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2016年01月31日
1月から「組織に取り組む」というコンセプトでスタートした。今までは「一子相伝」という内容で取り組んでいたわけだが、これではなかなか若い人が育たないというか育てる方法としては間違いないと思うのだが育つ前に育てる方の能力が劣ってしまい、育てきれないという欠点があるので方針転換したわけである。
では「組織運営とは」なにか?それは今まで強烈なリーダーが独断で判断・行動していたことを、リーダーと言える立場の人を作り出して、その人を中心に物事を運営していこうということである。
そこには様々な欠点が現れる。しかし急がば回れの類のごとくわざと失敗を経験させながら前進させていくしか今の若い人は育たないといえます。 「欲望・目標・競争心・くやしさ」=ハングリー精神というかハイエナ的生き方がない若い人に会社の一部でもいいから運営してみろという方が間違っているといえるのかもしれませんが、かと言ってそれなりになるまでじっと待っていたのではその間に会社自体の存在がなくなってしまうかもわかりません。 だから思い切って挑戦していくのです。挑戦させるのではなく自分が挑戦するのです。
本来組織運営は40代がやるべきです。しかしもともと会社運営が売上と利益を中心に運営しそれで良しとしてきた中で、一子相伝的伝統運営であったので40代が育っていない。また採用も怠っていたので人がいないという状態です。 ですから一番層の厚い20代でその代用を行ってもらわなければならないという苦渋の選択でスタートしたわけです。
人生40代でピークを迎える。それまでにまず20代で作業を一通りマスターする。そして30代で部下を少し与えられ教える経験を積みながら実績を積んでいく。 これが組織運営であり人材育成である。
だがもともと人材育成ほど時間とお金がかかるものはないと思われます。またいくら育てようと思っていても原石が悪けれそれも空回りということになります。ですから零細企業運営は一子相伝が一番の安全策と言えるのです。
本来20代は様々な経験を体験しながら人生の厚みを身に着けていく。これが生き方なのであるがそれすらもできなくなってきている現代では結論的に勝負は入社5年と位置づけ、28.29歳ではその勝負で抜きんでたもののみ明日の会社運営の骨格を担い30代前半で家庭を持って次の人生設計にステップアップするという流れで行くしかない。
「組織」と言うとかっこがいいが「ワーカーとスタッフ」いや「一般労働とリーダー」いやもっとはっきり書くと「使われるもの=今のことしか考えていない人と使うもの=経営者に未来を夢見せられそれを現実のものにする実行部隊でその為に部下を働かせる者」と言えばいいか、これがそもそもである。
つまり人間は生きながらすでに平等ではなく、すでに決められた運命の中でもがき苦しみながら生きているという考え方もある。
それを否定するなら「やるべき仲間」に入るべきであるでしょう。つまりリーダーを目指す。そして人一倍勉強し、人一倍労働し、見返りに対価をもらう。収入と立ち位置、優越感というものであろうか。
資本主義のルールは労働を苦と思わない者のみがリーダーになりえ、そして高収入を得る。ルール通りに生きれば誰でも優秀になる。
2016年01月17日
先日、忘年会で京都旅行に連れて行っていただいた時に、初めて大原の三千院に行きました。紅葉の時期は終わっておりましたが、おかげで苔の美しさが際立ち、苔がこんなに美しいものかと知ることができました。写真では伝わらないのが残念です。
一流というのは高級品、高級ブランドや高級車のようなイメージもありますが、お金では買えない歴史が作る文化財や庭園を眺めることも一流を経験することの一つです。
一流の仕事とは、自分の仕事に誇りを持ち、自分の道を磨き続けるその道のプロのことです。手入れの行き届いたきれいな苔の庭園を見て、さすが一流の仕事をされていると感じました。
仕事に真摯に向き合い、その仕事に人生をかけて黙々と日々努力を怠らないで精進するのが一流の生き方です。一流の人は自分のことを一流だと言う人はいません。他人が認めて初めて一流の人間となります。労力を苦と思わず、自分の仕事に妥協しないで常に上を見ています。もちろん簡単なことではありませんが、誰でもなれる可能性はあります。仕事でも家事でも子育てでも、その仕事に誇りを持ち、日々努力や工夫を重ねることで、その道のプロになり得るのです。まずは今任されている仕事のうち、一つのことからその道のプロを目指してみましょう。きっとかっこいい男性、かっこいい女性になれるはずです。
櫃田
2016年01月15日
最も優秀なのが自分で段取りできる人。これはやるべきことを知っている人と言うべきでしょうか。組織人の最低条件ですね。
やる人とは言われたらやれる人。親のしつけが厳しければこの程度の能力はある。
できない人とは言われてもやらない人。ほとんどがこういうレベルです。
解らない人とは言ったことが理解できないレベルの人。
蚊帳の外の人とはお誘いすらない人。
これが現実です。組織運営とはどのレベルで仕事をするかですよ。
蚊帳の外を集めて「さあ張り切っていきましょう!」ってやるのか、
最低限やれる人に仕事を割り振るのか?
もしその会社がレベルが高いと自負するならば社長として最低限のレベルである「やる人」のみにしっかり教育するべきである。
教育は何度も言うが仕事の中で最も労力の必要な作業である。同じ労力を使うならばできるだけ楽して良い結果を出したい。
であるならば「やる人」を「自分で段取りできる人」に育てるべきである。
「自分で段取りできる」とはすでに起こるべき世界を先読みし、事前に社長と打ち合わせを済ませ、先行して取り組むということである。
すでに起きるべき世界を先読みするために、ニュースなど必要なことに気を付けまた今後どういった世界に流れていくのかを読み取っていく必要がある。
解らなければわかる人にまずは聞くべきである。一人でじっと考えていても先に進まない。またそれでは孤立してしまうのである。
「自分で段取りできる人」は人懐っこい、そして前向き思考である。また失敗をバネにして前進することができる。
さらに時間の活用の仕方がうまい。無駄がない。余計なことはしない。必要ない物はどんどん捨てていく。
たとえばテレビはあまり見ない、新聞も必要な記事のみ目を通し、メールなども必要な物以外はどんどん消去する。
反省もするがそれもあまり深く考えずに前進できることを主に考える。
とにかく考えている人であろう。そしてその生活が楽しい人であろう。欲を言えば算数的であるならばより成功者となりうる。
2016年01月11日
前回61回で書いたように、金持ちは高いお金をかけて有名私立学校へどんどん子供を入学させ、そこの私立学校の卒業生が有名大学の席を独占し、その高学歴で高度な職に就いて高給を稼ぎます。
一方、貧乏人はお金をかけることができず、質の悪い公立学校へ行くしかなく、有名私立学校によって席を独占された大学へ行くことができずに、低学歴のまま職に就かざるを得なくなり、低賃金に苦しむことになります。
その結果が親の格差の継承。教育の格差が学歴の格差を生み、学歴の格差が賃金の格差を生んで、格差が世襲される負のスパイラルができてしまっているのです。これをストーリーで説明したものがありますので引用します。なお、この文章には2ch用語使用により少々わかりにくい点がありますが、雰囲気で充分判断できると思います。
親が低学歴の低所得者。
↓
子供に勉強することの重要性を教えられず、生活に余裕がないため教育費もかけられない。
とりあえずゲーム機など物を買い与えたり、外食で美味いものを食わせたりすることが子育てであるように錯覚する。
↓
子供は将来のために何をすべきかもわからず、DQN化?。
DQNは非DQNと会話が噛み合わないため、DQN同士で群れる。
↓
DQNであることを正当化してしまい、拍車がかかる。この時に同じDQNの恋人と知り合う。
↓
子、低学歴のまま学生生活を終える。
↓
当然の如く工場、倉庫、中小同族、接客業、非正規雇用職などにブラック就職。
↓
子、低所得者になる。
↓
高所得の大企業に正社員就職しようとするもスペック不足で書類落ち。
↓
憂さ晴らしにDQN恋人との性交渉により妊娠。責任を取って結婚する。
↓
低学歴の低所得者のまま家庭を持ってしまった子供は転職を諦め親になる。
↓
子供に勉強することの重要性を教えられず、生活に余裕がないため教育費もかけられない。
とりあえずゲーム機など物を買い与えたり外食で美味いものを食わせたりすることが子育てであるように錯覚する。
↓
(以下、ループ)
このように親の経済力によって子供の未来も、絶対とは言わないまでもある程度は影響してしまうことは事実です。
しかしこういう話題をすると 「俺が貧乏なのは金持ちが悪い!」、「俺がダメなのは親のせいだ!」 と言う方がいます。だからといってそれに対して文句を言ったり他人に責任を押し付けても何も変わりません。他人にとっては 「は?だから何?」 で終わります。不遇な環境におかれたら、その分自分で努力するしかありません。
それが事実であり、現実です。
スタートは平等ではありません。現実は不公平であり、不平等です。文句を言ってもそれは変わりません。「○○が悪い!」「○○のせいだ!」と口を動かす前に、手を動かしましょう。足を動かしましょう。それができないからなら何も変わりません。不遇な環境が嫌なら脱しようと努力し、努力するのが嫌なら不遇を受け入れましょう。
どちらか1つしかありません。この選択が自分のみならず、子にも影響することは言うまでもありません。
はじめの一歩の鴨川会長や中世の音楽家ベートーヴェンも言っています。
「努力した者が全て報われるとは限らん。しかし、成功した者は皆すべからく努力しておる!!」
山本
2016年01月10日
PHPビデオアーカイブプラスという社員研修を2016年1月より始めました。
始めた理由は毎年新人が入社してくるので、そろそろ「教育の仕組みづくり」を行おうということからです。
研修というとOJT やOFFJT また通信教育や読書感想などなどいろいろ取り組むべきことはありますが、
まずは共通の教材で尚且つ基本的なことから取り組みたいと思ったこと、また値段がとても安いこと、
さらにはPCが10台までは活用してよいことや会員として値打ちに学習CDも購入できるというメリットもありましたからこちらに決めました。
とにかく藤榮の教育の欠点はテーマが定まっていなかったということです。
ある時は○○の本、あたある時はポットキャストまたある時は日本能率協会マネージメントセンターという具合にその都度飛びついてきましたが、
PHPは共通のテーマをわかりやすい学習内容で、しかもDVDを活用できるということが一番良いと思います。
これを活用して「第40期」のテーマである「若返りを図る」を推進していきたいと思います。
仕事の中で最も労力とお金と時間がかかるのはなんと言っても「教育」でしょう。
その教育によって会社の成長が大きく左右されるということはご存知だと思います。
ただ言えることは教える側が思っていることと感情をどれだけ相手に伝えることができるか?ということになります。
ここまで言うと関係がまずくなるなと思えばセーブする。セーブすれば中途半端な教育となる。
その教育は結局は弱い会社を作り出す。
しかし言いすぎるほど度が越してしまうと今度は退職につながることになる。
ですからここで大切になってくることは、教育にはコミュニケーションがセットで付いてくるということでしょう。
その為にはお互いが溶け込める環境づくりを取り組む必要があります。
詰め込み教育でもない、はたまたゆとり教育でもない「実教育」を実現することが「若返りの基本」ということでしょう。
そういった意味でもこのことに気付くことができたことだけでも大きな成果ではないかと感じております。
2016年01月03日
先日、小雨の日にある社員が「このくらいの雨ならいいか」とステンレスシンクにシートをかけなかったことで、社長がその社員と先輩社員を怒鳴り叱ったことについて、それが是か非か皆で考える機会がありました。
裁判員裁判形式でお互いの弁護人役が意見を述べ、裁判長役と裁判員役による評議の結果、判決が出されました。
今回は本人よる説明や証人喚問等はありません。
①社長側の弁護人役の意見
ステンレス製品をトラックで運ぶ際に、雨の日は必ずシートをかけないといけないということは以前より決められていたこと。
ステンレスシンクが雨で濡れるとサビが発生する場合があり、クレームの原因になるので、小雨であってもシートはかけないといけない。
②社員、先輩社員側の弁護人役の意見
雨の日はステンレスシンクにシートをかけないといけないということはわかっていたが、このくらいの雨ならいいかと思ってしまい、かけなかった。
これからは周りの人もそのような場面を見た場合は、指摘したり、注意したりするべきだと思う。そして上司や先輩から指摘されたときに、もし自分の考えと違ったとしても、なぜ上司や先輩がそのように言われているのかを考えて、自分の行動がそれに伴っているかどうかも考えてもらいたい。それでも自分の考えの方が強いのではないかという時には、上司や先輩に相談や提案をしたり、話をしてみて、最終的な結論を出していかないと、また同じ間違いが起こると思う。
本人も雨の日はシートをかけないといけないということがわかっているので、今後はこのようなことがないようにしていきたい。
しばらく時間をとって、裁判長役と3人の裁判員役による評議が行われました。
③裁判長による判決
先輩の指導に対して、なぜ雨の日はシートをかけないといけないのか、意味がしっかり理解できていなかった為、状況判断を誤った。
周りの先輩も伝えてあるということだけでなく、後々の様子もチェックしたり、声をかけるべきである。
社長が怒鳴った件については、日頃より言っていることで、子供ではないので、しょっちゅう社長が言うべきことではないという思いがあったのだと思う。
このぐらいの雨ならいいだろうという判断をしてしまったが、雨で濡れたことが原因で錆びてしまった商品を受け取ったお客様がどう思うだろうかということをまず考えれば、必ずシートをかけようとしたのではないか。
自分で判断をするときに、その先にあるお客様のことを考えたならば、きっと正しい判断ができると思う。
今回みなさん反省しているので、これからは気を付けていただきたい。
という判決で今回の裁判員裁判は終わりました。
時間がないから、余裕がないからとつい手間を省いてしまったり、これくらいならいいだろうと目をつぶってしまうことがあるかもしれませんが、それはその場のことしか考えていないからです。
今やっている仕事は何のために誰のためにやっているのかを考えれば、答えは明らかです。
初めて裁判員裁判形式の裁判を会社でやりましたが、第三者からの目線で考える良い機会になりました。
会社内でそれぞれの立場によるいろんな意見があるかと思います。違う意見がぶつかったときには、それぞれの主張を聞いて正しい結論を出して、方針を定めてまとまりのある会社にしていければ、社員同士も仕事もしやすくなり、お客様の為にもよりよい会社となっていくのではないでしょうか。
櫃田
2016年01月02日
「能力」という言葉を違う表現で表すと、物事を成し遂げることができる力となるが、これには忍耐力、想像力、工夫力、体力、持続力、瞬発力、学力、活動力、粘力、胆力、集中力、迫力、戦力、注意力、思考力、説得力、即戦力、推進力、競争力、構想力、洞察力、精神力、説得力、判断力、発言力、包容力、影響力、基礎力、知力、表現力、決断力、行動力などが必要となる。
これらの「力」はほとんど子供のころに見につく。育った環境が大きい。とくに学力となると時の学校での授業内容と時間によってしまう。
インターネットで調べると下の票のようになっている。一番詰め込んで教育された連中が今の社会(会社)での中枢を担っている。
それから一世代下がると今の40代になるのだが、彼らが今後日本を背負って立たねばならない。勿論今の50代が最高と言っているわけではないが、この年齢は高度成長時代とバブル崩壊と長きデフレとリーマンショックとまた阪神淡路大震災や東北大震災なども経験してきている。さらにこの年齢の親は戦争体験層でもあるから、何もないまずしい日本の姿もうっすらと聞いている。
これらの環境の中 生き抜きそして現代を背負っている人々とそれらの経験値が薄い年齢層にバトンが移っていくのではどうしても不安を感じてしまう。
いやどっちにしろライバルも同じ年齢層ですよと言われればそれまでだが、そういう意味ではなく、先輩の知識・知恵を如何に次世代にうまくバトンが渡せるかつまり何とか同じレベルが維持できるか、先輩のマネができるかということが言いたいのである。
同じ能力でも先輩の能力を見につけた者が勝ちである。やはり今の50代の連中の能力と40代のの連中の能力では少し開きがあると思う。
一番の違いは働いてきた労働の時間とその中身だ。50代の連中は社会に出た時年間2100時間労働だった。それがバブルがはじけたころから緩やかに減り始め、いまでは年間1800時間に届かない。つまり1ヶ月25時間1日1時間は少ない。
この学力の違いと労働体験時間の違いは決して追いつかないであろう。もしバリバリの先輩に追いつこうと思うのであるならば、会社にいる間はすべてその先輩と一緒にいてすべてを盗み取らねばならない。
それでも追いつかないであろう。なぜなら50代の能力はすでに落ち込んでいるので本当の全勢力が出せていないからである。もっと早くそう20年ほど前にその人間の能力を超えようと努力していたならば可能であったが、落ち込んでいる能力では先生にもならなくなってしまう。
さあそんな40代の者を先生としてこれから社会人になり、稼いでいかねばならない20代の若者ょ。あなたは何をどう考えるか?どうしたら最高の世界を自分の物にすることができるのか?
小中学校の授業時間の推移[8][9] | ||||||
? | 1961年- | 1971年- | 1980年- | 1992年- | 2002年- | |
小学校 (単位時間45分) | 5821 | 6135 | 5785 | 5785 | 5367 | |
中学校 (単位時間50分) | 3360 | 3535 | 3150 | 3150 | 2940 |