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2017年07月09日
子供を育てるためには、叱ることが大切です。
なぜなら、子供は善悪の区別がまだできていないため、何が悪いのか、何が良いのか、分からないからです。
したがって、叱ってもらえないで大きくなると、悪いことを悪いと感じずに平気でやってしまう大人になります。
そうなると、いろんなところでイザコザが起こったり、常識のないやつだと言われて、敬遠されたり嫌われたりして、社会生活をうまく進めていけなくなります。ですから、しっかりと叱ってあげるのは、親の義務であり、責任でもあります。
しかしながら、叱るのではなく、感情に任せて怒る親があまりにも多いです。
感情に任せて怒ってばかりいると、子供は心に傷が残り、人間に対する不信感と恐怖感を抱くようになります。
そして、親の顔色をうかがい、恐怖の中で生活するようになってしまうのです。このような場合、大きくなって力がついてくると、これまでの恨みとばかりに一気に親に反抗しだし、家庭内暴力で親を傷つけたり、非行に走って警察のお世話になることもあります。
叱るのと、怒るのでは、明確に違います。このことに、まずは気付いてください。
叱るとは、感情的ではなく冷静に、やってはいけないことを子供に教えてあげることです。
ここには、子供にきちんとした大人になってほしいという親からの強い愛情が含まれています。
しかしながら、怒るのは、ただ単に腹が立つから、むしゃくしゃするから、感情に任せて怒鳴り散らし、子供に対して手をあげてしまったりするのです。
そして、腹が立つ原因も、親自身が仕事がうまくいってなくてイライラしていたり、人間関係でつまずいていたりして、親自身の問題で発生したイライラを、子供に八つ当たりしていることがほとんどです。
感情に任せて怒るのは、ただ腹が立つから怒るだけであり、そこに、子供にきちんとした大人になってほしいので教育しようという愛情は含まれていません。
感情に任せて怒ることは、その動機そのものが、ヒステリーや虐待、DVと同じ次元にあるのです。ですから、叱ると怒るを明確に区別し、子供がやってはいけないことをしたら、その場ですぐに、「こんなことはやってはいけません!」ときちんと叱るようにしましょう。きちんと叱ってあげれば、その場の雰囲気で、自分のためを思って言ってくれていると子供は理解しますし、悪いことは悪いときちんと認識してくれます。
寺澤
2017年07月03日
反射的にネガティブな考え方をしてしまうことは、自然なことです。
むしろ自動思考によって物事をマイナスに捉えることは、日常生活をつつがなく送るためには必要不可欠とも言えます。
問題は「ネガティブな考え方」ばかりに囚われて、抜け出せなくなることです。一般的に、私たちは自動的にマイナスに物事を捉えて、その後で現実を確認しながら考えを修正していく機能を備えています。しかし、気力が低下しているときには、物事を精査する思考力も低下しているため、マイナス思考から脱出できず、過度に悲観的になってしまうのです。
さらに症状がひどくなれば、「自分はそれに対処できない」「人は助けてくれない」と考えてしまう。そんなふうに考えるうちに、現実がその通りに見えてくる。現実中心ではなく、自分の考え中心になって、心の元気がなくなるという悪循環に陥ってしまうのです。
そこで大事なのは、現実にきちんと目を向けること。現実を客観視できれば、問題に対処する力が出てきます。
その時に自分の考え方の特徴がわかると、行き過ぎた考えにブレーキをかけて、冷静に現実に目を向けやすくなります。
ですから、気持ちが動揺した時は、考え方が極端になりすぎていないか確認してみましょう。そうすれば、自分をより客観視できるようになります。
こうして、考えを整理することができたら、現実を見るだけでなく、自分のビジョンを明確にしていきましょう。この問題を乗り越えた先で、自分はどうなりたいのか。何を成し遂げたいのかを考えるのです。
未来に希望があるからこそ、目の前の現実に立ち向かう勇気も湧いてくるのです。
山本
2017年06月20日
自動車で少々遠出にどこか出かける。出かける時にナビがある人は大体入れる。するとナビがあるから頭使わないで運転できる。最近はAI搭載の自動車すらあるからアクセル踏まない、ハンドルも添えるだけ、ブレーキも勝手に踏んでくれる。まことに快適ですわ。
しかしナビが誘導してくれる道は大体国道になる。休みの日はその国道めがけてナビに誘導された人々が押し寄せるから、また道が混む。それで渋滞になる。渋滞をあらかじめ教えてくれるナビもあるから、今度は渋滞を避ける道を案内してくれる。すると同じようにまたあっちからも、こっちからもナビに誘導された自動車が来る。そうです結局みんな同じことをやっているのです。すべてナビに左右されているのです。
だから私はナビ通りに運転しない。右行けというと直進する。まっすぐというと左に回る。行くべき方向と道の具合と勘を頼りに運転する。
すると同乗者に言われる「ナビと違うとこ走っている」と。
子供には「ナビ通り走るな」と教育している。戸惑うようだが、自動車の運転も人生の自分の運転も同じ。他人様に誘導されたくない。
人間だいたい組織に誘導される。というか上司に目標を与えられ、それに向かう。その目標はある年齢、そう大体社会人6年目ぐらいになると自分で作りだすものなのだが、その目標をもらえないと感じると、人生に不安を感じる。そして悩む。どうしよう。これこそ自動車の運転と同じ。どっちにしろ我々の時代にはナビなどなかった。地図も持ち歩かなかった。携帯もPCもなかった。情報もなく、常に看板と、町の人々に聞いて、適当に走っていた。頼るものは自分だけだった。だから子供にナビ通りに行くなと指導している。
2017年06月20日
子供の時よく学校の先生から「お宅のお子さんは大変素直です」と先生に褒められた経験のある人がいると思う。親としてもとてもうれしいし、子供ながらに先生に褒められるということは良いことなんだと子供も思う。そうです素直なことはいいことなんですね。何がいいかというと「扱いやすい」ということで、暗に自分がない。ロボットみたい。ということです。逆に「この子は何ともしょうがない。目が離せない。仲間を悪い方に先導する」と言われた子供(私みたいな人間)は、先生にとっては全く厄介者なのである。だから家に居ても同じ。私の小さい時は親戚の家をたらいまわしに泊められていた記憶ばかり。そこでやりたい放題。素直さなどない。生意気しかない。社会人になっても闘争心と我慢強さだけはあった。体力にも自信があったが無理にはかなわなかった。今にして思えばそれでも飯食ってこられた。家族もできた。子供たちも育てられ。それで良かった。幸せだったと言える。素直さなどなくても、違ったことで必要とされる。若い時は闘争心であると石原明さんが言う
2017年06月20日
配送3人、業務3人、2F組立3人、1F加工3人 まさに2人3脚の連係プレイである。3人の1日のやるべき仕事が30とする。それを3人が均等に10ずつこなしているわけではない。ある者は6であり、ある者は8であり残りの1人が16こなしている場合もある。いずれにしてもこの3人の内の中心人物が音頭を取り、段取りをし、指示変更し、それでもだめなら自分の力をさらに出すのである。出し切ってしまう時もある。すると「Aさんは6しかできないか、Bさんは8しかできないか。もっとやってくれないと私ばっかり疲れる」となる。これが普通なのである。そこで中心人物がどういう作戦を考えるかである。
3人で集まって、「どうしたらもう少し早く出来ないかな」と話し合うか、Bさんだけ呼んで「Aさんが6しかできないから悪いけどBさんすこしAさんの手伝いしてくれる」と持ち掛けるか、
それとも中心のCさんが、A.Bさんに対して今まで以上に指示を出して自分が思うように動いてもらうのか。
その様子は3人の中の中心人物の作戦で決まってくる。
要は1日の結果30であればよいのだ。ところが石原明さんが言う
「僕は30という目標は5時間ぐらいでやってしまって、残りの3時間を今日の為ではなく、明日のために行動を起こすよ」と。
残りの3時間を明日のために使えば、ただでさえ8時間を5時間でやってしまうのだから、明日は2時間で片付いていることになる。すると翌翌日は今日の仕事ではなく明日の仕事をやっていることになる。
ここに時間の余裕が生まれ、心の余裕と体の余裕とお金の余裕ができてくる。こういう理論である。
時間はお金であり、時間のコントロールができるものが中心人物であり、さらに効率の良いチームは活気があり、エネルギーに満ち溢れ、給料が高くなり、夢が開ける。
夢は夢見るものではなく、実現するものなのである。
昨日「理解したら実行しろ」と習ったが、実行には努力がいるのである。
2017年06月20日
あることをやってみたが反省して次の作戦を立てた。それが成功したかどうか判断できるのには時間がかかる。その間に他のことを反省している。並行して次の作戦を考えている。しばらくするとまた予期せぬことが起きる。それもまた直ちにその場を切り抜けるために考える。行動に移す。しかし前々から行動していたことの反省期限がまたやってくる
そこに基づいてまた作戦を考える。それらを重ね合って実行していくことが社会という物である。学校でも9教科も勉強していた。それだけたくさんの物を毎日々勉強という行動を起こしていたのだから、まだ社会は楽なのかもしれない。
適性検査の欄に「変化対応的業務」という欄がある。これは大体25点である。25点は安定的だが器用さがない。60点は神経が定まらないが機敏に動く。その人の持ち味がある。ただ言えることは大概の人は25点である。だからここに「ナビ通り行くな」理論が出る。25点はナビ通り運転する。これが普通なのである。
2017年06月18日
これまで世界の色々な生涯学習のあり方を見てきました。
イギリスは、生涯学習が積極的に展開される「学習社会」の実現を目指して、高等教育、継続教育、成人教育、職業・技能訓練などの施策として展開してきました。
アメリカ合衆国では、「コミュニティ・カレッジ」など民間のボランタリーな団体が主体となって多様な学習機会を展開してきました。
またドイツの生涯学習は、フォルクスホッホシューレという公立の施設を中心に、幅広い学習プログラムが提供されており、政治や社会問題、環境保護に関する講座など、一般市民の関心の高さと共に市民の政治参加を促す機関としても機能していることが分かります。
デンマークでは農村で発達したアソシエーションが都市へと伝播し、労働者を中心とする政治的および社会的な力へと発展していきました。
ブラジルの生涯学習では、基本的な識字率を上げると共に、オリンピック・パラリンピック等、国際機関や国際的施策と共同協調して展開するものも少なくありませんでした。
しかし、ヨーロッパ諸国には常に移民問題がつきまとい、アメリカやブラジルでもそれぞれの国の問題を抱えています。
日本と世界を比較してみると、やはり生涯学習を行う人々の年齢が一番のちがいではないでしょうか。世界では、成人した後も学習をできるように色々な施設が解放されており、50代、60代になっても学習する意欲が強いように感じます。それに比べて日本は成人の生涯学習率が最低だそうです。このような結果もあり、世間では生涯学習が浸透せず、「形だけ」で終わってしまう状況にあります。
2020年東京オリンピック・パラリンピックが開催されますが、ブラジル同様この祭典も生涯学習の一部なのです。スポーツは、性別・年齢関係なく、誰もが夢中になれるものです。選手は選ばれた人しかなれませんが、見るだけでしたら誰でもできます。選手の活躍を見て自分もやってみたいと思う人も出てくると思います。その活動の拠点として生涯施設があるのです。「勉強」という堅いイメージではなく、まずは「興味を持って体験してみる」ことから始めていけば、成人の生涯学習率も徐々に上がっていくのではないでしょうか。
岡田
2017年06月11日
家族心理学者のある調査によりますと、日本の子供達は、外国の子供達と比較すると、家事を手伝わない割合が非常に高いことが分かりました。
たとえば、アメリカの子供達は、自分から進んで家事をおこない、家事をして協力することが当たり前のように、熱心に取り組んでいる子が多いということです。
家事をおこないますと、物事の理屈やチームワーク、効率を上げるコツや、自分の役割についての理解など、様々な点において、子供の発達が促されるのです。
しかしながら、日本には、古くから「家事は母親の仕事」という考え方があるため、家事は全て母親に任せっきりで、父親のみならず、子供達も家事を手伝わないのです。
また、最近では、洗濯機、掃除機、炊飯器など、電化製品が家事をやってくれるようになっています。 これも子供達が家事を手伝わなくなってきた原因の一つとなっています。
でも、海外の子供達は、電化製品が家庭に入り込んで、家事が簡単になってきている今でも、熱心に家事に取り組みます。 ですので、日本の子供達が家事を手伝わない傾向にあるのは、やはり、「家事は母親の仕事」という考え方にあるようです。
家事をおこないますと、自分の役割を認識し、自分の仕事をおこなうことで、家族に喜んでもらえるというとても貴重な体験をすることができます。 そして、これが、子供の人間性形成に非常に役に立つのです。
したがいまして、電化製品を使っての掃除になりますが、やはり、子供達には極力、家事を手伝ってもらう方がいいでしょう。 たとえば、洗濯機での洗濯は、長女に任せる、ある部屋の掃除機がけは、長男に任せるなど、買い物は、次男坊に任せるなど、役割分担を決めてしまうのがいいです。 そして、家事をやってくれた時には、一生懸命、褒めてあげてください。そうすることで、自分の役割を遂行する意義と楽しさを、しっかりと理解してくれるようになります。
寺澤
2017年06月04日
将来への漠然とした不安や職場での人間関係の悩み・・・。現代の社会人は、何に悩んでいるのか把握できないほど、多くのストレスを抱えています。そんな時はまず、一つずつ悩みを書き出して思考を整理してみることがよいでしょう。なぜなら、悩みは「思い込み」であるケースが多少あるからです。
私たちは日頃、ほとんどの判断を無意識に行っています。全て熟考していては時間がいくらあっても足りないからです。いわば「自動思考」によって判断・行動して、生活しているわけです。とくに、精神的に疲れている時ほど、自動思考で情報を処理してしまいがちです。しかし、自動的な判断は、基本的にマイナスの部分を大きく捉える傾向があります。そのため、心が疲れている時ほど、漠然とした不安が大きく広がってしまうのです。
ここで、一度立ち止まって自分の考え=認知を客観的に振り返ってみると、意外なほどネガティブな感情に囚われて、悪い思い込みをしていたことに気づけるのです。
誰かに相談できれば「考えすぎ」「心配する必要はない」などといった客観的な意見に触れることができますが、人に相談するということは簡単なようで実はハードルが高いものです。あまりに悩みが深ければ相手も受け止めきれないからです。
そこで、書き出すことによって自分の気持ちや考えを俯瞰する「もう一人の自分」を作ることができれば、他人ではなく「自分」に相談できるようになります。すると、自然と気持ちが楽になり、今後どう行動すべきかが見えてくるかもしれません。
山本
2017年05月26日
「可愛い子には旅をさせよ」とは、我が子が可愛いなら、親の元に置いて甘やかすことをせず、世の中の辛さや苦しみを経験させたほうがよいということ。類義に「獅子の子落とし」=「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」というものがある。わが子に厳しい試練を与え、その器量を試すことで一人前に育てることができるというたとえである。
昭和20~30年代生まれの人々は案外このようにして育てられた。育てている親世代が戦前・戦中生まれの者だったから、それはそれは厳しく育てた。
しかしその子供たちは生まれながらにしてデフレ時代で育ってきているので、なかなか夢のために努力するとか、寝る間を惜しんで働くという気持ちがなかなか起きてこない。生まれ育った環境が違うためである。
2030年には新築は55万個まで落ち込むという予測がある。最近100万個を切ると大騒ぎになったものだが、それの半分までに落ち込む。つまり今からの若者は持ち家を欲しないという表れである。
ではリフォームはというと戦後昭和40年代に持ち家ブームでずいぶん家が建ったのだが、その家も今は1回目のリフォームを迎えている。しかしその後の2回目のリフォームはされるかというと、2回目はないであろう。
現在中古の家が2000万個に膨れ上がったとニュースになっている。リフォームというお仕事も減りつつある表れであろう。
今後は建築業界はどのように展開していくのであろうか。
現代の中学では高校入試の面接訓練で自分を偽って高校の先生にいかに自分を立派に見せるかという指導をしているということである。とにかくこの時は「こういう夢があります。こういう目標を持って頑張っています」としっかり語る。まるで哲学者のように。しかし現実に社会で働き始めると哲学者はどこかにいってしまうのである。
自分をかざることよりも、厳しい試練にむかっていくことを、覚えてもらいたいものである。