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第306回「知性」という個性

2019年05月25日

ややこしい話だが、個性はなくても「知性」があり、それがどっぷりと深みある個性に帰結している。

人間、「もって生まれた個性」では到底一生分はまかなえない。長くともそれは20代で枯渇し、30代からは「知性」が入れ替えで評価の対象となる。

年代別に見てみよう

わかりやすく、年代別に見てみよう。

10たまたまリーダーシップがあるなど、生まれつきが「個性」とされる

20元気や勢い、時に生意気なことも「個性」とされる

30代以降積み上げてきた「知性」が個性と評価される

つまり、20代までは元気の良さや勢いだけでギリギリ生きていける。なんとか「もって生まれた個性」で主役も張れる。見せかけだけの「会社代表」にもなれるだろう。そして起業で失敗しようが、ヘマをしようが、仕事内容が多少荒いくらいでは、誰にも文句は言われない。なぜなら「若いから」「まだまだ荒削りだが」「でも仕事は早いから」と、世間では許容範囲で受け入れられるからだ。しかし、その周囲の対応にあぐらをかいていると、30代以降は「沈黙の恐怖」が待っていることを知っておかなければならない。

30歳を過ぎてなお、20代までの「勢い」だけで仕事をこなそうとすると、周囲の反応はこのように変わってくる。

「レベルが低すぎる」

失敗しても笑って許された20代とは一気に状況が変わり、ミクロ単位のミスさえ命取り。静かに、そして笑顔で、少しづつ距離を置かれ始める。当人が気づきようのない絶妙な距離感で、疎外されていく。そう、30歳を超えたその日から、いきなり本格派のクオリティを、突然、求められるのだ。その審判の日を余裕を持って迎えられるだけのストック、つまり「積み上げてきた経験」があるか。何の前触れもなく世間から「無言で問われ始める」ことを、知っておこう。

「才能」というまやかし

そしてもうひとつ気をつけなければならないこと、それは「才能」という言葉だ。これは実社会では「幻想」であると、早い段階で認識すべきだろう。はっきり言おう。たとえ才能があったとしても、決して生き残れない。信頼できるのは積み上げてきた「知性」だけだ。戦場の社会では、まさか実際に馬に乗り、剣を振り上げ、お互いに血を流しあうわけではない。目には見えない「知性」の攻防戦を制した者が、マーケットを制するのである。例えプロセスで負けていたとしても、最後に勝てば、勝利を収めたことになる。

しかし「知性」とはもちろん、一朝一夕に獲得できるものではない。これは「20代のうちに3つの積み上げ」をしてきた者にだけ、舞い降りてくるギフトなのだ。ではその「3つの積み上げ」とはなんだろう?

20代ですべき「3つの積み上げ」

1. 「行動」の積み上げ

「いかに実行してきたか」「いかに失敗してきたか」「いかに地獄を見てきたか」

2. 「知識」の積み上げ

「いかに本を読んできたか(※ネットサーフィンの量ではなく書籍)」「いかに人に会ってきたか」「いかに討論してきたか」

3. 「態度」の積み上げ

「いかに素直だったか」「いかに嘘がなかったか」「いかに正しかったか」

この三方向での「積み上げ」をしてきた者だけが、人間の幅、すなわち「知性」の基盤を形成できる。どれかひとつが突出していても、圧倒的に足りない。この3つをがむしゃらに同時進行してこそ、ようやく30代から始まる超本格的な闘争のなかで、有無を言わせぬ「個性」を醸し出すことができるのだ。20代でいきなり大金持ちを目指すんじゃない。できない自分を認め、苦しい一歩を踏み出そう。へこたれそうになっても、折れそうになっても、死にたくなっても、絶対に「適当に生きて」はいけない。その感覚、そのくやしい思いはやがて太い幹へと成長し、年輪を重ねてくれるからだ。

本田

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