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第156回 学校の教育は手とり足とりが良いか自主性を持たせていくのが良いのか

2017年03月25日

この間子供の大学生協説明会に参加してきた。生協に入ると○○になります。生協でPCを購入すると○○となります。今後は英語の勉強してください。就職するためにはこんな質問が来ますから先輩にその対策を聞いてください。
とにかく手とり足とり色々教えてくれる。学生にとってはありがたいと感じる者もいるであろう。
しかし社会に出たら手とり足とりなどありえない。同じ会社の仲間であろうと結局人生においてのライバルなのだからである。先輩の仕事を奪い取ってはじめて自分の給料は上がり地位が確立していく。だから先輩も本気出して後輩の面倒など見ない。それをこの会社は何も説明しない、困っていてもフォローしてくれないなどと考えていたら甘ちゃんである。
本当の社会の醜さいや厳しさを知るためには、大学時代こそ社会人になるための心構えを教えるべきである。もちろん学問も大切であるが、学問で生活できるものなどごく一握りである。ひとにぎりに入れないのなら、社会勉強としてのおどろおどろしたことを体験学習すべきである。学生時代ならばまだまだ人生の修正が聞く。
学生の良くあるのは「○○になりたい。○○の職に就きたい」というものだが、今の社会人で本当に希望通りの人生を歩いているものがどれだけいるのであろうか。いや希望というものが学生時代にわかるのであろうか。仕事かあって生活がある。生活のために仕事をする。仕事は自分の道楽でもなければ、夢希望の実現目標にはなりえない。人生の目標の手段であり、仕事を目標にするのではなく、本来は人生の目標を先に決めるべきなのである。その目標が決まったら、次はそのためのプログラムを作成すべきである。そして1年ごとに目標に近づきべきなのである。仕事はそのための手段であり、決して目的ではない。
定年間近になって「仕事が人生だった」と言い切る者もあるだろうが、仕事あくまでも人生実現のための手段・方法である。
学校時代はなかなかこの理屈がわからない。だからどの職を選ぶか、いや就職するためには面談方法をよく学んでおけとか、英語が良くできるようになっておけという理屈になっていく。だが英語を使う職業がそんなにあるのであろうか。狭き門であり、その仕事は日本人でなく外人がなる確率が高い。面接の方法を勉強するより、人生設計を学ぶべきだと私は考える。
しかし人生論に答えなどない。あるのは己を信じることだけである。「英語が誰よりもできて海外旅行行って困らなかった。だから英語の勉強していてよかった」それでご飯食べれるの?リストラされないで済むの?勤め先がつぶれないという保証があるの?販売先から不渡りもらわないということができるの?そっちの勉強、世渡りの方がよっぼど私のような頭の悪い、体で勝負している者は大切に感じる。

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