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2016年09月11日
生涯スポーツの基盤には、やはり「スポーツ」の概念があるのですが、ある事典によると、スポーツの概念とは「日常語で非常に広い意味を持っているので、これを厳密に定義することはできない」と示されています。さらに、「この概念の理解は歴史のなかで変化してきているので、それをあらゆる時代に対応するように固定することはできない」ともあります。スポーツは時代によって変化してきたということですね。
大昔から人は衣食住を維持するための日常生活のなかで、自然に体を動かしてきました。労働や戦いの場(戦争)でも身体を意図的に駆使していました。こうした生き抜くために必要な身体活動のなかから、さらに祈り・感謝・占いなどの心情を表現する身体運動を展開していくようになりました。その運動が次第に「身体運動をしたいからする」という欲求に変わり、実用から離れた「遊び」となり、やがてオリンピックのように「競技」としてスポーツを競うことに変化していきました。
スポーツは最初は実用から離れた「遊び」としてルールに基づいて活動していくことが確立されました。競技の形態をとり始めたのは19世紀以降ですが、競技にともなう勝利や賞賛は、スポーツに取り組ませることに一層の意欲をかき立てましたが、同時にそれ自体に楽しみを見い出すことをしばしば忘れさせました。これは、「スポーツ自体を楽しむ」という目的に矛盾していると言えます。
しかし、現在のスポーツといえば勝敗を競い合うことに関しては昔と違わないのですが、そこに「楽しむ」ということが増えてきたように思います。オリンピックの選手のインタビューを聞いていても「自分が楽しむことが一番」、「楽しむことができたから満足」という言葉がよく出てきます。そこには「勝ちたい」という気持ちや、「悔しい」という気持ちも入り混じっていると思われます。勝負事には常にそのような気持ちが生まれるものです。しかし、オリンピックの選手ではなくても学校の授業や、社会人で取り組むスポーツにも「競争」というものは存在します。スポーツを楽しむということは、「競争」という状況自体も楽しんで取り組むということではないかと思います。だから選手たちには「楽しむ」という言葉が多いのかもしれません。
社会人になってスポーツを楽しむのは難しいことかもしれません。特に時間がありません。個人でやるスポーツは、自分の好きな時間にできますが、チームプレイのスポーツは一人ではできません。チームメイトが揃わないと成立しないものです。しかし個人でやるスポーツでも、競い合える選手がいるかどうかでその活動意義は変わってくると思います。
このように、スポーツとは相手がいることによって成立することもあります。生涯スポーツはこのようなスポーツに取り組む人を支援し、また気軽にスポーツを始められる場を提供する必要があるのです。
岡田