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2017年04月21日
「こんなはずじゃなかった」を解消するべく、就業体験という形でインターンシップを積極的に行う企業もある。だが、それでも「3年で3割」問題は、一向に解消する気配はない。なぜなのか。?この問題の一番大きな原因は、新卒採用のプロセスで「企業が学生に見せている姿」と「本来の姿」とのギャップにあるのではないか。まず大きな原因に、企業説明会と採用サイトがある。各社の人事は、旬の事業や輝いている社員を紹介して、学生に自社の魅力を紹介する。「入社したら自分もその仕事ができる」「同じように輝いた社員になれる」?学生は期待を寄せ、入社意欲を高める。しかし、実際の仕事は輝いたものばかりではなく泥臭い部分も多い。特に入社後の数年間は、下積みのような仕事をすることが多いだろう。?このギャップが、冒頭に挙げた「こんなはずじゃなかった」を生み出してしまうのだ。採用プロセスにおいて、学生は丁寧に扱われる。「出会った学生はSNS(Facebook)でつながり、毎日質問に回答しています」「学生との面談後は必ずエレベーターまで送ります」
「人事から『学生に良い印象を持って帰ってもらうよう』指示されています」「合同説明会でブースに来た学生には、一人ひとりに名刺を渡しています。『何かあればいつでも相談してください』と言うと、学生の反応が良い」もはや学生というよりお客さまといってもいいほど、丁寧な対応だ。一方、入社後はそこまで丁重に扱われることは少ない。上司と部下という関係のため、ときには厳しい言葉を受け取ることもあるだろう。ここにギャップが生まれてしまっている。ここまで説明してきたギャップを埋めるためにも有効なのがインターンシップだと考えられてきた就業体験を通してミスマッチを防ぐ効果が期待されたのだが、実際は、残念ながらその機能を果たせていないものも多い。学生に聞くと次のような答えが返ってくる。「インターンシップと言っても、会議室でグループワークをするだけ。たまに若手社員の人がアドバイスをくれるが、実際の仕事のイメージは持ちにくかった」?企業の中には、実際の職場に学生を入れて、実際の業務を任せるところもある。しかし、まだ全体の中で占める割合はかなり低い。中には「何があっても職場だけは学生に見せられない」という企業もある。なぜフロアに入れないのかを聞くと、「説明会で見せている企業の姿や社員と実際にはギャップがある。学生たちの失望を生むから見せることができない」という回答が。たしかに、一部ベンチャー企業のように、若手が活き活きと仕事をし、上司や先輩との関係もフラットで、普段からオープンな議論が交されているような、活気ある職場だったら問題ないだろう。しかし、若手がベテランにものを言える雰囲気でなかったり、明らかにやる気のない社員がいる職場だったり、私語ひとつなくシーンと静まり返りカチャカチャとパソコンを叩く音だけフロアに響いていたとしたら…。
以上のような状況が重なり合うことで、理想と現実のギャップの溝は開いていく。
2017年04月21日
2017年04月21日
日銀マイナス金利政策の為お金を安く借りられる。不動産を持っている人はいずれ相続税に悩まされる。そこで飛びつくのがアパート経営。
土地の上に建物を建て、それを貸出すると土地の相続価格は60%に落ちる。昨年相続税が上がったのでそろってこのアパート建設に向かっているのである。
今一つはホテル建設ラッシュ。オリンピックに向けてとにかく建てる。立て直しもある。どんどん2年後を見越して、お金を使うのである。
さてアパート経営は投資したお金が回収できないのだが、相続税さえ安くなれば投資してもいいという考え方だ。積算は税金対策である。
しかしホテルは税金対策ではなく純粋に回収目的である。しかもその投資が外資系と来ているからたまらない。外資系は建てるだけ建て、目標の期間が終わったらさっさと投げ売りにでる。損しないように逃げる。それを買わされるのが日本である。オリンピック後は湯冷めした恋のようにむなしさが漂う。これがバブルのはじけ現象である。その後再び長いデフレが起きる。そして会社も人間も「能力」の争いとなる。
2017年04月21日
1段階目はまず藤榮の会社を覗いてもらうことです。会社内での働く層と仕事ぶり、そして仕事内容を観察してもらうことです。今年も色々見学に来てもらった中で、会社も良し、学生も良しとなった場合、改めて2段階に進みます。2段階目は適性検査とコミュニケーション。 この学生を採用して一人前に仕事をしてくれるだろうか、足を引っ張ることは無いだろうか、この学生が入った時は配置換えが発生するが自分達もうまくなじんでいけるだろうか。 結論的に言って自主性がない学生は社長としては面倒見れない。学校は丁寧に手ほどきしてくれる。しかし社会はその手ほどきが終わった者のみがほしい。人柄が良いとか、学問ができるなんか関係ない。この人は社会人としてルールを守るだろうか。一人前に仕事こなしてくれるだろうか。ただこれだけである。それがやれて初めて藤榮の一員である。ダメと思ったら採用してはいけない。そこにお互いの人生とお金がかかっているからである。慌てず次の出会いを待つのである。
2017年04月16日
北欧諸国は豊かな生活水準や充実した福祉国家政策でよく知られています。
デンマークでは、16世紀前半の宗教改革から18世紀後半の学校改革に至るまで、教会が主要な成人教育の機関でした。18世紀後半、近代市民の啓蒙思想がもたらされると夜間学校の設立が相次ぎ、国家は部分的に学校を教会の支配から解放します。1864年「国民国家」思想が台頭したときに登場したのが神学者グルントヴィによる国民啓蒙教育の思想でした。
グルントヴィが重視したのは「生きた言葉」としてデンマーク語でした。1844年に最初の国民高等学校を開校した後、農民が数週間のあいだ農作業をはなれ安心して学べるように、寄宿制の学校を設立しました。
デンマークの生涯学習にとってもう一つ重要な機会となっているのが、様々なアソシエーションによる活動です。アソシエーションとは、共通の目的や関心をもつ人々が、自発的に作る集団や組織のことです。デンマークにおけるアソシエーションの歴史は19世紀半ばに遡りますが、特徴的なのは農村で発達したアソシエーションが都市へと伝播し、労働者を中心とする政治的および社会的な力へと発展していった点です。
第二次世界大戦後はそのような労働者の力が各種スポーツを中心とする余暇活動分野へと広がります。スポーツや文化活動に関わるアソシエーションが急増し、公園や競技場、体育館が設備されるに従い、各地方の団体数も飛躍的に増加しました。デンマーク社会にとって、各種スポーツや文化団体などの余暇活動は、単に健康のために必要な活動ではなく「青少年を社会で育てる」機会だと認識されています。
このような19世紀半場から20世紀にかけてデンマークの生涯学習の主要な機関として機能してきた国民高等学校やスポーツや文化活動に対して、現在社会問題を解決するという期待が寄せられるようになっています。何度も取り上げている様に、ヨーロッパでは移民問題が深刻になっています。自由と平等を何よりも優先するデンマーク流のデモクラシーが、多文化社会でも通用するのか、新たな問いが浮かび上がっているようです。
岡田
2017年04月09日
子供にとって家族は全ての始まりです。
どういうことかと言いますと、子供が生まれて、少しずつ大きくなって、自我を形成していく時、全ての判断基準や基盤は、家族から吸収するからです。
平和な家庭で生まれた子供は、平和を基準として物事を判断するようになります。
暴力的な家庭で生まれた子供は、暴力を基準として物事を判断するようになります。
愛情豊かな家庭で生まれた子供は、愛情を基準として物事を判断するようになります。
したがって、子供が育っていく時の家庭環境がどれほど大きな影響を与えているのかを、親はしっかりと認識するべきです。
だからと言って、最高の環境を子供に与えることは難しいです。
経済的な制限もあるでしょうし、それぞれの家庭に事情があるからです。
しかしながら、最低限、衣食住においては普通の生活をさせてあげて、愛情だけはたっぷりと注いであげてください。
そうすれば、子供はすくすくと育ってくれます。
「孟母三遷の教え」という中国の故事成語がありますが、あの偉大な孟子の母は子供の教育には環境が大切と考え、なんと、三回も引越ししています。
もちろん、時代も国も違うので、日本の今の時代でも100%完全に当てはまるわけではありませんが、「子供の成長にはいい環境が必要」ということは、感じ取ることができると思います。
寺澤
2017年04月02日
「風姿花伝」には、女性や老人など様々な役を演じるにあたっての心得が記されています。そこには、
「もとの姿によく似せることが本意である」
と書かれていますが、単に姿形をまねよというわけではありません。例えば、老人の項では、
「腰やひざをかがめ、ことさらに老人らしく見えるようにするのがいいのではない。年寄りの若振る舞いこそが大事な要点なのだ。」と言っています。
年寄りは若振りたいもの。でも老いた体がそれに追いつかない。こうした年寄りの心情を理解し、振る舞いに落とし込む。そこまで鍛錬を重ねることで、観客を魅了する老人を演じられる。ここに物まねの本質があると、世阿弥は教えているのでしょう。
真似ることは大切です。全ては物まねから始まると言ってもいいでしょう。その過程を飛ばして「自分はできる」と思っている人はまず成長しないでしょう。かといって、まねはしても表面的なことをなぞるだけにとどまっていたら、それもまた同じことです。どうしたら本当の意味での物まねができるようになるのか。それには現状には満足せず、もっと感動を届けたいという気持ちを持ち続けること。それが仕事につながって初めて、物まねができたと言えるのではないでしょうか。
山本