康的にも青春だといえるからである。お金がなければはつらつした生活は送れない。健康でなくては気力もわいてこない。だから60代の青春はほとんどの人が味わえないものだと思う。それだからこそ挑戦する意義があるのかもしれない。
庭いじり?庭のない人もいる。旅行?毎月出かけるお金などない。孫の世話。都合のいいときなどそんなにないし、世話というものはあんがい大変である。またそれはあくまで親代わりで青春といえる行動のものではない。絵描き・物書きはどうか?それも趣味としていいだろう。ということは趣味を青春としろということか?趣味が燃え上がる物足りうるのだろうか?「青春とは人様の役に立つ状態では」と私は考えるがいかがなものであろうか?と考えれば日々のつらいこと そうストレスや肉体的悲鳴もそれ自身が青春ではないだろうか?苦しみもがいている反面それは社会として何かしらまだ役に立っている、社会の一員でいられるという実感なのである。社会の一員という枠を取られたら、はつらつなどなくなる。あるのは空虚感・虚脱感・孤独感である。そして死への旅たちか?生きる目的が死へ向かって歩くことになっていく。
だから社会人でいられることを喜びだと考えよう。「今日会社で叱られた」「失敗した」「ストレスたまった」なんて小さいことはなんとか自分で解消してみよう。それこそが青春なのである。生きているあかしなのである。

 

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