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第270回万里の長城

2018年10月21日

万里の長城は、北方民族の侵入を防ぐために、春秋時代から建造が始まり、続く戦国時代には、隣国に対する防御癖としてそれぞれの国が個々に築いたものが始まりで、当時の城壁は、騎馬が超えられない高さに土を盛って固めた簡素なものでした。これらの城壁をつなげたのは、前221年に中国を統一した秦の始皇帝です。始皇帝は、北方の騎馬民族・匈奴の侵入を防ぐため、約30万の軍兵と数百万の農民を動員して大がかりな改修工事を行いました。この工事のあまりの過酷さに、命を落とした人も少なくないそうです。
現存する長城のほとんどが築かれたのは、明(1368~1644年)の時代であり、明代では、高温で焼いたレンガや石灰が大量に使用され、長城はより堅固なものになりました。
現在、多くの観光客が訪れる北京郊外の八達嶺長城は、明代に修築されたものになります。一方、北方民族の女真族の王朝である清(1616~1912年)の時代、長城は整備されずに放置され、その大部分は荒廃してしまいました。しかし、中華人民共和国が成立すると、文化財として保護活動が行われるようになり、今では綺麗な状態で保存されています。
東端の渤海湾に臨む山海関から西端の嘉峪関までは約3000kmですが、明代には二重になっている所や分岐している所をあわせて延べ6350kmにおよび、それ以前につくられた長城の遺構も併せると、総延長距離は約8800kmに達するとされています。なお、「万里の長城」の名称は、司馬遷の『史記』にその長さが万余里と記されたことに由来しているそうです。
加藤

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