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2016年11月26日
「切磋琢磨」という熟語は「切するが如く磋するが如く、琢するが如く磨するが如し」という言葉を縮めてできたものです。これは孔子の弟子の子貢が言った言葉です。孔子と子貢が話していたとき、子貢が詩経にうたわれているこの言葉を引用したところ、孔子が「それでこそおまえと一緒に詩の話ができるね」と喜んだという話が論語におさめられています。「切するが如く磋するが如く、琢するが如く磨するが如し」の訳は諸説ありますが、金谷治さんの『論語』(岩波文庫)の解説によると、「切」は骨、「磋」は象牙、「琢」は玉、「磨」は石を磨くことであり、つまり象牙や玉、石など磨き方にはいろいろありますが、そうやって磨いていくとピカピカに美しくなっていくという意味です。ここからイメージされるのは、最初はあまりきれいでないものをあちこち削り取ったり磨いたりしているうちにピカピカになる、その変化に目を見張るものがあるということです。そうして自分の道に励んで修養を積むことを「切磋琢磨」というようになりました。たとえ辛く苦しくとも自分を磨いていけば必ず伸びていけるのです。
現在では、仲間と競い合うことによってさらに自分を向上させていくという意味が広く知られていますが、本来はひたすらに自分を見つめ、学問、精神、人格を磨き、今の自分よりもさらに自分を向上させていくことです。とはいえ、たった一人で磨き続けるのは強い精神力を必要とするので難しいものです。そこで友人や同僚などと互いに励まし合い共に向上していくことが大切になるのです。
しかし今の自分はどのくらい成長したかということが自分自身ではわかりにくく、客観的に成長度合いが見えるものではないので、自分を磨くということは気持ちが萎えて怠惰に流されやすいものです。したがって、これ以上は頑張らなくても良いなどと、現状に満足してしまうかもしれません。だからこそ、自分自身を叱咤激励してくれるこの教えには価値があると思います。
近藤