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2023年08月27日
「処」という文字には「とめる」「とまる」などといった意味があり、この時期から次第に暑さが収まってくるとされています。太陽の黄経(太陽の通り道に沿って振った目盛りのようなもの)が150度に達した日が処暑となり、毎年日にちは変わります。今年は8月23日だが、年により8月22日が処暑となることもあります。
初候 8月23日〜8月27日頃
綿柎開(わたのはなしべひらく)
綿を包む柎が開き始める頃。柎とは花の萼(がく)のことです。柎が開き始めるとふわふわとした綿毛が中からとび出してきます。この綿毛が木綿の糸や布になります。
次候 8月28日〜9月1日頃
天地始粛(てんちはじめてさむし)
ようやく暑さが静まる頃。天気図には秋雨前線が登場し、冷たい空気とともに秋を運んできます。とはいっても、日中はまだまだ暑く、夏の気候が続きます。
末候 9月2日〜9月6日頃
禾乃登(こくものすなわちみのる)
日に日に稲穂の先が重くなってくる頃。稲穂はこぼれるように実り、色づき始めます。しかし、この時期は台風が襲来してくる時期であり、各地で農作を祈るお祭りが開催されます。
少しずつ涼しい風が感じられるようになり、朝夕が過ごしやすくなるころです。秋の訪れとともに、夏の疲れが出てきます。スーパーや八百屋さんには、少しずつ秋の味覚が並びはじめています。滋味に富んだ旬の食材を使って、料理や食事、器を楽しみながら栄養を補ってください。
また、ときにはシャワーだけでなく、湯船などにもゆっくり浸かって、これからの美しい季節のために、体の調子をきちんと整えておきましょう。
外山
2023年08月20日
精神疾患の方は部屋が多くの場合汚れていく傾向があります。これは部屋の片付けとは余裕があってはじめてできることだからです。よって精神疾患になると睡眠や食事すら危うくなるのでなおさらできなくなります。特に重度の精神疾患の方は文字通り「足の踏み場もない状況」になることもありトイレや風呂すらも使えないレベルに汚れます。そのレベルでなくても余裕がなくなると部屋は汚れます。
たとえばADHD(注意欠如・多動症)ですと整理が苦手なため部屋が散らかる傾向があります。また鬱の場合でも多くの場合で部屋が散らかっていきます。これは鬱になると片付ける気力がなくなり、汚れた部屋を見てさらに気持ちが落ち込むというスパイラルにハマる可能性があります。
なので、思い当たることがあればメンタルを受診する事が重要です。また、できる範囲で部屋を片付けるのが重要です。
片付けの方法としては3つあります。
一つ目は「一時ボックスを作る」です。
これは捨てる・捨てないの二択では判断に勇気が必要になりますが、一時ボックスを用意すれば気軽に片付けることができるからです。そうすれば部屋も綺麗になるし、何ヶ月も使わなければ捨てるにも軽い気持ちで捨てられるようになります。
二つ目は「一個だけ片付ける」です。
全部片付けようと思うと気が遠くなるけど、一個だけと思えば気楽に始められます。そして一個片付ければ他も片付けたいと考えるようになります。これは「たった一ヶ所」と考えても構いません。一個や一ヶ所で終わったとしても何日も続ければ少しはマシになるはずです。
最後の3つめは「写真を撮る」です。
汚れた状態でとりあえず写真を撮っておくことです。そうすれば少し片付けた際に前よりも綺麗になったと感じられるはずです。するとさらに片付けのやる気が湧いてくるはずです。撮影をしない場合は変化を認識できなくてやる気も失われてしまいます。
片付けとは逆に部屋に置いておくといいものもあります。それは「最高の瞬間」を飾っておくことです。自分にとって明確に嬉しかった瞬間の写真などを飾ってみてください。すると日常的にそれらを見ることでその瞬間を思い出して前向きになれるはずです。
部屋は心の延長だと考え、自由に好きに変えていくことであなたの心を幸せに変えていくことになります。
福田
2023年08月16日
喫茶喫飯とは茶に逢っては茶を喫し、飯に逢っては飯を喫すという意味です。つまりはお茶を飲むときは飲むことになり切ればいい。ご飯を食べる時は食べることになり切ればいい。という事です。
コロナ明けの初の行動制限なしのお盆休みとなり、外出の予定を立てた方も多くいると思います。
やりたいことや、やるべきことがたくさんあっても、今この瞬間に全力で取り組めるのは一つしかありません。
あちこちに手を付けて何かを忘れたり、何かを片手間にしてしまうと結局何一つ満足に成し遂げられないなんてことになってしまうという事です。
やりかけの物が溜まってくるとあれもこれも出来ていないと不安になってしまうので、一つ一つ何をやるのか集中してお盆休みを満喫してください。
藤浪
2023年08月06日
タブラ・ラサとはラテン語で「何も書かれていない石板」と言います。
有名な哲学者の一人であるジョン・ロックが生まれた時の人の心はタブラ・ラサのようなものだとの結論付けました。
彼が言うには何事にも現実世界についての理解は、感覚を通して得られた直接的な経験によって導かれるか、本などの間接的な経験によるものかのどちらかの要素によって成り立っている。ということです。現代ではこの考え方は当たり前かと思いますが当時の社会にとっては衝撃的なことだったことでした。
生まれた時に誰の心もまっさらであるならば、人間には生まれつき優劣はないという事になるからです。王族や貴族だろうと百姓だろうと生まれつき優劣はなく個人の教養はその後の経験すなわち、教育によって出来上がると主張していることです。この考え方がフランスにおいて身分社会から全員が平等となる考え方に繋がってくるという事です。
人が経験と学習によっていくらでも学ぶことが出来るとジョン・ロックが結論付けるなら現代においても大切なことになってくるのではないでしょうか。
人間が今まで学んできた知識というものがchat GDPなど進歩したAIに取って代わられることが徐々に起きてきております。今後寿命が100年近くなる中で一度学んだ知識はテクノロジーによってすぐ使い物にならなくなる事が増えてくるかと思います。この場合いかに速く頭をタブラ・ラサにしてリスキングできるかが大事になってくるかもしれませんね。
藤浪