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2018年09月30日
これは非常に大事な事だと思います。ですがこれはいいことばかりではありません。
ソフトバンクの孫さんは「事業を始めよう」と思ってから、実際に事業を始めるまでに2年程かかったそうです。事業を始めようと思ってからすぐに動き出した訳ではないんですね。すぐやる事が成功の秘訣なのに、すぐやらなかったんです。では2年間何をしていたのでしょうか?それは、考えていたのです。ひたすらどんなビジネスモデルにするか考え、どのように展開するかを考えていたのです。その為に必要な事を学び、知識をつけていたのです。企業とうのは、企てるという事です。孫さんは2年間ひたすら企てていたんですね。その結果、大成功を収めています。
また、こんな話もあります。「リアルドラゴン桜」と言って「ドラゴン桜」のモデルになったと言われている泉忠司さんという方がいます。泉さんは、高校時代に受験勉強をする際に、最初の参考書選びに時間をかけたそうです。自分が一番使いやすい参考書を見つけるまで、ひたすら買っては試し買っては試しと繰り返して、本当に使いやすい参考書を見つけたという話です。一見すると効率が悪そうですが、自分の使いやすい参考書を手に入れる事で、その後の学習効率が各段にアップしていくそうです。
この2つの話の共通点はとにかくなんでもいいからまず始めるのではなく、成功する為に必要な要素を学んでから行動したという点です。思い立ったらすぐに始めるというのは、良い事だと思います。そういう行動力は絶対に必要です。しかし、ある意味では効率が悪いのです。成功する為に必要な知識を学んでから行動する方が最終的には早く大きな結果を出す事ができるという事が言えると思います。もちろん学んでばかりいても成功はできませんので、行動するという前提で学ぶ必要があります。
視界の悪い道を手探りで進んでいくのか?見通しの良い道をさくさくと進んでいくのか?の違いですね。
本田
2018年09月23日
ニューヨーク港入口のリバティ島に立つ自由の女神像は、1886年にアメリカ合衆国独立100周年を祝ってフランスから贈られたもので、正式名称を「世界を照らす自由」といいます。発案者はフランスの法学者・政治家のエドゥアール・ラブライエで、南北戦争後の混乱に苦しむアメリカに対し、ともに自由と民主主義を尊ぶ国家を作りあげようという思いが込められて贈られました。制作費はフラン国民の寄付と、新聞王ピューリッツァーが募ったアメリカでの募金からまかなわれました。
像の制作は、彫刻家フレデリック・バルトルディが担当しました。当時の技術では、風の強い海沿いに巨大な像を立たせることは難しいとされていましたが、後にエッフェル塔の設計者としても有名になるギュスターヴ・エッフェルが難題を解決。彼が考案した、鋼鉄製の骨組みで像の全重量を支える工法により、19世紀における鋼鉄技術の最高傑作となりました。10年の歳月をかけて1884年にパリで完成し、分解されて列車や軍艦でアメリカに運ばれました。
女神像の頭部にある宝冠の突起は、7つの大陸と7つの海に広がる自由を表現しており、左手には1776年7月4日と記された独立宣言書を抱え、右手には希望を意味する長さ9mにおよぶたいまつが掲げられています。踏みつけている鎖は奴隷制と専制政治の象徴です。
自由の国アメリカのシンボルとして、女神像は今でも国民に愛され続けています。
加藤
2018年09月17日
最近何かと耳にする平成最後の○○という言葉。天皇陛下譲位が決まり、平成は、平成31年4月30日で終え、5月からは新元号がスタートする予定になっています。メディアや有名人が平成最後の…というたびに意味もなく何かしなくてはみたいな感情がちょっとだけ湧いたりします。とはいってもそんな意識することもないなと思うのですが、やはり一つの時代が終わるようなそんな気はします。
TVで平成時代を振り返る番組などを見て、この30年間も楽しいニュースも悲しいニュースもいろいろあったなあと思ましたし、平成初頭に生まれているので、自分の人生を振り返っているような気分にもなりました。自分の幼少時代と比較しても、この数十年の間でもかなり便利なものが増えましたし、流行もかなり変わっていますし、私たちを取り巻く社会も変容していて、これからもめまぐるしく私たちの生きていく社会は変わっていくんだろうなと思いました。
次の時代はどんな時代になっていくのでしょうか。これからのことを考えると、不安なこともいっぱいあるのですが、希望を持ってこれからを楽しみにしたいなと思います。
甲村
2018年09月08日
これは、もし失敗するようなことがあっても、何もしないなら経験を積むことができないので、それこそ大失敗であるという意味を持っています。
特に、消極的で、いつも思い悩んだり考え込んだりして、なかなか行動に移さない人に、
学んでもらいたいことです。
確かに、行動しなければ失敗しないし、行動すれば失敗する可能性が出てきます。
ですが、行動することでその物事を体験することができ、もし失敗したとしても、失敗したという貴重な経験が得られるのです。
失敗を恐れて何もしないでいると、全く経験値が増えないため、いつまで経っても本当の意味で賢くなれないということなのです。
人生において、本当に賢いという人たちは、決まって、人一倍多く、失敗を経験しています。
そして、失敗をたくさん経験するからこそ、その物事の裏表が分かり、真の意味で賢くなれるということなのです。
たとえば、子供が自転車に乗る練習をしたとします。
最初は、慣れていないから、失敗の連続です。
ですが、何度も失敗しているうちに、ある時うまくいって、結果として、自転車に上手に乗れるようになるということなのです。
もし、失敗するからと言って、自転車に乗ろうともしなければ、いったいどうなるでしょうか。
もちろん、失敗はしないけれども、自転車には永久に乗れるようにはならないでしょう。
このように、失敗を恐れて何もしないのではなく、失敗してもいいから、物事を体験するということが、非常に大切ということなのです。
寺澤
2018年09月02日
人間関係で最も大切な要素が信頼関係です。
そして、信頼関係を構築するのは時間がかかるものなのです。信頼関係はビルのような構築物だと考えてもよいでしょう。
耐震の設備の高層ビルをを建設するのはその設計から施行、完成するのは膨大な時間がかかりますね。
しかし、このビルを壊す時間というのは建設する時を比べてほぼ時間がかからずに壊れます。
人間関係もおなじで信頼とは細かい事の積み重ねなのですね。
相手のことを優先することで信頼関係は強固になります。
自分の事を優先にすることが信頼関係を壊す最大の要因になります。
そして信頼関係とは馴れ合いの関係になったときに壊れるのです。
仕事とプライベートを混合したり馴れ合いの関係になるのが信頼関係を壊す要因の一つになります。
仕事に私事を持ち込まない。最後まで責任をもって仕事をこなす。
そして、何よりも仕事に対するプロ意識が肝心なのです。プロ意識が甘くなると仕事に妥協しだすようになり、中途半端な事をするのです。
なので、仕事に対するプロ意識とどんなことがあってもクライアントに損をさせない、リスクはこちらがとるというスタンスを持って仕事に取り組めば信頼関係を壊れません。
プライベートの関係においてもどんなに仕事が忙しくても、彼女や大切な人とは毎日連絡をとりあうようにするが人間関係を円滑にするコツです。相手との信頼関係を築く前にまずは自分のあり方を明確にしておくべきなのです。
つまり約束は守る。相手に嘘をつかない。仕事は責任をもって最後までやり遂げる。仕事においてはクライアントに絶対に損はさせない。相手の気持ちを考えて付き合う。
このようなことを常に意識して無意識レベルでこなせるようにしておくべきなのです。このようなことが人間関係の基礎となるからです。基礎ができていないと信頼関係は構築できません。だから、まず自分自身が基礎を徹底的にマスターするように心がけてくださいね。
本田
2018年08月26日
以前に、世界遺産とは人類や地球の長い歴史の中で生まれ、受け継がれてきた人類共通の宝物であるという説明をしたかと思います。しかし中には、原爆ドームやアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所、ゴレ島など、果たして人類の宝と呼べるのか疑問に思うようなものも登録されていますよね。
これらは負の遺産と呼ばれ、近現代に起こった戦争や人種差別など、人類が犯した過ちを記憶にとどめ、二度と繰り返さないよう教訓とするために残されているものなのです。
日本の負の遺産、原爆ドームは第二次世界大戦で失われた多くの尊い命と、その戦争の悲惨さを忘れないために1996年、世界遺産に登録されました。
広島に原子爆弾が投下されたのは、今から73年前の8月6日のことでした。これは人類の歴史上初めて核兵器が使用された瞬間でした。原子爆弾は広島県産業奨励館付近の約580m上空で爆発し、強烈な熱線と爆風を受けた産業奨励館は、一瞬にしてほとんどの箇所が破壊されましたが、ドーム型の屋根部分は骨組みと壁を残して全壊を免れました。
この産業奨励館について、広島市民のあいだには、街に壊滅的な被害を与え、多くの死傷者をだした原爆の惨事を思い出させるとして、取り壊しを求める声も多くありました。しかし、核兵器の恐怖を後世に伝える象徴として保存を求める運動が広がり、廃墟となった産業奨励館は「原爆ドーム」として永久に保存されることになりました。
負の遺産は、世界遺産条約で正式に定義されているわけではないため、どの遺産が負の遺産に相当するのか意見が分かれるものもあります。しかし、過去の反人道的行為を反省し、現在でも様々な形で残る紛争や人種差別をなくすために、これら負の遺産が発するメッセージは大きな意味を持っていると私は信じます。
加藤
2018年08月19日
8月後半となりました。学生さんは夏休み終盤になり、宿題に追われる時期かもしれません。
夏休みの宿題に関して、面白い調査を見つけました。宿題はさっさと片付けるか最後に追い込むかの調査で、「さっさと片付ける」計画は破綻しやすく、「最後に追い込む」子は、休み明けにストレスが高まることが分かったそうです。
調査は、夏休み開始1週間前に「宿題の計画」を尋ね、夏休み明けに「実際の宿題行動」とストレスを調べる、という形のもの。その結果、宿題の計画は①毎日こつこつする「継続型」(61%)②すぐに終わらせる「前半集中型」(34%)③休み終わりごろにまとめてする「後半集中型」(2%)④「無計画」(3%)――に分かれた。
一方で、実際の進め方では、継続型が68%を占め、前半集中型は14%にとどまった。計画では少なかった後半集中型は約5倍の11%、無計画は約2倍の7%と、大幅に増えた。
計画と実際の一致・不一致状況を見ると「前半に集中する」と考えていた子の7割が計画倒れに終わり、「毎日こつこつする」つもりだった子は、8割が計画通りにできていた。
また、後半に集中した子と無計画に進めた子は、ほかの二つの進め方より、休み明けのストレスが高まりやすいことが分かった。期日までにできるかどうか不安になることに加え、計画の破綻も子のストレスを高める要因になるという。
この結果をみて、普段の仕事に通ずるところがあるのかもと思いました。直前に追い込むようなやりかただと、間に合っても間に合わなくてもストレスを高めてしまうのかもと感じました。また反対に意気込んで計画を詰めすぎると結局計画倒れになってしまう可能性が高い。やはり自分が着実にできるペースでこつこつ進めていくことが大事だと感じました。そして都度進行状況を確認し、うまく進んでなかったら、計画を修正していくことが必要だと思いました。
甲村
2018年08月13日
「医者の不養生」ということわざについて、紹介していきます。
医者は、患者に対して、喫煙せず、酒もほどほど、肉食や油っこいものは控えて、よく運動しなさいと言います。
しかし、その医者本人を見てみると、喫煙し放題だし、酒もたくさん飲むし、肉食や油っこいものも大好きで、運動はしないという場合が多いです。
このように他者に対しては問題点がよく見えるけど、こと自分の問題に関しては、あまり見えないのが人間心理です。
「灯台下暗し」ということわざもありますように、自分に近くなるほど見えなくなるものなのです。
ただし、言っていることと反対のことをしているからといって、ヤブ医者とは限りません。
そのような医者ほど、良い診断をすることも多いです。
自分のことは、他人から見た方が分かることもあります。ほかの人に自分のことについて、何がいけないのか、聞くことができるようになりたいものです。
寺澤
2018年08月05日
今年の夏はエアコンが欠かせないほどの猛暑ですがエアコンを使っているとどうしても電気代がきになってしまいますよね。そこで気になるのは昔の人はどう生活していたか。江戸時代にはもちろん、エアコンはなかった。それでも、暑い夏をしのぐ“涼を取る工夫”をいろいろとしていた。そうした工夫のいくつかは、今の時代にも受け継がれている。実は当時人気の歌舞伎の演出にも、涼を取る工夫があった。歌舞伎「夏祭浪花鑑」を例に、江戸時代の人たちの涼を取る知恵を調べてみました。
江戸時代は、自然の風や水を活かして涼を呼んでいました。
日中は夏の日差しを葦簀(よしず)で遮りながら、打ち水をして涼しい風が室内を通るように工夫した。見た目にも涼しいように、鉢にたっぷりの水を入れて中を泳ぐ金魚を鑑賞したり、水の中に浮かべて冷やした夏野菜やスイカなどを食べたりと、水をうまく活用することで少しでも涼しく感じるように工夫した。
それでも日中は暑いので、一日ごとに稼ぐ職人などの庶民は、ずる休みをしてふて寝をしたり、湯屋でぐずぐず時間をつぶしたりということも。落語に登場する長屋の連中は、たいがいがそういうことをしている。
そして、涼を求めて皆が集まるのが水辺。川のほとりや池の周りをそぞろ歩いて、そこを吹く涼しい風に当たったり、「滝浴み(たきあみ)」をしたりした。滝浴みは、滝に打たれたり、滝を眺めて楽しんだり、その川の水で遊んだりして涼を求めること。江戸時代は、王子にいくつかある滝に行楽を兼ねて出かけるのが流行っていたようです。
そして、江戸時代は蛍狩りなどが盛んに行われていたので、自ら捕まえたのかもしれないが、四季を楽しむ江戸っ子のために「虫売り」という商売もあったので、買った可能性が高いだろう。見て楽しむ蛍や耳で楽しむ鈴虫、コオロギなどを売り歩いていたという。
エアコンのなかった江戸時代は、自然と共生して涼を取っていた。そうした知恵は、今の時代でも活用できるものが多い。先人の知恵を活かして、今年の暑い夏を涼しげな工夫で乗り切ってみるのはいかがでしょうか。
本田
2018年07月22日
今回はフランス革命・ナポレオンにゆかりの深いフランスの世界遺産、フォンテーヌブロー宮殿についてご紹介します。
フォンテーヌブローの森は古くからフランス王室の狩猟場でした。16世紀にヴァロワ朝のフランソワ1世は、イタリア遠征中にルネサンス美術館に魅了され、ここにあった狩猟用の館を取り壊し、新しくルネサンス様式の宮殿を建築しました。美しい宮殿とフォンテーヌブローの自然は歴代の王に愛され、ルイ13世も馬蹄形の階段を備えた宮殿への入口を増やすなど、増改築が続けられました。
宮殿の外観は質素ですが、内装は非常に豪華です。イタリア出身の画家、イル・ロッソ・フィオレンティーノが手がけたフランソワ1世の回廊は、フレスコ画や化粧漆喰、絵画で飾られたマニエリスム様式の傑作で、宮殿内で最も鮮やかな場所とされています。アンリ2世の時代に、同じくイタリアの画家、フランチェコ・プリマティッチオが完成させた宮殿最大の部屋「舞踏の間」は、美しい格天井とギリシャ・ローマ神話をテーマにした絵画で飾られています。また、宮殿とともに世界遺産に登録されているフォンテーヌブロー庭園は、ヴェルサイユ宮殿の庭園も設計した、アンドレ・ル・ノートルの会心作とされています。
しかしフランス革命の勃発により、このフォンテーヌブロー宮殿の調度品は全て売り払われ、一時酷く荒れ果てます。それを修復したのが、ナポレオン・ボナパルトでした。フランス革命の混乱期に英雄となり、皇帝にまで登りつめたナポレオン1世もまた、緑に囲まれた美しいフォンテーヌブロー宮殿を愛した1人でした。「白馬の中庭」の西側にあった建物を取り壊して鍛鉄の格子門を設置したり、国王の寝室を謁見用の「玉座の間」にするなどの修改築を行いました。
しかし、そんなナポレオンが退位勧告を受けて帝位を剥奪され、流刑地であるエルバ島へと旅立ったのもこの宮殿からでした。ナポレオンは、「白馬の中庭」に面した馬蹄形の階段で腹心の部下達に別れを告げ、無念の旅立ちをしました。そのためこの中庭は、「別れの中庭」とも呼ばれています。
多くのフランス王家の人々に愛されたフォンテーヌブロー宮殿は、今でも沢山の人々が観光に訪れるなど、高い人気を誇っています。
加藤