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2016年09月15日
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」という小説がある。罪人が地獄で天を見上げると、1本の蜘蛛の糸が垂れ下がっているのに気が付いた。罪人カンダタはこれを登っていけば地獄から出られると思い、必死に上を向いて上った。と、あるとき下を見ると、下から次々と同じように上ってくる罪人がいるではないか!そこでカンダタは「お~い、上るな!」と言った。その瞬間頭上の糸がプッツンと切れて、カンダタはまた元の地獄に真っ逆さまに落ちていった。という物語である。
つまり、前向きに=上を目指して生きている内は希望がある。しかし下を向いた時、つまり昔を懐かしんだり、他人をねたんだりしたときに人間は堕落し始め、夢希望もなくなってしまう。と言うこととも取れる。
どうしても人間他人が気になる。そして過去を懐かしむ。「あいつがいかん、あの時は良かった」と。そんな時はこの蜘蛛の糸を思い起こし、「くそーいかんいかん、ここで俺は立ち止まってはいかんのだ。さらに前進しなければ!」と、明日のために今日生きるようにしましょう。それが藤榮の組織員の基本にある企業文化であります。
2016年09月11日
生涯スポーツの基盤には、やはり「スポーツ」の概念があるのですが、ある事典によると、スポーツの概念とは「日常語で非常に広い意味を持っているので、これを厳密に定義することはできない」と示されています。さらに、「この概念の理解は歴史のなかで変化してきているので、それをあらゆる時代に対応するように固定することはできない」ともあります。スポーツは時代によって変化してきたということですね。
大昔から人は衣食住を維持するための日常生活のなかで、自然に体を動かしてきました。労働や戦いの場(戦争)でも身体を意図的に駆使していました。こうした生き抜くために必要な身体活動のなかから、さらに祈り・感謝・占いなどの心情を表現する身体運動を展開していくようになりました。その運動が次第に「身体運動をしたいからする」という欲求に変わり、実用から離れた「遊び」となり、やがてオリンピックのように「競技」としてスポーツを競うことに変化していきました。
スポーツは最初は実用から離れた「遊び」としてルールに基づいて活動していくことが確立されました。競技の形態をとり始めたのは19世紀以降ですが、競技にともなう勝利や賞賛は、スポーツに取り組ませることに一層の意欲をかき立てましたが、同時にそれ自体に楽しみを見い出すことをしばしば忘れさせました。これは、「スポーツ自体を楽しむ」という目的に矛盾していると言えます。
しかし、現在のスポーツといえば勝敗を競い合うことに関しては昔と違わないのですが、そこに「楽しむ」ということが増えてきたように思います。オリンピックの選手のインタビューを聞いていても「自分が楽しむことが一番」、「楽しむことができたから満足」という言葉がよく出てきます。そこには「勝ちたい」という気持ちや、「悔しい」という気持ちも入り混じっていると思われます。勝負事には常にそのような気持ちが生まれるものです。しかし、オリンピックの選手ではなくても学校の授業や、社会人で取り組むスポーツにも「競争」というものは存在します。スポーツを楽しむということは、「競争」という状況自体も楽しんで取り組むということではないかと思います。だから選手たちには「楽しむ」という言葉が多いのかもしれません。
社会人になってスポーツを楽しむのは難しいことかもしれません。特に時間がありません。個人でやるスポーツは、自分の好きな時間にできますが、チームプレイのスポーツは一人ではできません。チームメイトが揃わないと成立しないものです。しかし個人でやるスポーツでも、競い合える選手がいるかどうかでその活動意義は変わってくると思います。
このように、スポーツとは相手がいることによって成立することもあります。生涯スポーツはこのようなスポーツに取り組む人を支援し、また気軽にスポーツを始められる場を提供する必要があるのです。
岡田
2016年09月05日
毎日の惰性の中にはアルコール・テレビ・タバコ・パチンコなどがある。それが必要ならば惰性ではないのだが、ちょっと一服ということでタバコ!いや~今日もよく働いた。よし!プシュット行くか!別段やることないからというか何も考えずにテレビ と人間なる。私もそうである。
しかしアルコールでも「今日はやめとくか」と1日やめとく。すると翌日は不思議なことに冷蔵庫に足が向かない。そこでよし今日もやめとけ。こうなると翌日にはせっかく昨日も止めたんだから今日もよすか!と考える。
と自然にしばらく辞めることができる。飲んでいた時と辞めた時と人生何んか変わったのかというと、さほどでもない。ただ飲んでいると気分がいい。何かその日の疲れが無くなるような気がするのだがそれも最初の一杯ぐらいであろう。後の2本3本は惰性になって来る。そしていずれアルコール体になっていく。腹が出、ちょっと動くと息が切れ、疲れやすくなり、汗かきになる。食事もアルコールが中心となり、食物が減っていく。
次の段階では食事のデザートが薬となり、土日の日課に医者通いが始まる。薬も常時飲み始めると体も自然に慣れてきて効き目が薄くなってくる。そしてまた医者に「こんな数値ではいけません。もっと健康になるために毎日歩きなさい!野菜食べなさい!肉・エビなどは控えなさい。ビールだめです。薬の量を増やします」となってくる。そして月々、肉体維持のための生活維持費がアルコールと食物から薬代に移っていく。薬で人間体を維持していくのである。これが人生である。
医者が言うのもわかる。医者の仕事は病気の進行を食いとどめることである。ちょっと悪いとこを見つけると「はい検査。はい薬。はい節制」となる。それは間違っていないのだが、人間年取れば若い時のような健康体でいる人などいない。必ず死に近づいているのである。
若い時との違いは人生の楽と言うか「甘い部分」を知ってしまったのでもはやそこから脱出できないのである。いまさらテレビやめて1時間も散歩できないのである。料理見たらまず箸取る前に「プシュット」となるのである。
2016年09月05日
物売り人として頭にあるのは「売上=お買い上げ」である。今日A店へ顔出した。名刺配って愛想笑いし、カタログ開いて商品説明した。クロージングに「欲張りは言いませんので月1本ガス台で結構ですからお買い上げお願いします」といつもの調子で帰ってきた。
2日したらそのお客さんからZ-60GB 1本ご注文のFAXが届いた。やったあのひと買ってくれたんだ。
そこでレベルの低い奴はこう考える「これで売上10,000円上がった」」「あと300万で今月目標達成だ」と。
その通りなんだけど、私はこう考えたい。
「我々の物売りは商品を売りことであるが、それはあくまでも商品を買ってもらうことが手段であり、実は自分または藤榮のファンを一人でも多くの方になってもらうこと」だと。
物売りと考えるとかしこまったり、営業笑いも出る。しかし自分のファンになってもらおうと思うと自然に自分というものを出す。素の自分を!
目上の人には丁寧にまた尊敬の念を持ったりいたわったり、また同年齢なら売り付けることより世間話して仲良くなる。物を売りつけるから、物を買おうとするからお互い壁を作る。売り上げさえ還さなければただの人間なのである。コミュニケーションなのである。つまり自分が会話が好きかだけの話である。物売りは人間かわいがっていただかないと。
8月での配送の時、お客様のところでトイレ借りようと店の中に入り込んで行った。
1人目に会ったお客さんに「お世話になります」と言ったら、お客様から「ご苦労様」と言われた。
2人目のお客様に同様に「お世話になります」と言ったら、「いらっしゃいませ」と言われた。別段こちらがかしこまったつもりもないのだが、しっかりともてなしていただいた。
こう言った時には物売りはすかさず名刺出して「藤榮です。いつもお世話になります。ちょっとトイレ貸してください」と言えばいい。お客様のところでトイレ借りるのも仕事なのである。別段恥ずかしいこともないし、失礼なことでもない。お客様のところでも、わが社のごとくふるまえるようになるまで自分を持っていくべきである。堂々とする。物売りだと考えるとかしこまったり、媚びを売ってしまう。自分をさらけ出し、気に入ってくれたら商売=物売りに入る。気に入っていただけないなら気に入ってもらえるように、どうしたらいいか考える。
時に3度ほど会話すれば何とか気に入ってくださる。それでもあかんならしばらくその人はあきらめる。それでいいのである。
2016年09月01日
自分を褒めるとは、自分が若い時、まだ人生にあこがれがあった時に掲げた目標が50歳ごろ叶ってきた時、自分自身を振り返ってしみじみと「よくここまで走れたよ」「長い間ご苦労さん」と自分が自分に言う。その時に長年の苦労にご褒美を与えるのである。それは人によっては「休暇=余裕=もうしっかり頑張ったから目標もいらない」という人もいるが、できれば今までの苦労=努力=気力は失わずに、仕事は今まで同様突っ走り、その合間に余暇を楽しむという生活に移り変わっていくと良い。
それは家庭生活が大きく変わっていくということであるが、端的に言ってお手伝いさんを週2回ほどお願いして掃除・洗濯などの家事の時間を助けてもらい、その余裕の時間を家族で出かける。
別荘を購入して月1回は安らぎの時間、充電の時間を設ける。別荘が買えないなら、会員権付ホテルでリッチなサービスを受けて優越感に浸る。
長い間憧れていた高級外車、ベンツ・BMWを買って遠出に出かける。
なんでもいいんです。それは「ご褒美」というものであれば。いやーちょっと贅沢だなあ?それでいいんです。贅沢が明日の気力になり、さらに落ちて行く肉体・精気を奮い立たしてくれるのです。
いずれ走れなくなる。少しでも長く走るためには50歳超えて、何とか夢が叶いそうなところまでたどり着いてきたかなと思えるところまで来たとき、たどり着くために自分自身にラストスパートをかけるためにも、ご褒美を与えなければならないのである。
「いやー僕は近所の牛丼が1週間に1度女房と食べれればいいよ!」それもいい。しかし最高の人間には最高のご褒美が似合う。またそういった場所、高級レストランであったりホテルのスーパースイートに泊まっている連中、つまり最高の娯楽を楽しんでいる連中に交わることで、さらに人生の階段を進むことも必要なのである。一流の中に自分を参加させ、自分を磨いていくのである。それが60歳超えた連中の生きざまなのである。
2016年09月01日
毎日走る。壮絶な勢いで前進する。しかもそれは行き先と方法と期間をおおよそ決めてだ。ただ何となくでは必ずダメになる。自ら不安になりとん挫するか、周りから非難されつぶされていく。
やっていく中で最も大きくのしかかるものは「疲れ=ストレス」だ。つい口にする。「くそー、バカヤロー」しかしここでまた出てくる言葉は「いいか信じろ!お前ならできる」「勝てば官軍、負ければ賊軍」だ。
目標に押しつぶされ挫折したらそりゃ楽になる。しかしその分生活は苦しくなる。「楽あれば苦あり」のたぐいだ。
お互い人間である以上サラリーマンであろうが公務員であろうが「自分の人生の経営者」である。自分のコントロールは、自分の生活は、自分で決めているのである。だから経営者なのである。
経営とは常に先を考えている(シミュレーション)ことである。そして考えていることは「お金」についてである。どう稼ぐのか、そして稼いだお金を何に使うのかを。金の稼ぎ方と金の使い方が下手な奴はだめになる。
資本主義の世界とは常に競争がお金を絡ませて付きまとう。そこで勝ち誇るには何度も言うが20代で地図を持ち、次に師匠を得て、突っ走ることである。すれば必ず50代で花開く。花開いたら「お疲れさん」と自分自身を褒め、たまには楽しませてやらねばならないと考える。
2016年09月01日
前回「自分が世の中で何を特技として、いや何を責任として飯食っていくのかをつかむのには、28歳位までを目標とせねばならない」と言った。「これは砂漠の中で砂金をかき集めている状態だ」ともまた言った。
砂漠で砂金をかき集めるにはどこに砂金があるのか下調べする必要がある。訳も分からず探しても出るわけない。ダイヤモンドはなぜ光る?それは光る石を磨くからだ。どぶ石をいくら磨いても光らない。
「何を責任として飯食っていくのかをつかむ」これにも先を照らす光が必要だわな。旅行に出るのに地図無しで出かければ目的地にたどり着かない
人生の地図は何か?まずそれをつかみ取らなければ!
もちろん地図があっても行動しなけれりゃあきませんで。己がやれることは何か?決まったら失敗しても前進。壁に突き当たったらよく考えてより良き道をとる。進路変更である。しかし行先まで変更してはいけない。行き先を変更したら今までの努力は無しになってしまう。ただ勝負に負ければつまり賊軍になれば当然進路変更させられる。それが人生であり、勝負事であり、判断ごとである。「長いものに巻かれろ」という言葉がある。これは勝負時の判断に生きてくる。自分が地図も持たず判断を他人を信じて行ったとしても、それは自分で判断したことになる。
迷ったら良き判断している先輩に付いていくことだわ。ダメな先輩についていけば自分もダメになる。つまり「師を選べ」だ!!
2016年08月31日
30代でもいいがまだ30代では振り返る余裕がない、40代で人生光が差してきたとき振り返って気が付く。俺の20代つまり青春は何だったのか?と。昨日「自分が世の中で何を特技として、いや何を責任として飯食っていくのかをつかむのには、28歳位までを目標とせねばならない」と言った。これは砂漠の中で砂金をかき集めている状態だったと振り返る。しかし青春というもののとして浮かんでくるイメージは「恋愛・娯楽」といったものであろう。となると、私が言っている「20代で走れ」とは思想が違うことになる。それはご自分で考えることですわな。青春は人それぞれ。
もちろん自分にも娯楽はあった。夢希望・恋愛・スポーツ・音楽・読書・映画と色々やった。やった、がそれよりも、「俺の青春とは仕事を、いや人生とは何かを極めていくことだった」と言えると思う。
ある人が「俺の青春は無かったと言える。だがその無かったと言える中で突っ走ったことが、実は俺の青春だったんではないかと今思う」と言った。
振り返れる余裕ができたときにはすでに人生はずいぶん山に近づいてきていると思う。その山に近づいて後ろを振り向いたとき、遠くのほうで「まだあんなところでうろうろしているのか」「早く登らないと日が暮れるぞ」ときっと後輩を見て、みんな見感じることであろう。程度の差こそあれこんなものだと思う。
そこで振り返る余裕と同時に将来の余裕があるかを考えてみるとどうか
「参った!このままでいくと俺の年金はうん万円。これじゃ老後生活が成り立たんわ」となる人もあれば、
「よし、これからは老後青春を生き抜くぞ。豪華客船の旅。美術館巡り、京都での歴史見学、地方でのグルメ旅」などなど夢膨らんで誰にも遠慮することなく死を迎えていくことができる。青春というものを走ったから老後のんびりできるのであろう。
2016年08月31日
適材適所は作業員に興味がある分野を任せていくということにある。 ところが作業員自身が何に興味があるのか、もっと言ったら自分の一生を何でアピールして飯食っていくのかわからない人がいる。もちろん社会に出てすぐにはわからない。学生時代に漠然と思っていたことは現実味がない場合が多いからである。
この、自分が世の中で何を特技として、いや何を責任として飯食っていくのかつかむのには、28歳位までを目標とせねばならない。
そのために広範囲の1.興味を持つ→2.興味を持ったらその作業をしているベテランをしっかり観察する3.→次はそのベテランに作業を教わる4.→やっていく中で自分が疲れていてもスランプでもその作業が楽しいか考えてみる。5.→楽しいと思ったらその作業がその組織の中で1番になれるように励む6.→師匠に追いつけるほどできるようになったらそれは自分に合っているということであろう。
ここまで極めるのに5年間 つまり28歳位である。これで自分の人生は決まる。これで安心して自分は何で飯食っているか胸を張って説明できる。これがサラリーもらっているプロフェッショナルといえる。これができるものはその組織の2割しかいない。
2016年08月31日