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第208回 不満は欲求の一つか

2017年10月31日

不満というのは現状に満足していないということである。ということはもっといい方法があると本人が分かっているということであろう。だから満足できないのである。これが当たり前だと思えば不満にならない。   キリスト教の教義は「人間は生まれながらに罪を背負って生きてきた」である。何もしていないのにすでに罪があるのである。そのままでいたら必ず地獄に落ちるだからそうならないために「一生懸命働けである。   働いてお金稼いでそのお金を教会に収めなさい」と来る。不満を言えば地獄に落ちるのである。兎にも角にも解決策は働くことのみにある。それで救われるのかと言えば死んでしまえばわからないのである。   不満の解決方法は他人を変えるかそれとも自分を変えるのかどちらかしかない。両方変わるのが良いがなかなかあり得ない。他人が変わればまた新たな不満が起きる。視点が変わった、又は対象人物が変わっただけである。しかし自分が変われば不満はむしろ発奮材料になり、それが自らの能力向上につながるのである。他人を変える、つまり他人に甘えるのか?それとも自分に厳しくなるのか?その解決策でその人間の大きさが分かるものである。

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