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第50回 義務教育とは何か

2015年10月20日

「バカをつくる学校-義務教育には秘密がある」という本を書いたジョン・テイラー・ガットという人物がいる。
ガットによると義務教育が誕生したのは1850年頃のマサチューセッツ州で、その目的は、「大衆を厳しく管理すること」だったという。「支配階級」だけに自立と個性が許され、それ以外の大衆は問題にされない教育によって、「大人の世界に無関心になる」「集中力がほとんどなくなって、あっても長続きしない」「物質主義になる」「依存的で受け身で、新しい挑戦に憶病になる」ような子供に教育されるというのである。
義務教育はプロセインの「国家と産業に民衆を奉仕させる」教育システムに減を発しており、それをまずアメリカが導入し、それが明治日本と中国、ロシアにも輸出されたのだという。
この背景には、大衆というものは本質的には無知な存在であり、「人間は生まれながら権利を有する」というアメリカの建国の父の一人であるトマス・ジェファーソンの抱いた古典的な民主主義の考え方を完全に捨て去ったアメリカの一部のエリート層の自己正当化があった。
「すぐれた知的エリートが大衆を正しい方向に誘導してやる必要がある」-これは、つまり逆に言えば、「大衆というのはどうしようもない馬鹿で、放っておけば反乱を起こし支配階級を揺るがしかねない」ということである。
バカをつくる学校

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第49回 慰安旅行について

2015年10月18日

 

バブル経済崩壊後、社員旅行を中止する企業が多かったのですが、最近は社員同士のコミュニケーション不足を解消するために社員旅行を復活させている企業も多いようです。離職率を低くするのに成功している企業もあります。
やはり普段の仕事ではプライベートな話はしにくいし、他部門の社員とコミュニケーションをとることはなかなか難しいです。一緒に目的地に向かい、同じ物を食べて、同じ宿に泊まる、その中で普段の業務では話せないことを話したり、仕事場では見られない意外な一面を見ることができたりします。
社員旅行の目的の一つは、社員同士の親睦を深め、お互いを知ることです。そして、意見を言いやすい関係を作ることで、仕事の連携はスムーズになり、要望や不満がたまりにくい職場を作ることだと思います。
世の中には休みの日まで会社の人に気を使いたくないという人や、家でゆっくり過ごしたいという考えを持っている人もいるのかもしれません。
しかし社員旅行の目的や意義を自分なりにハッキリとさせて参加してみると、過ごし方や楽しみ方が全く違うのではないでしょうか。
行事にイヤイヤ参加するのはお金も時間も大変もったいないことです。せっかく会社がそういう機会を用意してくれるのだから存分に楽しまないと。そして、そのような機会(チャンス)をくれた会社に感謝するべきだと思います。
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先日、弊社でも一泊の慰安旅行がありました。強制ではないのですが全員参加しました。わたしは幹事をさせていただきました。
幹事といっても特に何をしたということはないのですが、何事もなく予定通りに進むだろうか、大きな失敗がないだろうかと、前日から緊張しておりました。
至らないところはたくさんありましたが、みなさんのご協力のおかげでなんとか無事に終えることができました。
実は幹事役をやるまで、申し訳ないのですが今まで幹事さんが何をしているのか、どんなことに気を配っているのか、あまり気にしていませんでした。自分がそういう目で見ていなかったのです。ただ旅行を楽しんでいただけでした。
やってみると、幹事というのは目配り・心配りというのがほんとに大切なことだと気が付きました。普段からできていない私が先頭に立って、全員に目と心を配ることをしなければならないのです。そして、常に第三者の目線で自分自身を見るようにすることも大切です。
幹事に指名された方は、自分がなぜ指名されたのか、幹事という役割をやることでどのようになってもらいたいと思われているのか、何か意図があるのか考えてみることが重要です。
普段の仕事でも同じことが言えます。誰でもよいから順番に指名されるのではないと思います。言われたから給料をもらうために作業をやるのか、それとも目的意識をもってやるのかで仕事の内容と自分の成長は大きく違ってくるのではないでしょうか。
わたしは幹事役が上手くできませんでしたが、次回の幹事さんの何かお手伝いできたらいいなと思います。
今回も楽しい旅行を企画していただいた社長、サポートしてくれた皆さま、長距離運転したいただいたドライバーの方、本当にありがとうございました。
櫃田

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第48回 成長するとは一体何なのか

2015年10月10日

「何から何へ変化することが自分自身にとっての成長であるかを考え、またその変化をもたらすために今の生活のどこを変えていけばいいのか見直すべきであると感じました」という意見があった。
学校の成長は簡単に言えば進級または進学などわかりやすい。しかもこれはほぼ与えられたものといってもよい。
しかし社会人になってしまうと「仕事の中の作業」というものは会社から与えられるが、それが自分の成長とどうつながるのか分けがわからない。
「年々仕事をすれば給料が上がっていくじゃない」その通りだが、果たして仕事の目的は給料を上げるためなのか?そのために我々は職場に行くのか?生活のごく一部が仕事である。1日の内の10時間ぐらいが仕事への時間とすると、それ以外の時間の成長は何(・・?また100日以上お休みがあるのだから1年の内の1/3の余暇時間での自分の成長は何(・・?となってくる。
私が思うのは成長とは「ライバルを追い越す」ということと思っている。
ではそのライバルは誰か?私は最大のライバルを自分の「親」と考えている。
親は子供の幸せを願って独り立ちできるように育てている。独り立ちしていくと寂しい思いがするが、人生最大の達成感を感じる。
子供も親から離れて自らの力で生活できるようになり、また社会でバリバリ活躍できるようになっていけば、こんなうれしいことは無い。
思うにこの社会でバリバリ活躍できるようになるのは何度も言うように35歳以降であろう。そして子供が中学ぐらいになった時以降が生活が大きく変化し、自らの足で立っていると感じるようになってくる。
自らの力で立っているつまり一端に社会で生きていると感じられるようになった時に、はじめて自分の親が自分を育ててくれた苦労を理解できるようになり、改めて自分は親よりも人間的にすばらしいであろうかと比較できるようになる。
大体40歳位で人間は自分の親を追い越すことができる。いや全員ではないが……。
この40歳以降はもう花で言えば枯れていく状況である。これ以上人間の能力アップは見込めない。だから成長も難しくなってくる。
この40歳ぐらいまでに親以上に自分はこの世に生を受けて思いっきり走れただろうか?
「よし追い越した」と感じた時が「成長」できたと実感できるときだと思う。

 

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第47回 「よし今日から」と思わなければ人間は変わらない

2015年10月06日

人間は来る日も来る日も同じ生活をする習性がある。しかし成長しようと思うならば自らを変化させ続けなければならない

勉強するということは当然変化するということだが、古い環境から新しい環境に自らを変えるということが最も大切だと思う。

特に10/1の内定式で思ったのは「学生がいつになったら社会人といわれる部類になれるか?」である。これは難しい、どうしてもこの学生気分が抜けない。

企業はなぜ新人を採用したのか?その理由を入る側が知っているか?

まずこれを知ろうとしなければいけない。
「毎日会社来て働いて給料もらっています」と言うが「それがどうしたの」となる。

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第46回 職場は2つのラインがある

2015年10月06日

1つは職能コース→これは作業を極限まで極めることになる。どの作業も他の者に負けないぐらいしっかりとやりこなす。いわば昔の職人という部類である。この方たちは以前に説明した「木を見て森を見ず」の部類だ。どうしても考え方や行動が狭い範囲である。しかし本人もこれで割り切って生活しようとすればよい。この方たちが管理者になろうと思う必要はない。

いま1つは管理コース→もちろんこちらも作業は一通りやりこなすが、特別目立ってやりこなす必要はない。ただ淡々とできる程度、そう昔で言うとマニュアル通り仕事ができると言ったレベルか。しかしいざとなった時にはとても底力を発揮する。そのいざとなった時というものは忙しい時に起きるパニクった状態の時や教育の時である。

この方たちは作業で飯を食おうと思わないこと。体は最低限の作業を要領よくマスターしようとし、頭は管理者になるべき勉強をすべきだ。

管理とはマネジメント、だから管理者をマネジャーと呼び、マネジャーの仕事は「人・物・金・情報」という4分野使ってチームに最も効率よく仕事を行わせることとなる。

この4分野でまず初めに学ぶことは「物の管理」である。つまり「整理・整頓・清掃・清潔・しつけ」をマスターし、つぎには在庫管理という分野に取り組んでいく。在庫分野というものはいよいよ数値管理に足を進めていくことになる。

マネジャーはあらゆる経営数値に熟知していなければならない。しかし口で表す必要はない。言っても他のメンバーはわからない。なぜなら生きている次元が違うからである。そうまるで日本人と外国人という全く相手がわからないレベルといってもよい。この者たちの仕事は先ほどの職人が「作業を極めた人」と表せば、この者たちは「その極めた者たちを取りまとめ、会社として数値達成を追う人」となる。

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第45回 慰安旅行2015

2015年10月04日

先日のシルバーウィークに慰安旅行で長野蓼科に行かしていただきました。

今回のテーマは”一流を学ぶ”ということで、宿泊したホテルXIV蓼科の一流フランス料理のフルコースをメインとした一流を体験してきました。

一流とは、その分野での第一等級、最上級である。もちろんかかる費用も最上級であるが、それ以上に自分の経験値として蓄えられる。今回の万越えのフルコースディナーと1000円の定食とでは経験値の差は言うまでもない。だが、一般庶民にこのような生活は無理である。だからメリハリが必要となる。お金を使う時は使う、節約するときは節約する。ここぞという時にお金を使えるように毎日汗水垂らして働くのである。この時にお金と一緒に消費しているものがある。時間だ。時間とは誰もが平等であり、取り戻しがきかないものである。大切な時間とお金を使って自分をいかに成長させるかが自己投資であり、その為に“一流”のものは欠かせないのである。

 

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一流フランス料理ということで、味も気になるがそれよりもテーブルマナーであろう。誰もが知っている基礎の基礎しか知らないので、恥をかかぬよう事前に勉強したおかげで、雰囲気と食事を楽しむことができました。味も庶民の舌に合うか不安でしたが美味でした。なかなか味わえない高級食材も堪能することができ大満足です。今回店側の計らいで貸し切りとなり、他のお客はどのような人(年齢層や服装、会話)が利用するのか知れなかったのは少々残念ではあります。

蓼科は避暑地(別荘地)ですので、この時期は朝方は冷えるものの非常に過ごしやすい。お金のある方は涼を求めて来るのだろう。道中やホテルの駐車場ではベンツ、BMW、アウディといった欧州車、国産であればレクサス、クラウンなどの高級車が多かったのもうなずける。

今回蓼科、諏訪をメインとして北八ヶ岳ロープウェイや諏訪湖の水陸両用バスなど観光、体験しました。一番の刺激はやはりフランス料理です。全てが初めてでしたのでとても貴重な経験となりました。

社長をはじめとする、企画、進行してくださった幹事の方、長距離の運転をされたドライバーの方に感謝であります。ありがとうございました。

山本

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第44回 考え方と目標は狭さが違う

2015年09月29日

考え方は狭い考え方ではいけない。右からの角度、左からの角度、また上から見たり、下から見たりと色々な視点で物事を見るようまた考えるようにしなければいけない。しかし目標は的を絞らないといけない。この理屈がわかるかどうかである。

もちろん世の中というものは年を取るにつれて視野が広まる。余裕があるというか人生経験がそういわせるというか。しかし自然につくものとそうでないものがある。そこには時間と金が必要である。

例えば来る日も来る日もビールしか飲んだことがない、外食はたまにするけど安上がりの牛丼かラーメン又はファーストフードばかり。

かたや日頃の生活は質素だが、旅行に出かけたり外食したりするときは思いきってお金を自分のために使ってみる。高級料理を食べに行ってみる。
たとえばくるくる回転寿司でなくて板さんが握ってくれるお寿司。そこで板さんの進めてくれるうまーい日本酒をちびっとやってみる。

または一流ホテルでバイキングでなくフルコースをたしなみ、ハーフボトルでいいから5000円ほどのワインを口に含んでみる。食後のデザートの提供時にはシェフ自らがお礼の言葉をかけに来てくれる。こう言った時間を大切にしてみる。これができるようになれるか?

そのためには働く目的ひいては生きる目的を絞っていかなければ絶対に達成できない。

私が初めて一流のレストランに連れて行かされたのが18歳の時だった。ホテルキャッスルでディナーをたしなみ、ドイツ製のハーフワインを飲んでみた。その後ディスコに行って踊ってまた飲んで帰ってきたという覚えがある。そこには己の生活のプライドがあった。俺は誰よりも働くんだ。人が寝ているとき遊んでいるときでも働くんだ。

人間一度経験すれば次また挑戦したくなるもんである。その挑戦の積み重ねが人間を成長させてくれる。何もしなければ何も知らない。

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第43回 中小零細の仕事への考え方

2015年09月27日

仕事というものは常に一定とは限らない。ご注文が多い時もあれば少ないときもある。ただそれだけではない。
自ら増やしているときや減らしていることもある。
増やしているというのは自分達の仲間のだれかがミスをしてそれを取り返すのに時間がかかっているという場合。
そしてそのミスがお客様のところまで行ってしまった場合は今度はお客様からの信頼を失いご注文が減っていく。
どちらかというと仕事いうものはほとんど自分達でコントロールするものだと言っても過言ではない。
つまり毎日毎日きっちり仕事をしていけばお客様に規定通りの商品が届き喜ばれまた買っていただける。
しかしちょっとしたミスがお客様の期待を裏切り信頼を失う。これが仕事というものである。
だから我々は「誰と一緒に仕事をするか」ということが人生の上で最も大切になる。
パチンコの例を出したが、Cさんとやれば自分たちはいずれ破産する。
しかしDさんとやれば、やればやるほど会社は儲かり我々は幸せになっていく。
仮にリーダーが同じならば我々は働く仲間をしっかり吟味する必要がある。
その一番大切となるのは「募集・採用」という入口である。
「あ、この人は人が好さそうだ。あれ、このひと質問がない。うーん、この人は結構細かい点まで聞いてくる。」
ただこれぐらいで判断してはいけない。相手も就職することに関して指導を受けている。面談する訓練をしてきているのだ。
そんなことより「この人は今我々の仲間で一番レヘルの低い人よりも上か下か」で判断した方が良い。
採用する理由は只人数合わせだけではない。我々のレベルを上げるという目標も必ずついて回る。
良い仲間に巡り合えれば我々はハッピー。あかんと思わされる仲間と働けばとことん苦労する。

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第42回 アドラー心理学における劣等感

2015年09月20日

アドラー心理学とは、オーストリアの精神科医であるアルフレッド・アドラーが創始し、その後継者たちが発展させた
心理学の理論、思想と治療技法の体系です。アドラー自身は自分の心理学を個人心理学(Individual Psychology)と
呼んでいたそうですが、個人心理学というと、個人を細かく分析したり個人のみに焦点を合わせるように誤解されやす
いので、日本ではアドラー心理学が一般的な呼称です。
また、アドラーはフロイトやユングと並び称される心理学の三大巨頭とされています。しかし、フロイトやユングと違
い余り著作を残さなかったり、弟子をそんなに取らなかったことから他の二人と比べ知らない人も多いかもしれません
が、有名な多くの心理学者たちはアドラーの影響を受けているそうです。
アドラー心理学では、劣等感とは不健全なものではないとされています。どんなに生活に恵まれている方でも、「もっ
と○○みたいになりたい」など自分以外の人や物を見て目標を持つと思います。それこそがまさに劣等感です。つまり劣
等感があるからこそ反発する気持ちで前に進めるからです。なので、劣等感なんてないという人いは、自分の事が見え
ていないだけで、一生発展する事がない状態になってしまいます。
しかし、劣等感が強すぎてギスギスしている人がいると思います。それは、アドラー心理学では、劣等コンプレックス
と区別されています。劣等コンプレックスとは、劣等感が前向きに頑張るエネルギー源なのに対し、劣等感を行動で解
消する事を諦めて歪んだ心になることを指します。劣等コンプレックスには、大きく分けて「攻撃」「自慢」「不幸の
アピール」の3つあります。
1つ目の「攻撃」とは、成功できないという劣等感がある人が、成功している人を嫉妬したり悪く言ったりする事を指
します。これが行きいすぎてしまうと「社会で話題になりたい」と言う劣等感が裏返って「悪い意味でも良いから有
名になりたい」と犯罪を起こす事もあるそうです。
2つ目の「自慢」は、自分が優れている事をアピールことで、劣等感から目をそらす事を指します。本当に成功してい
る人は決して自慢をしないそうです。つまり自慢とは劣等感の裏返しであり、同時に劣等感から目をそらしている事に
なります。
3つ目の「不幸のアピール」とは、劣等感をあえて口にすることで気にしてないと自分を装うことを指します。しかし、
相手側からすると表面的には「大変だったね」と言っても本心では、その人自身に原因があるのではと考える可能性が
あります。なので、どうしても不幸の話をする場合は、不幸によって得た物をセットで話すことで、前向きな印象が作
れ、また自分自身に言い聞かせることでポジティブなエネルギーになるそうです。
これらの事から劣等感そのものは悪い事ではなく、そこから目をそむけて劣等コンプレックスとなり、上記の行動など
で本人の気持ちや周囲との関係を悪化さることがダメだということです。そして劣等感を解消する唯一の方法は劣等感
に対して、行動を起こす事が大切です。
福田
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第41回 「カン・コツ」

2015年09月13日

仕事を一人前にこなすには、「知識・技術・技能」が必要となる。
「知識」とは「考え方・判断・知りうること」であり、「技術」とは「生産の方法・手段」、「技能」とは「生産の具体的な行為」を指します。
ただし、技能は「表現」や「カン・コツの抽出」が難しく、形式的に教えることが難しい。
逆に、技術は形式的に教えることができる。
製造業での手仕事には、機械加工でない限り、どんな些細な作業にも「カン・コツ」がある。
作業者は日々の作業で無意識にちょっとした加減をしている。
鉄鎚の使い方1つをとっても、作業者はその作業に合わせ使い方を加減している。
これがモノ造りにはとても重要なことで、良い仕事をするには必要不可欠となる。
「カン」とは感、すなわち5感を使うことで、俗に言うと「目の付け所」(視覚だけではない)だと言えます。
一方、「コツ」とは、骨法すなわち大事な骨組みのことでを指し、「上手くやるための方法」で、 この「カン」と「コツ」は言い変えれば「作業の要点」(急所)のことである。
この「カン・コツ」を身に付けるためには、経験により自然と身に付く事と、先輩から教えてもらう事があり、どちらも時間と労力が掛かる。
昔から、職人になるには、先輩の技を「目で見て盗め」と言われた。しかし、現代の会社組織の中では、なかなかそんな余裕はない。
会社としても、1日も早く一人前となる人材に育てることは重要課題である。
技能や技術の指導において、作業の手順ごとにこの「カン・コツ」、すなわち「作業の要点」を形式値化すると共に、作業者にしっかりわかりやすく教えることが必要である。

柏原

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過去の日記

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