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第181回 変わるきっかけ

2017年08月06日

人生には転機があります。 『転機』とはその者の人生を良い方向か悪い方向か変わるきっかけとなる出来事です。

人生は平穏で安全が保障されていたとしても転機は訪れて欲しいとは思いませんか?

人の一生には転機が3回訪れるとされています。それは結婚・仕事・家族を持つなどのことから買い物・芸術物など様々で、その時は大きな物事ととらえないことも多いとされます。20代の半ば頃に1回、30代後半に1回、50代前半に1回、合計3回人生には転機が訪れてくるだろうとの言われは、ひとつの目安であって、生きていく上で価値観や生きがいに対する目覚め・気づきがその年齢ほどに成長することで出会える確立とされています。実際には、必ず転機が訪れはするが回数や内容は人それぞれ違うことはあるでしょう。

人生に転機が訪れる理由とは、より良い人生を送る為に必要なプロセスの一つで、転機とは人生で言うところの谷の部分なのではないでしょうか。人は皆、波瀾万丈な山あり谷ありの人生よりも、穏やかで波の少ない人生を夢見ることがあります。しかし少なからず穏やかで平坦な人生は無いのではないかと思います。そして、山にいる時には気付くことのできなかった、谷になった時に見えてくる風景というものがあります。人は谷底に落ち、這いあがってくることで、人として成長していくんだと思います。それが転機と呼ばれるものであって、その転機を上手に乗り越えることによってより良い人生を送ることができるのです。

人生の転機は意外に気づかない所で始まってきています。アメリカの実業家スティーブ・ジョブスの言葉にこんな言葉があります。

 

もし今日が人生最後の日だとしたら、今やろうとしていることは本当に自分のやりたいことだろうか?

 

山本

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第180回 仕事とは限られた予算と時間と能力の中でやることです

2017年07月27日

仕事とは限られた予算と時間と能力の中でやることです。

もっと時間がほしいなら時間のコントロールを覚えるしかない。

もっと能力がほしいなら時間をかけるしかない。

もっとお金が欲しいなら少ない人出でやるしかない。

どう考えても答えは壁に突き当たる。突き当たることが解らないと不満が出る。不満が貯まると仕事がやりたくなくなる。世間が悪く見える。

とどのつまり辞めます。  やめると一時的には人出で困るが、会社の経費は減るから、社員としては助かる。この不景気の中、またこの不安定な中、不満たらたらと一緒に仕事しているとこっちまで気がめいってくるから。

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第179回 時間とお金と命(健康)は価値がどれも同じ

2017年07月18日

若い時は、時間は無限にあり、健康であることも当たり前のように感じている。いや時間の観念や健康について深く考えることなどなかったと言っても良い。その日暮らしの気ままな生き方。しかしいつの時からか時間という物の価値に目覚め、時間はお金で買えないということ、そこに生命

つまり健康・寿命という物があることに気がつく。その時から自分の生きているスピードと同じ部類の人としか気が合わなくなり、自然と若者から遠ざかってしまうのも、これまた自然の原理なのであろうか。唯一接点があるとしたら「伝承」であろうか?しかし、これもまずは若者が立ち上がらないと!いくら伝えるべきことがあっても 相手がその気でなければまた、経験者も中途半端なものであろう。ここに哲学があるなしの差が出る。

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第178回 これからの生涯学習

2017年07月18日

一番最初に『「生涯学習」とは、人々が自発的に「自己の充実」、「生活の向上」、「職業能力の向上」の為に、学ぶ内容を選び、充実した人生を送ることを目指して生涯にわたって行う学習のことです。』というように説明しました。

そして、これまで図書館や博物館、美術館の役割、生涯スポーツ、世界の生涯学習を取り上げてきました。それにより、現代の日本の生涯学習において様々な課題が見えてきました。

現代社会は、パーソナルコンピューターや携帯電話が普及し、日常生活にも欠かせないものとなりました。インターネットと電子メールを通じて、世界中から多種多様で大量の情報を集め、匿名の他者とのコミュニケーションをとることが容易になり、また、パーソナルコンピューターや携帯電話による情報発信機能は、「いつでも・だれでも・どこでも」社会参加と生涯学習の機会を生み出す可能性に開かれています。このような機能を積極的に活用できる、「情報選択・運用能力(メディア・リテラシー)」を身につける学習が求められます。

現在ではメディアの利点を生かし、地域の交流とつながりが生まれる仕組みづくりを進めていくこともできるようになりました。むしろ今の時代はメディアを活かした取り組みが主流になってきているでしょう。しかし、他方で個人情報の流出問題や、インターネットを介しての誹謗中傷などの問題が、大人のみならず子どもの間でも起こっています。また、真偽のわからない情報に惑わされ、誤った情報を元に行動を起こしてしまう可能性も孕んでいます。そのためにも、私たちには情報を見極め、選択し、安全に活用していく力である「情報選択・運用能力(メディア・リテラシー)」が求められているのです。こうしたメディア活用の適切な方法を学ぶことは、老若男女を問わず重要な課題となってきます。

また、私たちの暮らす現代社会の課題解決に共通することは、課題のそれぞれが世代内や特定の集団内のみで解決できる内容ではなく、世代・立場・活動内容を超えたつながりの視点から、ものごとを捉え直してみることの必要性です。社会には、年齢も職業も違い、人生や社会の経験も異なり、さまざまな考えを持った人々が暮らしています。個人や組織が、単独では解決できない課題を解決するためには、個人と個人、個人と組織、組織と組織が、相互に対等な関係を築きながら有機的につながり合い、協力しあっていくことが求められています。地域には、町会活動のほかにも、青少年育成活動、まちづくり活動、社会福祉活動、自主学習活動など、さまざまな自立的な活動が展開しています。このような地域のさまざまな組織、団体、グループ同士が連携したり、協働したりすることで、これまでにない発想を生み出したり、相乗効果による新しい可能性を広げることが期待できます。

また、これまで、多くの課題は「カネ」や「モノ」などの物質を投入する手法で解決することもできました。しかし、限りある社会資源を効率良く活用していくためには、人々が「知恵」を出し合い、新しい発想や仕組みを考え出し、課題を解決していくことが求められています。子育て支援、若者の社会的自立や社会参加、高年齢層の社会参加など喫緊といわれる個別課題も、複合的に捉えなおすことにより、多様な学習を生み出す互恵的な関係の場が生まれます。地域の多様な学習資源・社会資源がつながることで、多世代間交流の場、相互支援の場、次世代育成の場、学習成果の還元の場として再構成することが課題解決の鍵になっていきます。

これまで、「生涯学習」という言葉は、人生後半の趣味や生きがいづくりのための学習というイメージが強く持たれてきましたが、時代の移り変わりや私たちの生活様式の多様化にともなって、私たちが学ぶ環境や目的にも変化が現れています。今やインターネットを使いこなせないと時代に乗り遅れてしまいますし、様々なものが電子化されてきて便利な社会になってきています。しかし、全ての物を使いこなすというのは無理があります。そのため、現代では簡略化が進み、お年寄りや子供でも簡単に操作できる電子機器が増えてきました。充実した人生を送るために学習するということは、日々変化していく現在の社会を生き抜くための術を学ぶというように言えると思います。それは老若男女すべての世代に言えることであり、これから生涯学習の幅はどんどん広がっていくでしょう。そして、学習の方法についても多様化が求められる時代になってきたのだと考えることができるのです。

岡田

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第177回 子供を叱るのと、怒ることの違い

2017年07月09日

子供を育てるためには、叱ることが大切です。

なぜなら、子供は善悪の区別がまだできていないため、何が悪いのか、何が良いのか、分からないからです。

したがって、叱ってもらえないで大きくなると、悪いことを悪いと感じずに平気でやってしまう大人になります。

そうなると、いろんなところでイザコザが起こったり、常識のないやつだと言われて、敬遠されたり嫌われたりして、社会生活をうまく進めていけなくなります。ですから、しっかりと叱ってあげるのは、親の義務であり、責任でもあります。

 

しかしながら、叱るのではなく、感情に任せて怒る親があまりにも多いです。

感情に任せて怒ってばかりいると、子供は心に傷が残り、人間に対する不信感と恐怖感を抱くようになります。

そして、親の顔色をうかがい、恐怖の中で生活するようになってしまうのです。このような場合、大きくなって力がついてくると、これまでの恨みとばかりに一気に親に反抗しだし、家庭内暴力で親を傷つけたり、非行に走って警察のお世話になることもあります。

 

叱るのと、怒るのでは、明確に違います。このことに、まずは気付いてください。

叱るとは、感情的ではなく冷静に、やってはいけないことを子供に教えてあげることです。

ここには、子供にきちんとした大人になってほしいという親からの強い愛情が含まれています。

 

しかしながら、怒るのは、ただ単に腹が立つから、むしゃくしゃするから、感情に任せて怒鳴り散らし、子供に対して手をあげてしまったりするのです。

そして、腹が立つ原因も、親自身が仕事がうまくいってなくてイライラしていたり、人間関係でつまずいていたりして、親自身の問題で発生したイライラを、子供に八つ当たりしていることがほとんどです。

 

感情に任せて怒るのは、ただ腹が立つから怒るだけであり、そこに、子供にきちんとした大人になってほしいので教育しようという愛情は含まれていません。

感情に任せて怒ることは、その動機そのものが、ヒステリーや虐待、DVと同じ次元にあるのです。ですから、叱ると怒るを明確に区別し、子供がやってはいけないことをしたら、その場ですぐに、「こんなことはやってはいけません!」ときちんと叱るようにしましょう。きちんと叱ってあげれば、その場の雰囲気で、自分のためを思って言ってくれていると子供は理解しますし、悪いことは悪いときちんと認識してくれます。

寺澤

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第176回 マイナス思考のスパイラルに注意

2017年07月03日

反射的にネガティブな考え方をしてしまうことは、自然なことです。

むしろ自動思考によって物事をマイナスに捉えることは、日常生活をつつがなく送るためには必要不可欠とも言えます。

問題は「ネガティブな考え方」ばかりに囚われて、抜け出せなくなることです。一般的に、私たちは自動的にマイナスに物事を捉えて、その後で現実を確認しながら考えを修正していく機能を備えています。しかし、気力が低下しているときには、物事を精査する思考力も低下しているため、マイナス思考から脱出できず、過度に悲観的になってしまうのです。

さらに症状がひどくなれば、「自分はそれに対処できない」「人は助けてくれない」と考えてしまう。そんなふうに考えるうちに、現実がその通りに見えてくる。現実中心ではなく、自分の考え中心になって、心の元気がなくなるという悪循環に陥ってしまうのです。

そこで大事なのは、現実にきちんと目を向けること。現実を客観視できれば、問題に対処する力が出てきます。

その時に自分の考え方の特徴がわかると、行き過ぎた考えにブレーキをかけて、冷静に現実に目を向けやすくなります。

ですから、気持ちが動揺した時は、考え方が極端になりすぎていないか確認してみましょう。そうすれば、自分をより客観視できるようになります。

こうして、考えを整理することができたら、現実を見るだけでなく、自分のビジョンを明確にしていきましょう。この問題を乗り越えた先で、自分はどうなりたいのか。何を成し遂げたいのかを考えるのです。

未来に希望があるからこそ、目の前の現実に立ち向かう勇気も湧いてくるのです。

 

山本

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第175回 自動車のナビの使い方は

2017年06月20日

自動車で少々遠出にどこか出かける。出かける時にナビがある人は大体入れる。するとナビがあるから頭使わないで運転できる。最近はAI搭載の自動車すらあるからアクセル踏まない、ハンドルも添えるだけ、ブレーキも勝手に踏んでくれる。まことに快適ですわ。

しかしナビが誘導してくれる道は大体国道になる。休みの日はその国道めがけてナビに誘導された人々が押し寄せるから、また道が混む。それで渋滞になる。渋滞をあらかじめ教えてくれるナビもあるから、今度は渋滞を避ける道を案内してくれる。すると同じようにまたあっちからも、こっちからもナビに誘導された自動車が来る。そうです結局みんな同じことをやっているのです。すべてナビに左右されているのです。

だから私はナビ通りに運転しない。右行けというと直進する。まっすぐというと左に回る。行くべき方向と道の具合と勘を頼りに運転する。

すると同乗者に言われる「ナビと違うとこ走っている」と。

子供には「ナビ通り走るな」と教育している。戸惑うようだが、自動車の運転も人生の自分の運転も同じ。他人様に誘導されたくない。

人間だいたい組織に誘導される。というか上司に目標を与えられ、それに向かう。その目標はある年齢、そう大体社会人6年目ぐらいになると自分で作りだすものなのだが、その目標をもらえないと感じると、人生に不安を感じる。そして悩む。どうしよう。これこそ自動車の運転と同じ。どっちにしろ我々の時代にはナビなどなかった。地図も持ち歩かなかった。携帯もPCもなかった。情報もなく、常に看板と、町の人々に聞いて、適当に走っていた。頼るものは自分だけだった。だから子供にナビ通りに行くなと指導している。

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第174回 素直さもいいけどいつまでもそれだけでは通用しない

2017年06月20日

子供の時よく学校の先生から「お宅のお子さんは大変素直です」と先生に褒められた経験のある人がいると思う。親としてもとてもうれしいし、子供ながらに先生に褒められるということは良いことなんだと子供も思う。そうです素直なことはいいことなんですね。何がいいかというと「扱いやすい」ということで、暗に自分がない。ロボットみたい。ということです。逆に「この子は何ともしょうがない。目が離せない。仲間を悪い方に先導する」と言われた子供(私みたいな人間)は、先生にとっては全く厄介者なのである。だから家に居ても同じ。私の小さい時は親戚の家をたらいまわしに泊められていた記憶ばかり。そこでやりたい放題。素直さなどない。生意気しかない。社会人になっても闘争心と我慢強さだけはあった。体力にも自信があったが無理にはかなわなかった。今にして思えばそれでも飯食ってこられた。家族もできた。子供たちも育てられ。それで良かった。幸せだったと言える。素直さなどなくても、違ったことで必要とされる。若い時は闘争心であると石原明さんが言う

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第173回 2人3脚で仕事する

2017年06月20日

配送3人、業務3人、2F組立3人、1F加工3人 まさに2人3脚の連係プレイである。3人の1日のやるべき仕事が30とする。それを3人が均等に10ずつこなしているわけではない。ある者は6であり、ある者は8であり残りの1人が16こなしている場合もある。いずれにしてもこの3人の内の中心人物が音頭を取り、段取りをし、指示変更し、それでもだめなら自分の力をさらに出すのである。出し切ってしまう時もある。すると「Aさんは6しかできないか、Bさんは8しかできないか。もっとやってくれないと私ばっかり疲れる」となる。これが普通なのである。そこで中心人物がどういう作戦を考えるかである。
3人で集まって、「どうしたらもう少し早く出来ないかな」と話し合うか、Bさんだけ呼んで「Aさんが6しかできないから悪いけどBさんすこしAさんの手伝いしてくれる」と持ち掛けるか、
それとも中心のCさんが、A.Bさんに対して今まで以上に指示を出して自分が思うように動いてもらうのか。
その様子は3人の中の中心人物の作戦で決まってくる。

要は1日の結果30であればよいのだ。ところが石原明さんが言う

「僕は30という目標は5時間ぐらいでやってしまって、残りの3時間を今日の為ではなく、明日のために行動を起こすよ」と。

残りの3時間を明日のために使えば、ただでさえ8時間を5時間でやってしまうのだから、明日は2時間で片付いていることになる。すると翌翌日は今日の仕事ではなく明日の仕事をやっていることになる。

ここに時間の余裕が生まれ、心の余裕と体の余裕とお金の余裕ができてくる。こういう理論である。
時間はお金であり、時間のコントロールができるものが中心人物であり、さらに効率の良いチームは活気があり、エネルギーに満ち溢れ、給料が高くなり、夢が開ける。

夢は夢見るものではなく、実現するものなのである
昨日「理解したら実行しろ」と習ったが、実行には努力がいるのである。

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第172回 反省して成果が出るのに時間がかかる

2017年06月20日

あることをやってみたが反省して次の作戦を立てた。それが成功したかどうか判断できるのには時間がかかる。その間に他のことを反省している。並行して次の作戦を考えている。しばらくするとまた予期せぬことが起きる。それもまた直ちにその場を切り抜けるために考える。行動に移す。しかし前々から行動していたことの反省期限がまたやってくる

そこに基づいてまた作戦を考える。それらを重ね合って実行していくことが社会という物である。学校でも9教科も勉強していた。それだけたくさんの物を毎日々勉強という行動を起こしていたのだから、まだ社会は楽なのかもしれない。
適性検査の欄に「変化対応的業務」という欄がある。これは大体25点である。25点は安定的だが器用さがない。60点は神経が定まらないが機敏に動く。その人の持ち味がある。ただ言えることは大概の人は25点である。だからここに「ナビ通り行くな」理論が出る。25点はナビ通り運転する。これが普通なのである。

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