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2017年04月02日
「風姿花伝」には、女性や老人など様々な役を演じるにあたっての心得が記されています。そこには、
「もとの姿によく似せることが本意である」
と書かれていますが、単に姿形をまねよというわけではありません。例えば、老人の項では、
「腰やひざをかがめ、ことさらに老人らしく見えるようにするのがいいのではない。年寄りの若振る舞いこそが大事な要点なのだ。」と言っています。
年寄りは若振りたいもの。でも老いた体がそれに追いつかない。こうした年寄りの心情を理解し、振る舞いに落とし込む。そこまで鍛錬を重ねることで、観客を魅了する老人を演じられる。ここに物まねの本質があると、世阿弥は教えているのでしょう。
真似ることは大切です。全ては物まねから始まると言ってもいいでしょう。その過程を飛ばして「自分はできる」と思っている人はまず成長しないでしょう。かといって、まねはしても表面的なことをなぞるだけにとどまっていたら、それもまた同じことです。どうしたら本当の意味での物まねができるようになるのか。それには現状には満足せず、もっと感動を届けたいという気持ちを持ち続けること。それが仕事につながって初めて、物まねができたと言えるのではないでしょうか。
山本
2017年03月25日
この間子供の大学生協説明会に参加してきた。生協に入ると○○になります。生協でPCを購入すると○○となります。今後は英語の勉強してください。就職するためにはこんな質問が来ますから先輩にその対策を聞いてください。
とにかく手とり足とり色々教えてくれる。学生にとってはありがたいと感じる者もいるであろう。
しかし社会に出たら手とり足とりなどありえない。同じ会社の仲間であろうと結局人生においてのライバルなのだからである。先輩の仕事を奪い取ってはじめて自分の給料は上がり地位が確立していく。だから先輩も本気出して後輩の面倒など見ない。それをこの会社は何も説明しない、困っていてもフォローしてくれないなどと考えていたら甘ちゃんである。
本当の社会の醜さいや厳しさを知るためには、大学時代こそ社会人になるための心構えを教えるべきである。もちろん学問も大切であるが、学問で生活できるものなどごく一握りである。ひとにぎりに入れないのなら、社会勉強としてのおどろおどろしたことを体験学習すべきである。学生時代ならばまだまだ人生の修正が聞く。
学生の良くあるのは「○○になりたい。○○の職に就きたい」というものだが、今の社会人で本当に希望通りの人生を歩いているものがどれだけいるのであろうか。いや希望というものが学生時代にわかるのであろうか。仕事かあって生活がある。生活のために仕事をする。仕事は自分の道楽でもなければ、夢希望の実現目標にはなりえない。人生の目標の手段であり、仕事を目標にするのではなく、本来は人生の目標を先に決めるべきなのである。その目標が決まったら、次はそのためのプログラムを作成すべきである。そして1年ごとに目標に近づきべきなのである。仕事はそのための手段であり、決して目的ではない。
定年間近になって「仕事が人生だった」と言い切る者もあるだろうが、仕事あくまでも人生実現のための手段・方法である。
学校時代はなかなかこの理屈がわからない。だからどの職を選ぶか、いや就職するためには面談方法をよく学んでおけとか、英語が良くできるようになっておけという理屈になっていく。だが英語を使う職業がそんなにあるのであろうか。狭き門であり、その仕事は日本人でなく外人がなる確率が高い。面接の方法を勉強するより、人生設計を学ぶべきだと私は考える。
しかし人生論に答えなどない。あるのは己を信じることだけである。「英語が誰よりもできて海外旅行行って困らなかった。だから英語の勉強していてよかった」それでご飯食べれるの?リストラされないで済むの?勤め先がつぶれないという保証があるの?販売先から不渡りもらわないということができるの?そっちの勉強、世渡りの方がよっぼど私のような頭の悪い、体で勝負している者は大切に感じる。
2017年03月20日
ドイツの生涯学習の特徴は、フォルクスホッホシューレという公立の施設を中心に、幅広い学習プログラムが提供されている点です。16歳以上なら誰でも参加でき、1日限りのワークショップから数年にわたる資格取得を目指す継続的なコース、宿泊型のプログラムも提供されています。フォルクスホッホシューレが提供するプログラムは、英語やフランス語などの語学や健康志向を反映したエクササイズから、職業上必要とされる資格取得のための講座、そして環境問題や政治的課題などに対応した話し合いの場、宿泊型プログラムまで多岐にわたります。政治や社会問題、環境保護に関する講座も多く設置され、一般市民の関心の高さと共に市民の政治参加を促す機関としても機能していることが分かります。
ドイツでは他のヨーロッパ諸国と同様、教会を中心に聖書をテキストとした識字教育が各地で展開されてきました。宗教改革を牽引したマルティン・ルターは、ヘブライ語や古代ギリシア語から庶民の言葉であるドイツ語に聖書を翻訳し、教会での説教もドイツ語で行いました。それはドイツ庶民にとって新しい語彙を獲得する絶好の機会でした。しかし、学習機会が本格的に成人一般に拡大したのは宗教革命後のことでした。17世紀から18世紀のヨーロッパにおいて啓蒙主義と同時に普及する、「人格の形成」を重視する教養は、聖書ではなく詩や文学をテキストにして外国語の読み書きや表現を覚えたり、異文化を理解するという教養主義でした。ドイツの場合、イタリアやフランスに比べると100年近く遅れて始まりましたが、ドイツの教養主義は書物と議論を好み、理性に照らして思案する「教養市民層」と呼ばれる成人を生み出しました。そしてこの時期から講義形式の学び方を批判し、学習者同士の「対話」を重視するなど、学び方についての探求が始まっているのもドイツの生涯学習の特徴といえます。
移民・難民の問題はヨーロッパ諸国においては大きな課題だと思います。ドイツも例外ではなく、多文化社会でいかに移民の社会参加を実現できるのかが課題となっています。2006年に連邦政府は、「国民統合計画」を発表しました。ドイツ人と移民の間で、また移民間の軋轢を抑制し、社会参加を促進するために子供や若者に対する教育プログラムに加え、その親に対する包括的な支援システムが実施されているのです。プログラムやシステムに頼ることも大切ですが、頼りすぎず、それを基盤として柔軟に移民の問題と向き合っていくことが大切なんだと私は思います。
2017年03月13日
この世界には、鏡の法則が流れていますので、自分が思ったことは自分自身に返ってきます。
この法則を利用することで、自分の存在をお客さんの心に強く印象付けることができます。
では、どうすればいいのかというと、毎日帰宅した後、夜寝る前に今日会ったお客さんとの出会いや会話を感謝とともに思い出すといいのです。
悪い思い出は、思い出す必要はありません。良い思い出だけでいいのです。良い思い出を感謝とともに思い出し、楽しむといいのです。
そうすると、鏡の法則により、あなた自身も、お客さんの思い出となります。
お客さんも、あなたのことを良い思い出として思い出してくれるのです。
その結果、あなたのことを思い出して、電話をかけてきてくれたり、もう一度話を聞かせてくれという風に、お客さんからいろいろとアクションをかけてくれる確率が高くなります。
さらには、夜眠る前に感謝とともに思い出す人の数が増えれば増えるほど、あなたに会いたいと思うお客さんの数や、ファンになってくれるお客さんの数が増えてきますので、自分についてくれるお客様が多くなってくるのです。 寺澤
2017年03月11日
学生が社会人になったらまず5年間しっかり社会勉強のつもりで作業を体で覚えることです。屁理屈必要ない。つまり「なぜ」とか「どうやって」なんか考える必要なし。学校と一緒。なぜ歴史で年号を覚える必要があるの。なぜ数学で2次方程式を勉強しなければならないの。
いちいち理由探ししていなかったはず。要は言われたことをやれる範囲で努力するだけ。そのやれる範囲で成績という物が決まった。
仕事も同じ。自分がやれる範囲で作業すればよい。
5年経つとなんとか会社に役立つようになってくる。そしたら今度はその作業一つ一つを理屈で覚えることです。これはどういう意味があるの。正確にやるにはどうすればいいの。間違いの多く出る理由は何。
誰が見本になるの。5年後から今度は頭使わないと。
学校は勉強といえばまず「暗記」つまり覚えることから始まったが、頭使うことは少なかった。しかし社会人となったら今度は「暗記」でなくて5年間経験して社会人としての準備運動ができたら、積極的に10年間知恵と度胸で突っ走らないと。この時から給与と地位の差が出る。結果的には40代で明らかな差となって表れる。ある者は持ち家に住む。ある者は大企業の管理職になっている。ある者は子供が中学お受験で頑張って、県下の有名私立中学に通っている。ある者は大学の教授になっている。これもすべては23歳からの5年で決まってくる。
2017年03月11日
今年は昨年以上に内々定を早く出すという雰囲気になっています。
GW明けには内々定を出す企業が続出すると思われます。我々も同様に短期決戦になるように思われます。
さて採用不採用の判断ですが、結局仕事についてもらわないとわからないというのが本音です。そして仕事してもらっても、この人はいい人だなと思っても社員から辞めたいと申し出てくるものもあれば、入社時にはパッとしなかった人が意外に確実につまり藤榮のもっとうである「良い仕事をする」という社員もいる。
私が面談時に言う言葉は「まず5年務めること」 これは5年務めると本当の社員になり切れるという意味で、自分がこの会社で何の分野で活躍できるのか、また会社もこの社員に何をお願いしていけばいいのか判断できるという物である。ここにきてお互いが信頼できてくるという意味であろう。それぐらい解らないと言っていい。
5年もすれば何とか基本的な作業ができ後輩の指導も1.2名程度なら面倒見れるようになってくる。6年目からはあるチームをまとめ上げることを学習し始める。これが約3年。3年間でリーダーシップ、現場力、数値管理などを独自に学び始める。すると次の9年目は家庭生活を考える。所帯を持ち身を固め、本格的に将来像を描き出す。そして求める人生に対して本格的に活動し始めるのである。30代はこの家庭の確立に終われてあっという間に過ぎ去り、40代に突入していく。この時やっと社会人として活躍しているという目で見られるようになる。
2017年03月05日
禅の世界では、目標を先に設定してそれを達成すべく努力するという、一般社会とは反対の考え方をします。「今、できること」をそのつど一心に行っていけば、結果は自ずとついてくる、という考え方をします。
先の目標ばかりを考えると、どうしても「できなかったらどうしよう」などといった未来に対する不安が過ってしまい、目の前の仕事に集中できなくなるものです。すると、自分の持つ本来の力を発揮できなくなってしまいます。一方、目の前の仕事に無心で取り組めば、未来に対する不安にさいなまれずに仕事に集中することができます。結果的に目標を達成しやすくなります。
無心に物事に取り組み続けると、与えられた仕事や目標に対する「やらされ感」が薄まってきます。人はどうしても与えられた仕事や目標に対して、
「なぜ、私がこんなことを……」
といった不満を抱きがちです。しかし、目の前の仕事に没頭することができれば、
「こうすればもっと上手にできるのではないか」
「もっと時間の上手な使い方を覚えよう」
などと、自分なりの試みを楽しんで行うことができるようになります。これが「仕事を自分の色にする」ということです。
自分らしい方法で目標を目指す過程で、仕事に独自の持ち味が出てきます。これによって人から命じられた仕事であっても「主体性のある仕事」に変えることができます。
自分ならではの方法で一心に今と向き合うことで、いつの間にか自分を振り回していた感情を忘れていることでしょう。
山本
2017年02月23日
組織改革の遅い大企業は素晴らしく速い中小企業にとってかわられる可能性があるとのこと。
新入社員研修会を呼ばれていったとき、新人を見て「よくぞここまで立派な学生を集めたな」と感激したのだが、3年後の4年目研修に呼ばれて行ったら、あれほど目がキラキラ輝いていた社員も体温がなくなるほど死んだ目をしていると言っていた。会社は新人に何をしてほしいのか疑問に思うと言っていた。新人に求めるものはズバリ「主体性である」とも言っていた。 主体性は大企業ではどんどん失われるというか、必要とされていない。会社組織の大切なことは、「社員の力で新人を採用し、社員がその新人を教育し、そして社員がその社員をやめないように育てていくことが最も大切なことである」と言っている。へ~!なるほどと思わされ、今までそんなことも知らなかったのかという思いである。
今、リクルートは売り手バブルの中、このバブルも多分オリンピックまでだと思われるが、それまでは、この調子でコツコツ亀のごとく取り組むししかない。しかし、バブルは必ずはじける。また、最近は大企業がうまくいかなくなっている様子をよく耳にする。これも、現代の環境に企業がマッチングして行っていないことの表れであろう。
2025年自動運転が解禁になった時には、藤榮組織態も今までより、よりレベルの高いものになっていると考えられる。さらに2030年代はもう私の手の届かないレベルになっているであろうと想像できる。すると、なぜか日々の疲れも吹き飛ぶ。やるべきことさえ解っていれば主体性は生まれる。それが理解できるものは共に行動してくれるだろう。
2017年02月19日
アメリカ合衆国では、民間のボランタリーな団体が主体となって多様な学習機会を展開してきました。1727年にベンジャミン・フランクリンがその仲間と共に結成したジャントー・クラブは、道徳や政治、自然科学などに関する討論を通して相互学習する組織であり、1731年にはフィラデルフィア図書館を設立するなど、文化向上に絶大な寄与をしました。
独立戦争後の19世紀になると、有用な知識を求める声は一層広がり、学習活動の組織化や、施設の設立がみられるようになりました。なかでも1826年にホルブルックらにより始められた、読書会や討論会などからなるライアセム運動は、無償公立学校の設置運動へとつながりました。スミソニアン協会など図書館・博物館の発展もめざましく、その設立にあたって民間からの寄付も大きな役割を果たしています。また、南北戦争後の1874年に始められたショトーカ運動は、成人から児童に至るまで様々な学習組織を生み出し、全米各地で爆発的な広がりをみせました。
アメリカ合衆国は多様な言語と文化を持つ移民・先住民で形成されています。特に19世紀末には南・東欧からの移民が急激に増加し、英語教育と市民教育によってアメリカ生活に適応させる“アメリカナイゼーション”が、公立学校や公立図書館、「コミュニティ・カレッジ」などを拠点に広がりました。「コミュニティ・カレッジ」とは、公立の二年制大学のことを指します。これらの大学はエリート向けの私立大学と違い、もともとは地域住民のためにつくられたため「望めばだれでも学べる」というポリシーを掲げています。そのため学費が安く、入学難度も低いのが特徴で、コミュニティ・カレッジの卒業後は、四年制大学に編入することもできます。
公私を問わず多様な機関が数多くの生涯学習機会を提供しているアメリカでは、成人の44%が職業や趣味に関する学習、第2言語としての英語学習等、何らかの学習機会に参加しています。しかしこの調査結果をより詳しく見ていくと、属性ごとに参加率に偏りがあることが分かります。例えば、高卒資格を持たない人は22%であるのに対し、大学卒以上の人は63%と、3倍近く差があるそうです。この結果から、教育を受けたものがさらに教育を受けようとするというのがアメリカの生涯学習の現状であります。
コミュニティ・カレッジの説明であげたように、四年制大学は学費が高く、仕事を辞めてから大学に通って学習するというケースも多いみたいです。学費の問題もそうですが、学習意欲のある人々に教育が行き渡る環境や、提供されている学習機会への参加率、そういった様々な“偏り”をいかに正していくかが今後の課題になっていきます。
2017年02月12日
人生とは何かということが盛んに言われますが、実際のところ自分自身の考え方や価値観により、いかようにも変わって見えるのが、人生というものなのです。
そして、自分自身で意味づけすることができるのが、人生というものであるということです。
この世界で起きている現象については、人によりまったく違った意味でとらえられます。
それは、人それぞれに異なる価値観を持ち、その現象のうちで自分に必要と思われるエッセンスだけを、脳がフィルターをかけて選び取るからなのです。
したがって同じことが起きても、人によって全く異なる受け止められ方をします。
そして、人生とは起きてきた物事への認識の集まりですから、自分が意味づけた価値観が、人生そのものとなるのです。
自分の人生は、自分で意味を持たせるという考え方が、非常に重要になってきます。
たとえば、「人生はお金だ」という価値観を持って、人生に意味を持たせるとします。
そうすると、人生に起こり来る出来事については、全て経済的観点から、脳に映るようになります。
したがって、経済的な価値観に支配された人生を送ることができるようになるのです。
また、「人生は人助けだ」という価値観を持って、人生に意味を持たせることもできます。
その場合であれば、人生にやってくる出来事は全て、どれだけ人の役に立ったか、どれだけ奉仕できたか、という価値観から脳に映し出されることになります。したがって、人助けを基盤とした人生を送ることができるようになるのです。
さらには、「人生は愛だ」と意味づけをしたならば、全ての事象が、脳内のフィルターを通して、愛に関連する物事として映し出されることになります。
以上のように、人生は、自分自身で選択し、意味を付加することができますから、「人生は無意味だ」という人は、根本から謝った考え方を持っているということが言えるのです。
寺澤