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第548回 オリジナルジグソーパズルの日

2024年08月25日

8月26日は「オリジナルジグソーパズルの日」です。名入れ酒やカウントダウンパズル、両面パズルなど、オリジナルグッズの製造・販売を行うシャフト株式会社によって制定されました。
日付は「パ(8)ズ(2)ル(6)」と読む語呂合わせが由来。写真から世界でたった1つのジグソーパズルを製作するもので、その魅力を多くの人に知ってもらうことが記念日制定の目的です。
記念日は2017年(平成29年)に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録されました。
赤ちゃん誕生記念・家族との写真・愛する人との思い出・可愛いペットの画像など大切な写真からオリジナルジグソーパズルを作ることができ、記念日を形にしたり、お祝いごとのプレゼントとして人気があります。
ジグソーパズルは脳と指をたくさん使いますので、ご高齢者の方にとっては認知症予防にも効果が期待できると言われています。
自分たちの写真がパズルになっているため、とにかく楽しい! 家族や恋人、実家など、大勢で楽しむことができるのはとてもいいですね。
外山

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第547回 薬物を辞めるキーワードは「老人」

2024年08月18日

もし目の前で老人が倒れそうになったらどうしますか。助けるだろうと思います。そして助けた後は良いことをしたと幸福感を感じると思います。

人間は「他人のために行動したい」と言う本能があり、それを実行できたときに何より充実感を抱くようにできています。

だからといって困っている老人を助けるために日本中を回ったりする人はいません。この理由はシンプルに「目の前にいない」からです。人間にとって「目の前にあるかないか」は大きな意味を持ちます。

ダイエット中の人がわざわざケーキを買いに行って食べたりはしませんが、目の前に置かれると食べたくなるのに似ています。

これらから人間は「他人のため」かつ「目の前にいる」場合に最大のエネルギーを湧かせます。薬物などの依存物質にハマっているとき間違いなく「自分の快感のため」に使用しているはずです。しかし一度、他人のためにいったん辞めてみてください。あなたが薬物をしようすることで確実に苦しむ「他人」がいます。しかもその人物は間違いなく目の前にいます。

この他人とは「老人になったあなた自身」です。

薬物は体をむしばみ、人を弱らせます。結果、老人になった時はもちろん未来のあなたは確実に苦しむことになります。それは「自分」でありつつ同時に「他人」であり、確実に助けたくなる弱っている老人だと考えられます。多くの薬物依存者が見て見ぬふりをしているだけで、想像すればいつでも目の前に浮かぶはずです。特に離脱症状が苦しいときは、より薬物を使いたくなるでしょう。しかしそれは今の楽さのかわりに「老人の自分」に苦しみを押しつけているのと同じです。

「老人の自分」を苦しみから救うためと思えば今の苦しみを耐えやすくなりませんか。これは薬物以外でも同じ事です。依存行為は今の苦しみを消すわけではなくただ先送りにしているだけです。たとえ老人ではなくても「未来の自分」という「他人」はより苦しむことになります。

つまり「依存を今少しだけ我慢する」と言うことは未来の自分を助ける事に繋がるわけです。こう思えば「ただ漠然と我慢する」よりもやりやすくなりませんか。

逆に「今、何かを頑張る」と言うことは未来の自分を助けると言うことにもなります。

未来のため、今を捨てることになるから「自己犠牲」になるのではと思うかもしれませんが、そんなことはありません。なぜなら「あなた自身の」ためであるからです。さらに「今を捨てる」わけでもありません。なぜなら「誰かのために頑張る」ことは人にとって最大の充実感になるからです。さらに言えば、今あなたが持っているもの全ては過去のあなたが頑張ったからです。今のあなたが生きているのも過去のあなたが生き抜いたからです。気づいてないだけで過去のあなたが今のあなたにたくさんのことをしてきてくれたからです。同じものを未来のあなたに渡してあげれば良いのです。

福田

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第546回 一挨一拶(いちあいいっさつ)→挨拶→そのあとは?

2024年08月05日

私たちが普段している挨拶には禅語由来で「挨」には「おす、開く、 近付く」という意味が、「拶」には「せまる」という意味があります。

「一挨一拶」とは、師匠が問答 を迫り弟子が答えることを繰り返す様子を表しており、それが修行するお坊さん同士が相手に近付き声をかけ、 問答を通して互いの悟りの深さを測り合うことを言うようになったそうです。そこから今のように親愛 の情や礼儀を込めて言葉を交わし合う様を「挨拶」というように転じていったそうです。

お互いの悟りの深さを測ることが無くなった現在の私たちですが、職場、家庭、地域で共同生活するうえで円滑なコミュニケーションツールとして欠かせないものになっております。また相手の挨拶の仕方や声の調子で、相手の今の心の状態を察することもできます。

 

しかし最近では、若者たちの間で挨拶の不必要性を唱えている記事もあります。お互いに視認していれば挨拶がなくても困ることはない、ことあるごとに定型文を呪文のように唱えることは非効率という意見もあるそうです。

 職場に関してはその会社に所属することで賃金を支払うメンバーシップ型からそのスキルに対して賃金を支払うジョブ型に変化しつつあります。コミュニケーション能力が高くなくてもキャリヤや専門性を高めれば組織という枠組みにとらわれず働ける人たちから「挨拶は必要ない」と意見することも容易くなるのかもしれません。
では共同生活するうえで円滑なコミュニケーションが必要無くなり、相手の状態など意に介さなくなった場合挨拶はまた名前を変えて生き残るのかそれとも絶滅してしまうのか。自分が生きているうちに挨拶が絶滅することはないと思いますが、今後も話題になるのかもしれません。
藤浪
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