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第125回 井の中の蛙

2016年09月26日

見聞の狭いことや、それにとらわれて、さらに広い世界のあることを知らないことのたとえ。井戸の中のカエルが、東海に住むカメに、自分の住居の楽しさは無上であると自慢したところ、カメが海の話をし、海では千里も遠いうちに入らず、千仞(じん)の高さも海底の深さに達せず、時の長短や量の多少でいっさい計れないのが東海の大楽であると言うと、カエルは驚きあきれて、返すことばも無かったという話。

学生は学生の世界があり、男性は男性の世界観が、また女性も女性の世界観がある。さらに言うと年齢別、収入別の世界観・人生観がある。

その壁を乗り越えていくことこそ自らへのイノベーションになるのであるが、なかなかむつかしい。と言うか、視線が狭すぎて中々脱皮できない。「井の中の蛙」である。

努力すれば400万の収入は得れる。そこに運が加われば500万になる。しかし努力と運だけでは600万になれない。その前に勝負がついている。父親の代か?それとも素質か?母親は出ないのかと思われるが特に稼ぎ頭の男性の性質はなぜか父親から引き継がれる。親父をみれば自分が解る。だから親父の収入以上越えられることはなかなかない。

井の中の蛙から抜け出るには世間にもまれるしかない。それは遊びでもよい。明日の世界と言うものはほぼ年収で決まる。600万稼ぐ人と400万の稼ぎの人と同じ遊び、同じ生活様式ではない。人間はまず年収から生活様式が決まる。そここから脱出できないものである。もっと言えば、生活があるから仕事があるとなる。

しかし年収800万以上もらっている家庭は仕事があるから家庭がある、家庭の発展は家族総出の努力であると理解している。だから親父が500万稼ぐなら、お袋が300万稼ぐ努力、いや分担をする。そこには家庭が犠牲になる。いや家族全員の時間が犠牲になる。しかし家族全員が800万の収入の生活様式を味わい、それが土台となりそれ以上になりたいと考えるようになる。そして努力し、時に喧嘩になり、生きる道を考えるのだが、今さら700万の収入に減らしてもっと楽な生活、つまり仕事に時間を左右されない楽な生活をしようとまでは考えられないもう生活様式は戻れないのである。これが人間というものである。

生活は年収と隣り合わせであり、収入は仕事ととなり合わせで、仕事は努力の結果であり、努力とは考え方と素質の現れである。

なら簡単だよ。男性が300万の収入だとしたら500万稼ぐ女性と結婚すればいいだけじゃないか。そんな算数通りに人生いくわけない。

500万稼ぐ女性なら1200万稼ぐ男性しか満足しないだろうな。それが井の中の蛙と言うものである。というか、お姫様と使用人が同じ生活で満足できますか。お姫様は王様を求めるのである。

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