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第95回 昭和と平成の技術力違い

2016年07月03日

ひと昔までは製造業と言えば職人というのが当てはまった。しかし今では製造業で働くなり手も減少し、多くの会社は派遣社員の活用や機械化設備で生産する習わしになっている。
我々藤榮もここ十年でずいぶん機械化されてきたが、やはりお客様の特注品は機械化できないところにある。機械化できないというものは製品の寸法出しと、その寸法を細かく正確に加工するという技術力だ。これは職人技とは昔は言わなかったが、今では職人の部類に入ってしまうぐらい細かい仕事ができる層が少なくなりつつある。事務にしても昔そろばんをはじいていた時代から電卓に代わり今ではパッケージソフトが難なく働いてくれる。そこでの人間の仕事はデーター入力と紙処理だけである。工場もほとんどの物は機械が加工してくれる。のこの切れ味、穴の深さ、いや機械の具合、加工の具合を音で判断するというレベルの者は皆無になってしまった。
ではそれだけの者になるまで育てればいいじゃないかということになるが、これがまたむつかしい問題で、そもそもその技術を身に付けたいというものが現れてこない。また仮に社員が入ってきても、元々学校でのこ・カンナ・ノミと言った道具の扱い方を習ってきていないことや、製造には算数がついて回るという認識や、出来上がった商品に対する思い入れ、センスなどを磨くという意識がなかなかない。そして職人を育て上げるのには最低でも10年はかかってしまうという時間的問題もある。今時10年も同じ会社に居続ける者も珍しいし、また己の生活努力を先を夢見て生きるというものも少なくなっている。それだけ世の中、時間というものの観念が薄くなりつつあり、また、将来設計という考え方も薄れつつある。
その今の時代に製造業が生き残っていくには、根気を詰めて職人を育て上げるという考え方はもはや昭和の時代のものと言わざるを得ないのかもしれない。平成の者には「とにかく苦労せず、楽に、人並みで良いから生活できれば先のことまでは考えない方式」で行かなければ立ち行かなくなってしまったようだ。
この平成の時代に合わせる生産はやはり事務と同じようにパッケージ活用でなければなせないようだ。つまり加工されたパーツを仕入れ、それを組み立てることに専念する、という考え方だ。そうすれば今苦労して作業している加工という作業がずいぶんなくなる。作業がなくなれば教育もなくなり、人を採用するというわずらいも少なくなってくる。少なくなって仕事自体の範囲も狭くなっていく。利点である。しかし逆の欠点はその苦労が製造する利益の素なのである。苦労するから儲けさせてもらえる。楽すれば儲ける元が会社からなくなってしまう。いやそこには儲けるのは経営者と一部のリーダー層だけで、それ以外の者はただ単純作業を来る日も来る日も行って日々を生活するということになっていくであろう。というかそれが今の日本の実情であり、世界の常識なのであろう。と思うと昭和30年代生まれの者に通用してきた職人気質も、昭和40年代以降の生まれの者に要求する方が考え方、生き方を改めなければならないのであろうと、いまさらながらに身に染みてきた今である。
時は流れる。21世紀にあった生産方式に切り替える時なのかもしれない。そこに昭和の時代に有った「同じ釜の飯」「運命共同体」という感覚はなくなり、ただ殺伐とした人間関係いやそれすらも薄れ、時間になったから出勤、そして時間が来たから帰るという生活をすることを良しとし、達成感・失敗したことに対しての悔しさ、家に帰ってからの反省というものはものは、もはや要求することをしないようにする時代がやってきているのかもしれない。
いずれにしても平成の時代は昭和の者ではもはやコントロールできないところまで進化している。つまり昭和の者はもう平成の時代についていけなくなってしまったのであろう。
時代は戦後生まれの初代から昭和生まれの2代目を通り越し、もはや平成生まれの3代目の時代に突入しているのである。

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