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2019年05月25日
ややこしい話だが、個性はなくても「知性」があり、それがどっぷりと深みある個性に帰結している。
人間、「もって生まれた個性」では到底一生分はまかなえない。長くともそれは20代で枯渇し、30代からは「知性」が入れ替えで評価の対象となる。
年代別に見てみよう
わかりやすく、年代別に見てみよう。
◉10代⇒たまたまリーダーシップがあるなど、生まれつきが「個性」とされる
◉20代⇒元気や勢い、時に生意気なことも「個性」とされる
◉30代以降⇒積み上げてきた「知性」が個性と評価される
つまり、20代までは元気の良さや勢いだけでギリギリ生きていける。なんとか「もって生まれた個性」で主役も張れる。見せかけだけの「会社代表」にもなれるだろう。そして起業で失敗しようが、ヘマをしようが、仕事内容が多少荒いくらいでは、誰にも文句は言われない。なぜなら「若いから」「まだまだ荒削りだが」「でも仕事は早いから」と、世間では許容範囲で受け入れられるからだ。しかし、その周囲の対応にあぐらをかいていると、30代以降は「沈黙の恐怖」が待っていることを知っておかなければならない。
30歳を過ぎてなお、20代までの「勢い」だけで仕事をこなそうとすると、周囲の反応はこのように変わってくる。
「レベルが低すぎる」
失敗しても笑って許された20代とは一気に状況が変わり、ミクロ単位のミスさえ命取り。静かに、そして笑顔で、少しづつ距離を置かれ始める。当人が気づきようのない絶妙な距離感で、疎外されていく。そう、30歳を超えたその日から、いきなり本格派のクオリティを、突然、求められるのだ。その審判の日を余裕を持って迎えられるだけのストック、つまり「積み上げてきた経験」があるか。何の前触れもなく世間から「無言で問われ始める」ことを、知っておこう。
「才能」というまやかし
そしてもうひとつ気をつけなければならないこと、それは「才能」という言葉だ。これは実社会では「幻想」であると、早い段階で認識すべきだろう。はっきり言おう。たとえ才能があったとしても、決して生き残れない。信頼できるのは積み上げてきた「知性」だけだ。戦場の社会では、まさか実際に馬に乗り、剣を振り上げ、お互いに血を流しあうわけではない。目には見えない「知性」の攻防戦を制した者が、マーケットを制するのである。例えプロセスで負けていたとしても、最後に勝てば、勝利を収めたことになる。
しかし「知性」とはもちろん、一朝一夕に獲得できるものではない。これは「20代のうちに3つの積み上げ」をしてきた者にだけ、舞い降りてくるギフトなのだ。ではその「3つの積み上げ」とはなんだろう?
20代ですべき「3つの積み上げ」
1. 「行動」の積み上げ
「いかに実行してきたか」「いかに失敗してきたか」「いかに地獄を見てきたか」
2. 「知識」の積み上げ
「いかに本を読んできたか(※ネットサーフィンの量ではなく書籍)」「いかに人に会ってきたか」「いかに討論してきたか」
3. 「態度」の積み上げ
「いかに素直だったか」「いかに嘘がなかったか」「いかに正しかったか」
この三方向での「積み上げ」をしてきた者だけが、人間の幅、すなわち「知性」の基盤を形成できる。どれかひとつが突出していても、圧倒的に足りない。この3つをがむしゃらに同時進行してこそ、ようやく30代から始まる超本格的な闘争のなかで、有無を言わせぬ「個性」を醸し出すことができるのだ。20代でいきなり大金持ちを目指すんじゃない。できない自分を認め、苦しい一歩を踏み出そう。へこたれそうになっても、折れそうになっても、死にたくなっても、絶対に「適当に生きて」はいけない。その感覚、そのくやしい思いはやがて太い幹へと成長し、年輪を重ねてくれるからだ。
本田
2019年05月16日
「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」は、スポーツ戦略やビジネス書などで必ずと言っていいほどよく取り上げられている有名な言葉で、日本では「風林火山」としておなじみの武田信玄の旗印「疾(はや)きこと風の如く」も載っている「孫子」の中の一節です。
「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」の意味とは?
現代では「”敵”を知り己を知れば百戦殆うからず」と使われる場合もあるように、原文の「彼」は「敵」、「己」は「味方」を指しています。
意味は「敵情を正しく把握しろ」
「彼を知り己を知れば百戦殆うからず(かれをしり おのれをしれば ひゃくせんあやうからず.)」とは、「向かう相手の実情と自分の実力を正しく知ることで、負けない戦い方ができる」という意味の諺(ことわざ)です。「殆(ほとほと・し)」は危険がすぐそこに迫っている様子をあらわし、「殆うし(あやうし)」は「危うし(危ない)」とほぼ同義です。
中国の兵法書「孫氏」の一節
「孫子」とは、紀元前500年頃の中国・春秋時代に活躍したとされる軍事思想家「孫武(そんぶ)」が書いた軍事戦略の本です。13篇からなる中国最古の兵法書で、「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」はその中の「謀攻」にある代表的な一説です。それまで戦争の勝ち敗けは天運によるものと信じられていましたが、記録・分析して勝敗を人為的なものとしたのが孫武だともいわれ、「孫子」は孫武の尊称でもあります。
「百戦殆うからず」続きの全文
「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」の全文と現代語訳は次のようになっています。読み下し文は「百戦殆うからず」のあと、さらに「彼を知らずして己を知れば 一勝一負す・彼を知らず 己を知らざれば 戦う毎に必ず殆し」と続きます。
「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」の具体例
スポーツ選手の場合
スポーツ戦略における「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」は、相手チームのプレイを繰り返しチェックし、得意な先方や選手の特長をくまなく分析することで自チームの弱点を補うという方法です。相手の実情を知って勝ち目がないと判断すれば、損失を避けるために「戦わない」という孫子の選択枝は、サッカーのように実力差の大きい相手と戦ってもリスクの少ないスポーツには当てはまりませんが、格闘技や登山といった危険が伴う種目の場合には「引く勇気」も重要です。
受験生や就活生の場合
受験や面接をひかえた学生にとっての攻略するべき敵とは、試験の出題傾向や勉強の仕方、面接官から投げかけられるであろう質問の内容ということになるでしょう。同時に自分の学力を正しく理解し、勉強法に弱点はないか、ついやした時間の長さだけで努力した気になっていないかを厳しくチェックすることが求められます。「成果の伴わない努力は時間の無駄」とは孫子の言葉です。
ビジネスマンの場合
「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」を教訓として生かしているビジネスパーソンは少なくありません。ビジネス上の敵といえば、顧客・ライバル企業・ファンダメンタル(社会情勢)といったところでしょうか。企業が勝ち残るためには、まずは戦い続けるために損失をマネジメントすることが不可欠です。孫子は兵法リスクを敵をよく知ることで、戦わずして勝つ方法を見出すこともできると教えています。
まとめ
「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」は、公平な立場から冷静に勝算を分析することの大切さや、前準備の必要性を教える古い兵法のひとつです。とは言え、気が済むまで分析や準備に時間を費やしていたのでは期を逸し、相手に攻め込まれて負けてしまいます。戦うことを選択したら、次は優先順位を守って来たるべき日に備えましょう。勝つと決めたときからすでに戦いは始まっているのです。
新美
2019年05月12日
朝起きて身支度して会社へ行く。会社ではほとんどは仕事のことで終わる。そして1日疲れて終わり家に戻る。家に帰ればお風呂・食事・睡眠とお決まりの内容である。と、ほとんどの人の1日は「仕事・食事・風呂・睡眠・雑用」で終わって行くような感じであろう。家で今日の反省もするがそれもほぼ仕事の事となる。平日の我々は仕事以外何をしているのであろう?そう!TVと言う人もいた。PC 携帯いじり、ゲーム遊びもいた。しかし勉強という人は少ないのではないだろうか?今年の目標を決めテーマを持って勉強していく。趣味を極める勉強でも良い。料理でも旅行でも、温泉巡りでも、写真でも、スポーツでも、やりたいことがあればネットで調べる。この時間が必要であろう。人が経験したことがネットには色々乗っている。それを試してみる。それで自分に納得いけば一つステップアップである。何気ない1日なのであるが、ただ仕事と生活だけの時間で終わらせるのにはもったいない。何でもいいから1つテーマを持ってこだわってみて時間を取って生きたい。そこに人生の厚みが生まれる。ただ子育てをしている時はこのテーマが子供中心になるであろう。独身の時は自分中心で良い。子育ても終わっていけば夫婦で楽しめるテーマでも良いし、自分の趣味でも良い。いかに自分という人間に深みを持つかである。音楽も読書も良い。しかしできれば家から出かけられるテーマが良い。美術でも、お寺巡りでも良い。それを見に行こうと出かけるきっかけが起きる。その行動によって若さが保たれ、新たなパワーが生まれ、新しい出会いも訪れる。
2019年05月12日
先輩に指摘される。世の中教えてもらっていないこと、知らないことは自分自身もたくさんある。しかし社会は知っていて当たり前のような感じである。知らないやつはその時点で置いて行かれる。先輩に何気なく指摘されることがある。それの言葉尻に「私は教えてもらっていない」と突っぱねればそれで終わり。知らないことを言われたらそれにこだわればそれが一つの成長であり、先輩に近づく1歩になるのである。先輩に、自分との違いを指摘されてありがたく思わねばならない。そしてその言われたことを徹底して調べるのである。そして実際に試してみるのである。すると先輩と自分の視野の違い、経験の違いが浮き彫りにされてくる。それを自分の体で覚え込ませるのである。するとベテランに進んでいるのである。何気ない一言にこだわってみるのが良い。
2019年05月12日
2019年05月12日
成長するにはまず目的を持つ。たとえばあることを日課にしている人がいるとする。今は1時間歩いているとする。半年後には1時間半歩くようにしたい。このような目標にすればそれなりに段取りしていくようになる。これで達成できれば一つの成長になる。そこに目標を与えられてはだめなのである。与えられたものはやらされ感が強い。つまり「人に言われたことだからどうせ無理なことだ」「できなくてもいいや」こうなる。すきで成長しようとしていないからである。成長とは自ら目標を持ち、作戦を考え、結果を観察し、結論を喜ぶものである。この中で一番楽しいのが途中の過程なのである。時には苦しい時もある。どれだけ考えても、どれだけ動いても結果につながらない。これはどんな人間にもある。ストレートに目標に達成できる人などいないのだ。しかしたとえ目標の期間が延びたとしても、達成できたならばそれでいいのだ。この場合は期間よりも達成が大事なのである。期間は前後あるのだ。
社会生活にも同様である。自分の心の持ちようである。「なぜ私は働かねばならないのか?」ここがポイントである。ある人は生活の為!ある人は家にいても退屈なため!ある人はその仕事が面白いため!ある人は将来の目標の為!それぞれの人間に目標がある。その目標の意識が前向きで、力強い人間ほどつまり生きようとしている力が強い者ほど成長力が強いのである。この成長力が強いものは自ら目標を持ち、日々反省し、先輩を見習う。解らなければ積極的に先輩に質問する。
この基本を持つものはいずれ抜きんでて重宝がられ、必然的に責任が付いていく。この様な人は数少ない。普通の生活は仕事終わって家帰りゲームして、TV見て、音楽聞いて、携帯して後は寝る。「成長」という事は他人様の世界なのである。他人はこれでいいのである。自分は違わなければ、目標達成しないのである。
2019年05月12日
「新入社員がどんどん辞めるのは社内に競争があるからです」と言うわけが分からない理論が書かれていた。競争のない社会などこの世の中にはありません。新入社員は就職する前に競争があったはず。そこで選ばれた者のみが無事就職している。その前に大学に入るのにも競争していた。幼稚園でも徒競走がある。小さな時から競争の社会なのである。どうして突然社会に出たら競争を無くせの理論になるのかがわからない。もともと競争のない社会主義の国は20世紀に滅びているのである。勝ち残ったのは競争主義=資本主義ではないか!
常に頭の中には「毎日安定した暮らしがしたい」1年経つと「昇給が1円でも多くほしい」そしていざお金使う時になると「10円でも安いところで買いたい」こうなるのが我々である。少しでも安く買いたいという願望こそ競争の表れではないか!競争に勝つために他人様以上に努力しているのである。努力するから給与が他人よりも多くもらえ、いい暮らしが出来るのである。今どき2号さんのような生活は無いのである。
私も必死で2019年度の不況に向けて働いている。チェンジしている。「もう必要ありません!」と言われないように働きを変えている。今は変わらないと生き残れないのである。競争しているのである。
2019年05月12日
情けをかけることは、相手にとっても恩恵ですが、それだけではありません。自分にもその恩恵が利子をつけて返って来ますので、人のためだけではないのです。「情けは人のためならず」ということわざ通りです。
このことわざは、情けをかけることは、結局は相手のためにならないという厳しいことわざと解釈されることがありました。しかし、このことわざが発生した時は、情けをかけることは他者のためだけでなく、自分のためでもあるという意味だったのです。
本当は、他者も自分もつながっています。他者にしたことは、自分にしたことです。相手のためであり、結局は自分のためなのです。困ったときは、お互いさまです。困った時はお互い様の精神をもって、普段から生活していると、自分が困った時も、助けてもらえます。
寺澤
2019年05月06日
誰かと会話をする時心がけていることはありますか。
私は話しやすい人を心がけています。
話しやすい人には様々な特徴がありますが、その中でも相槌を打つタイミングが重要なのではと感じます。
そもそも相槌の本来の意味は「鍛治で2人の職人が交互に槌を打ち合わせること」とのことです。そこから転じて「他人の話に調子を合わせてうなずいたり、短いことばを差しはさんだりする」ようになったそうです。
人と話をしている時に、頷いたり、「へえ」「なるほど」など的確に相槌を打つだけで、もっと話をしたいと思われるようになるのです。しかし、あまりにも相槌を打ち過ぎると逆に話を聞いていないと相手に不快な思いをさせることになります。
適度な相槌というものは難しいものですが、少しでも意識をしながら会話をし、話をしたいと思われるように目指していきたいです。
西田