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第167回 仕事は積み木を積み上げて崩されてまた積み上げて これの繰り返ししかない

2017年05月21日

どの会社も今年こそということで新入社員を採用する。一生懸命に研修する。気を遣う。時に飲みに連れていく。時に自分の学んできたことを教える。ところが教えられている側はそれが当たり前のようにとらえる。
教えてもらって当たり前。飲みに連れて行って当たり前。新人だからお客さん扱いされて当たり前。仕事はわかる物のみさせられて当たり前。そして週休2日。残業いや。叱られるなんてもってのほか。
これがわかっていても会社は採用する。「また辞めるからな」これが会社として当たり前のこととなっているから。しかし入社前の学生は夢持って入ってくる。企画がしたい。経理がしたい。営業したい。
会社側はこう思っている「そんなに狭い範囲で人生を決めて大丈夫」自由がない。素質がなかったら生きる道ない。自分よりできる人が来たら即座に居場所なくなる。
それでも学生は狭い範囲を希望する。そして安定できて、給料が多くて、みんな知っている認知度の高い企業に入りたい。その通りです。それですべて終わり。皆一流企業で活躍して貧乏人無し。
だったらなんで大企業は毎年毎年考えられないほど新人を採用するの? そうです。それはそれだけ辞めていくからなんですね。
藤榮でも同じです。人の採用→教育→会社を稼いでもらう→定着して後輩を育てる これを来る日も来る月も来る年も全力で取り組んでいる。全力で積み木を積み上げようとしている。
しかし1年たって仮に新入社員が2人入ってくれたとすると、同じように2人辞めていかれる。 これで積み上げた積木はあっという間に崩れる。

一生懸命教えて育てたことが「無」「空」になってしまうのである。仕事なんて人生なんてこれの繰り返しでしかない。

そうであるから企業は人工知能を重宝し、機械を積極的に活用しようとするのである。

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第166回 世界の生涯学習~ブラジル~

2017年05月14日

ブラジルは1822年にポルトガルの植民地から独立しましたが、独立後大きな課題となったのが、公教育の普及です。植民地支配の間、学校や社会教育施設などの生涯学習に係るインフラの設備は遅れており、さらに奴隷制によるプランテーション経営を展開していたため、1888年の奴隷解放後の被解放者に対する教育をはじめさまざまな教育課題が存在していました。

そのような社会背景から、ブラジルの生涯学習では義務教育を修了していない青年・成人の補償教育や識字教育が、国家の教育政策や地域の教育における重要な取り組みの一翼を担っています。ブラジルでの特徴的な識字教育として、一つは機能的識字教育をあげることができます。その代表的な活動には、国家レベルの「ブラジル識字運動」および「青年成人教育のための国家財団」があります。さらに、フレイレに代表される貧しい農民などの自立と連動した成人識字教育があげられます。

また、ブラジルは国土が広く、なかには通学が困難な地域もあります。そのため、補償教育的な機能も兼ね備えた通信教育が盛んとなっています。

ブラジルは多人種国家です。原住民に加え、ポルトガルやドイツ、イタリアやヨーロッパや日本などのアジアからの移民やアフリカから連れて来られた人々など、様々な人種が融合して文化を形成しています。そのためブラジルではさまざまな文化活動やスポーツ活動が盛んで、今日ではリオのワールドカップなど、文化やスポーツの分野で世界的に名をはせているものもあります。その基盤となっているのは、近隣の地域単位のものからプロ養成に至るまでの地域のさまざまなサンバスクールやスポーツ学校などで、これらは地域での文化・スポーツ活動の振興に役立っています。さらに、博物館類をはじめ、競技場など優れた文化・スポーツ施設も数多く建設されており、人々の生涯学習に寄与しています。

ブラジルの生涯学習政策は、国際機関や国際的施策と共同協調して展開するものも少なくありません。例えば1992年にリオで開催された地球サミット、2012年に再びリオで開催されたリオ+20があります。そして、2016年にはリオオリンピック・パラリンピックが開催されました。また教育省から分化したスポーツ省は、スポーツを核として総合的に社会の発展を目指す政策を実施すると同時に、このオリンピック・パラリンピックを契機に、地域での生涯スポーツの促進とスポーツ支援ボランティアの育成にも力を入れています。

岡田

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第165回 親の面倒を見ることができるか

2017年05月07日

誰でも、生まれてきた時は赤ん坊であり、自分一人では何もできないので、両親に養ってもらいます。

ミルクを飲ませてもらったり、ご飯を食べさせてもらったり、おしめを交換してもらったり、歯が生えてきたら、歯を磨いてもらったり、周囲の危険から身を守ってもらったりと。

赤ん坊の時から、全て自分でできる人はいません。

 

ですので、自分一人でできないことを、親に助けてもらうという時代をみんな経験するのです。そして、親が年老いて、自分一人では何もできなくなり始めると、介護という問題に巻き込まれていきます。

 

しかし、年老いた親の面倒なんてみたくないという人も多いかもしれません。

ですが、自分自身が子供だった時、親に面倒をみてもらったことを思い出す必要があります。

親に借りがあると考えて、親の面倒をみて、借りを返していくのがもっともよい方法なのです。

 

もし、親の面倒なんてみたくないと言って、本当に面倒をみなかったらどうなるかと言うと、今度は、自分自身が年老いた時に、誰にも面倒をみてもらえなくなります。

 

その時に親の面倒をみた人は、鏡の法則により、自分自身が怪我や病気で自分一人では生活できなくなったり、年老いて自由に動けなくなった時には、誰かしら面倒をみてくれる人が現れます。

 

逆に、親の面倒をみずに放置した人は、今度は自分自身が病気や怪我、老化により、不自由になった時、周囲からのサポートが得られず、見捨てられます。

以上のことから、親の面倒をみるのは、自分が子供時代に面倒をみてもらった恩返しと考え、自分自身の面倒をみるのと同じことだということを深く認識して、しっかりと親の面倒をみていくのが良いでしょう。

寺澤

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第164回 力の抜きどころ

2017年05月01日

あらゆる仕事は、複数のタスクで構成されるものです。そしてそこには、重要なタスクとそうでないタスクがあります。

売上げの8割は全顧客の2割が生み出しているという「パレートの法則」をご存じの方も多いでしょう。これは、どんな仕事でも同様。つまり、成果につながる重要度の高い20%のタスクにこそ集中すべきなのです。それを踏まえず、すべてに力を注ぐのが「完璧主義」。一方で、20%に集中するのが「最善主義」。両者の違いは、リスクの見極めができているか否かに表われます。

すべての仕事に全力を注ぐのは、力の入れどころ・抜きどころを理解していないからです。業務で手を抜くことはリスクですが、時間は有限。選択と集中は必須です。「最善主義の人」はそれを理解したうえで、成果への最短距離と最小時間を意識して、仕事を進めます。結果、完璧主義者が残業に明け暮れるのを尻目に、最善主義者は手早く仕事を済ませます。そして完璧主義者を上回る成果を出すこともしばしば。どちらが効率的でかつ「得」かは明白です。完璧主義の殻を打ち破るには、その完璧主義思考がどこから来るかを知る必要があります。完璧主義には、3つのタイプがあります。

1つ目は「理想主義タイプ」。妥協や手抜きを嫌い、完全を目指しすぎるため、何をするにも時間がかかります。

2つ目は「白黒思考タイプ」。1か0かで物事を判断し、失敗を過度に恐れるのが特徴。第一歩が踏み出せない、トライできない、というためらいが時間の空費を招きます。

3つ目は「否定が怖いタイプ」。このタイプは周囲の低評価を極度に恐れます。「これ、手抜きじゃない?」と相手に思われたくないがために、細部まで過剰にこだわってしまうのです。

改善法はタイプによって異なりますが、共通する2つの習慣が突破口になります。

1つは「時間制限」。意識的にスケジュールをタイトにするのです。すると当然、業務のオーバーフローが起こり、タスクのうちのどれかを「しない」と決めざるを得なくなります。この習慣は、重要性の判別力を鍛える効果があります。とっさにどれかを「しない」と選ぶ、その繰り返しの中で、力の抜きどころを徐々に学習できます。

2つ目の習慣は「こまめに目的に立ち返ること」。なんのためにこの仕事を行なうのかを常に意識すると、目的と合致しないタスクを発見できます。たとえば細部の品質にこだわって、早い納品を望む顧客を待たせるのは「顧客満足」という目的を見失っていることがわかるでしょう。

「しないこと」を決められない人は、タスクを大きな塊かたまりとして漠然と捉える傾向があります。その結果、目の前の作業に片っ端から手をつけるという仕事の仕方になり、多くの時間を浪費してしまいます。

「すること」と「しないこと」を見極め、どのタスクにどれだけの力を入れるのか。抜くのか。つまりはメリハリが大切です。

 

山本

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第163回 新卒社員の3割は人事が「神対応」しても辞める

2017年04月21日

「こんなはずじゃなかった」を解消するべく、就業体験という形でインターンシップを積極的に行う企業もある。だが、それでも「3年で3割」問題は、一向に解消する気配はない。なぜなのか。?この問題の一番大きな原因は、新卒採用のプロセスで「企業が学生に見せている姿」と「本来の姿」とのギャップにあるのではないか。まず大きな原因に、企業説明会と採用サイトがある。各社の人事は、旬の事業や輝いている社員を紹介して、学生に自社の魅力を紹介する。「入社したら自分もその仕事ができる」「同じように輝いた社員になれる」?学生は期待を寄せ、入社意欲を高める。しかし、実際の仕事は輝いたものばかりではなく泥臭い部分も多い。特に入社後の数年間は、下積みのような仕事をすることが多いだろう。?このギャップが、冒頭に挙げた「こんなはずじゃなかった」を生み出してしまうのだ。採用プロセスにおいて、学生は丁寧に扱われる。「出会った学生はSNS(Facebook)でつながり、毎日質問に回答しています」「学生との面談後は必ずエレベーターまで送ります」

「人事から『学生に良い印象を持って帰ってもらうよう』指示されています」「合同説明会でブースに来た学生には、一人ひとりに名刺を渡しています。『何かあればいつでも相談してください』と言うと、学生の反応が良い」もはや学生というよりお客さまといってもいいほど、丁寧な対応だ。一方、入社後はそこまで丁重に扱われることは少ない。上司と部下という関係のため、ときには厳しい言葉を受け取ることもあるだろう。ここにギャップが生まれてしまっている。ここまで説明してきたギャップを埋めるためにも有効なのがインターンシップだと考えられてきた就業体験を通してミスマッチを防ぐ効果が期待されたのだが、実際は、残念ながらその機能を果たせていないものも多い。学生に聞くと次のような答えが返ってくる。「インターンシップと言っても、会議室でグループワークをするだけ。たまに若手社員の人がアドバイスをくれるが、実際の仕事のイメージは持ちにくかった」?企業の中には、実際の職場に学生を入れて、実際の業務を任せるところもある。しかし、まだ全体の中で占める割合はかなり低い。中には「何があっても職場だけは学生に見せられない」という企業もある。なぜフロアに入れないのかを聞くと、「説明会で見せている企業の姿や社員と実際にはギャップがある。学生たちの失望を生むから見せることができない」という回答が。たしかに、一部ベンチャー企業のように、若手が活き活きと仕事をし、上司や先輩との関係もフラットで、普段からオープンな議論が交されているような、活気ある職場だったら問題ないだろう。しかし、若手がベテランにものを言える雰囲気でなかったり、明らかにやる気のない社員がいる職場だったり、私語ひとつなくシーンと静まり返りカチャカチャとパソコンを叩く音だけフロアに響いていたとしたら…。

以上のような状況が重なり合うことで、理想と現実のギャップの溝は開いていく。

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第162回 厚生労働省が大卒の3割が3年で会社を辞めてしまうという調査結果を発表しました。

2017年04月21日

「最近の若者は我慢する力がない」といった声も出ているようですが、実は3年で会社を辞めてしまうという傾向はずっと昔から変わっていません。3年の間に離職する率は、1年目が13.1%ともっとも高く、2年目は10.3%、3年目は8.9%と下がっていきます。とにかく会社が嫌で辞めてしまうというのは1年目に多いことが分かります。3年目の離職者の中には、もしかするとかなり前向きな転職もあるかもしれません。当たり前のことですが、社会人1年目は、学生時代の常識が通用せず、ショックを受けることも多いですから、企業としてはこの時期のケアが重要ということになります。

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第161回 今はアパートとホテル建設ラッシュ

2017年04月21日

日銀マイナス金利政策の為お金を安く借りられる。不動産を持っている人はいずれ相続税に悩まされる。そこで飛びつくのがアパート経営。

土地の上に建物を建て、それを貸出すると土地の相続価格は60%に落ちる。昨年相続税が上がったのでそろってこのアパート建設に向かっているのである。

今一つはホテル建設ラッシュ。オリンピックに向けてとにかく建てる。立て直しもある。どんどん2年後を見越して、お金を使うのである。

さてアパート経営は投資したお金が回収できないのだが、相続税さえ安くなれば投資してもいいという考え方だ。積算は税金対策である。

しかしホテルは税金対策ではなく純粋に回収目的である。しかもその投資が外資系と来ているからたまらない。外資系は建てるだけ建て、目標の期間が終わったらさっさと投げ売りにでる。損しないように逃げる。それを買わされるのが日本である。オリンピック後は湯冷めした恋のようにむなしさが漂う。これがバブルのはじけ現象である。その後再び長いデフレが起きる。そして会社も人間も「能力」の争いとなる。

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第160回 学生のリクルートが2段階に入り始めました

2017年04月21日

1段階目はまず藤榮の会社を覗いてもらうことです。会社内での働く層と仕事ぶり、そして仕事内容を観察してもらうことです。今年も色々見学に来てもらった中で、会社も良し、学生も良しとなった場合、改めて2段階に進みます。2段階目は適性検査とコミュニケーション。 この学生を採用して一人前に仕事をしてくれるだろうか、足を引っ張ることは無いだろうか、この学生が入った時は配置換えが発生するが自分達もうまくなじんでいけるだろうか。 結論的に言って自主性がない学生は社長としては面倒見れない。学校は丁寧に手ほどきしてくれる。しかし社会はその手ほどきが終わった者のみがほしい。人柄が良いとか、学問ができるなんか関係ない。この人は社会人としてルールを守るだろうか。一人前に仕事こなしてくれるだろうか。ただこれだけである。それがやれて初めて藤榮の一員である。ダメと思ったら採用してはいけない。そこにお互いの人生とお金がかかっているからである。慌てず次の出会いを待つのである。

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第159回 世界の生涯学習~デンマーク~

2017年04月16日

北欧諸国は豊かな生活水準や充実した福祉国家政策でよく知られています。

デンマークでは、16世紀前半の宗教改革から18世紀後半の学校改革に至るまで、教会が主要な成人教育の機関でした。18世紀後半、近代市民の啓蒙思想がもたらされると夜間学校の設立が相次ぎ、国家は部分的に学校を教会の支配から解放します。1864年「国民国家」思想が台頭したときに登場したのが神学者グルントヴィによる国民啓蒙教育の思想でした。

グルントヴィが重視したのは「生きた言葉」としてデンマーク語でした。1844年に最初の国民高等学校を開校した後、農民が数週間のあいだ農作業をはなれ安心して学べるように、寄宿制の学校を設立しました。

デンマークの生涯学習にとってもう一つ重要な機会となっているのが、様々なアソシエーションによる活動です。アソシエーションとは、共通の目的や関心をもつ人々が、自発的に作る集団や組織のことです。デンマークにおけるアソシエーションの歴史は19世紀半ばに遡りますが、特徴的なのは農村で発達したアソシエーションが都市へと伝播し、労働者を中心とする政治的および社会的な力へと発展していった点です。

第二次世界大戦後はそのような労働者の力が各種スポーツを中心とする余暇活動分野へと広がります。スポーツや文化活動に関わるアソシエーションが急増し、公園や競技場、体育館が設備されるに従い、各地方の団体数も飛躍的に増加しました。デンマーク社会にとって、各種スポーツや文化団体などの余暇活動は、単に健康のために必要な活動ではなく「青少年を社会で育てる」機会だと認識されています。

このような19世紀半場から20世紀にかけてデンマークの生涯学習の主要な機関として機能してきた国民高等学校やスポーツや文化活動に対して、現在社会問題を解決するという期待が寄せられるようになっています。何度も取り上げている様に、ヨーロッパでは移民問題が深刻になっています。自由と平等を何よりも優先するデンマーク流のデモクラシーが、多文化社会でも通用するのか、新たな問いが浮かび上がっているようです。

岡田

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第158回 子供にとって家族は全ての始まり

2017年04月09日

子供にとって家族は全ての始まりです。

 

どういうことかと言いますと、子供が生まれて、少しずつ大きくなって、自我を形成していく時、全ての判断基準や基盤は、家族から吸収するからです。

 

平和な家庭で生まれた子供は、平和を基準として物事を判断するようになります。

暴力的な家庭で生まれた子供は、暴力を基準として物事を判断するようになります。

愛情豊かな家庭で生まれた子供は、愛情を基準として物事を判断するようになります。

したがって、子供が育っていく時の家庭環境がどれほど大きな影響を与えているのかを、親はしっかりと認識するべきです。

 

だからと言って、最高の環境を子供に与えることは難しいです。

経済的な制限もあるでしょうし、それぞれの家庭に事情があるからです。

しかしながら、最低限、衣食住においては普通の生活をさせてあげて、愛情だけはたっぷりと注いであげてください。

そうすれば、子供はすくすくと育ってくれます。

 

「孟母三遷の教え」という中国の故事成語がありますが、あの偉大な孟子の母は子供の教育には環境が大切と考え、なんと、三回も引越ししています。

 

もちろん、時代も国も違うので、日本の今の時代でも100%完全に当てはまるわけではありませんが、「子供の成長にはいい環境が必要」ということは、感じ取ることができると思います。

寺澤

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