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第71回 「原因」論ではなく「目的」論

2016年01月24日

私たちはよく何かしらの原因から○○してしまうなどの「原因」論を持ち出すことがあると思います。
例えば、仕事で失敗したから会社に行きたくない、虐待を受けたから人にも辛く当ってしまうなどが
当てはまります。しかし、アドラー心理学においては、原因などには意味がないと言っています。先
程の例に出した虐待を受けたから他の人にも辛く当たるという人以外にも自分が虐待で辛い思いをし
たから人に優しく接しようと思う人もいると思います。なので、原因だけがその人を作るわけではな
いからです。そのためアドラー心理学では、トラウマなどの原因を重視していません。しかし、こう
言われても何が原因か知ることが大切であって目的よりも原因の方が大事だと思う人もいると思いま
す。ここで2つの例を出します。
1つ目は、あなたがお腹が痛くなり病院に行ったとします。そこで一通りの検査をし、医者からウイル
スが原因だと診断され、診察は終わりになりました。この場合、あなたは腹痛の原因は分かりましたが、
感想としては「どうすれば治るのか教えて」と思うはずです。つまり原因そのものに大した意味などな
く、それよりも大切なのは「これからどうすればいいのか」と言う進む方向であり「目的」が大切であ
ると言うことになります。
2つ目は、親から「勉強しなさい」と言われた子供が「やろうと思っていたのに今の一言でやる気がなく
なった」と言ったとします。こんなことを言われてまず思うのは嘘だと思うはずです。これは本人がや
りたくないという目的達成のために最も都合が良い材料(原因)を使っているだけになります。なので、
今回のように「勉強しなさい」と親が言ったからという原因を取り除いても今見ているテレビが良い所
だから、夜にやるからと他の原因を探して目的を達成しようとします。
このように原因よりも目的こそが重要であることが分かります。他にも上記に書いた虐待の話のように
同じ出来ごとがあってもその人がどう意味づけするかが大切で、それによって同じ出来事でもまったく
違う考え方を持ちます。
また、目的のために原因を作ったり、強く使うこともあります。例えば、お腹が痛いから学校に行きた
くないと子供が言ったので学校に休むことを伝えたら、先ほどの腹痛が嘘のように過ごしています。こ
れは仮病までは行かなくてもちょっとした不調をさらに強く感じたりしていることになります。これも
目的達成のために原因を使っていることになります。
これらの事から原因自体に目を向けるのではなくどうしたいのかをと言う目的に目を向ける必要があり、
あなたが「どうして」と思うなら「どうやって」と言い換えてみることで本当にやりたい目的を見直す
ことが大切だと思いました。
福田
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第70回 一流

2016年01月17日

先日、忘年会で京都旅行に連れて行っていただいた時に、初めて大原の三千院に行きました。紅葉の時期は終わっておりましたが、おかげで苔の美しさが際立ち、苔がこんなに美しいものかと知ることができました。写真では伝わらないのが残念です。

一流というのは高級品、高級ブランドや高級車のようなイメージもありますが、お金では買えない歴史が作る文化財や庭園を眺めることも一流を経験することの一つです。

IMG_2653IMG_2649 (2)
一流の仕事とは、自分の仕事に誇りを持ち、自分の道を磨き続けるその道のプロのことです。手入れの行き届いたきれいな苔の庭園を見て、さすが一流の仕事をされていると感じました。
仕事に真摯に向き合い、その仕事に人生をかけて黙々と日々努力を怠らないで精進するのが一流の生き方です。一流の人は自分のことを一流だと言う人はいません。他人が認めて初めて一流の人間となります。労力を苦と思わず、自分の仕事に妥協しないで常に上を見ています。もちろん簡単なことではありませんが、誰でもなれる可能性はあります。仕事でも家事でも子育てでも、その仕事に誇りを持ち、日々努力や工夫を重ねることで、その道のプロになり得るのです。まずは今任されている仕事のうち、一つのことからその道のプロを目指してみましょう。きっとかっこいい男性、かっこいい女性になれるはずです。

櫃田

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第69期 人のタイプ分け

2016年01月15日

最も優秀なのが自分で段取りできる人。これはやるべきことを知っている人と言うべきでしょうか。組織人の最低条件ですね。

やる人とは言われたらやれる人。親のしつけが厳しければこの程度の能力はある。

できない人とは言われてもやらない人。ほとんどがこういうレベルです。

解らない人とは言ったことが理解できないレベルの人。

蚊帳の外の人とはお誘いすらない人。

これが現実です。組織運営とはどのレベルで仕事をするかですよ。

蚊帳の外を集めて「さあ張り切っていきましょう!」ってやるのか、

最低限やれる人に仕事を割り振るのか?

もしその会社がレベルが高いと自負するならば社長として最低限のレベルである「やる人」のみにしっかり教育するべきである。

教育は何度も言うが仕事の中で最も労力の必要な作業である。同じ労力を使うならばできるだけ楽して良い結果を出したい。

であるならば「やる人」を「自分で段取りできる人」に育てるべきである。

自分で段取りできる」とはすでに起こるべき世界を先読みし、事前に社長と打ち合わせを済ませ、先行して取り組むということである。

すでに起きるべき世界を先読みするために、ニュースなど必要なことに気を付けまた今後どういった世界に流れていくのかを読み取っていく必要がある。

解らなければわかる人にまずは聞くべきである。一人でじっと考えていても先に進まない。またそれでは孤立してしまうのである。

自分で段取りできる人」は人懐っこい、そして前向き思考である。また失敗をバネにして前進することができる。

さらに時間の活用の仕方がうまい。無駄がない。余計なことはしない。必要ない物はどんどん捨てていく。

たとえばテレビはあまり見ない、新聞も必要な記事のみ目を通し、メールなども必要な物以外はどんどん消去する。

反省もするがそれもあまり深く考えずに前進できることを主に考える。

とにかく考えている人であろう。そしてその生活が楽しい人であろう。欲を言えば算数的であるならばより成功者となりうる。

 

 

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第68回 格差による負のスパイラルを抜け出せ!

2016年01月11日

前回61回で書いたように、金持ちは高いお金をかけて有名私立学校へどんどん子供を入学させ、そこの私立学校の卒業生が有名大学の席を独占し、その高学歴で高度な職に就いて高給を稼ぎます。

一方、貧乏人はお金をかけることができず、質の悪い公立学校へ行くしかなく、有名私立学校によって席を独占された大学へ行くことができずに、低学歴のまま職に就かざるを得なくなり、低賃金に苦しむことになります。

その結果が親の格差の継承。教育の格差が学歴の格差を生み、学歴の格差が賃金の格差を生んで、格差が世襲される負のスパイラルができてしまっているのです。これをストーリーで説明したものがありますので引用します。なお、この文章には2ch用語使用により少々わかりにくい点がありますが、雰囲気で充分判断できると思います。

 
親が低学歴の低所得者。

子供に勉強することの重要性を教えられず、生活に余裕がないため教育費もかけられない。
とりあえずゲーム機など物を買い与えたり、外食で美味いものを食わせたりすることが子育てであるように錯覚する。

子供は将来のために何をすべきかもわからず、DQN化?。
DQNは非DQNと会話が噛み合わないため、DQN同士で群れる。

DQNであることを正当化してしまい、拍車がかかる。この時に同じDQNの恋人と知り合う。

子、低学歴のまま学生生活を終える。

当然の如く工場、倉庫、中小同族、接客業、非正規雇用職などにブラック就職。

子、低所得者になる。

高所得の大企業に正社員就職しようとするもスペック不足で書類落ち。

憂さ晴らしにDQN恋人との性交渉により妊娠。責任を取って結婚する。

低学歴の低所得者のまま家庭を持ってしまった子供は転職を諦め親になる。

子供に勉強することの重要性を教えられず、生活に余裕がないため教育費もかけられない。
とりあえずゲーム機など物を買い与えたり外食で美味いものを食わせたりすることが子育てであるように錯覚する。

(以下、ループ)

 

このように親の経済力によって子供の未来も、絶対とは言わないまでもある程度は影響してしまうことは事実です。

しかしこういう話題をすると 「俺が貧乏なのは金持ちが悪い!」、「俺がダメなのは親のせいだ!」 と言う方がいます。だからといってそれに対して文句を言ったり他人に責任を押し付けても何も変わりません。他人にとっては 「は?だから何?」 で終わります。不遇な環境におかれたら、その分自分で努力するしかありません。

それが事実であり、現実です。

スタートは平等ではありません。現実は不公平であり、不平等です。文句を言ってもそれは変わりません。「○○が悪い!」「○○のせいだ!」と口を動かす前に、手を動かしましょう。足を動かしましょう。それができないからなら何も変わりません。不遇な環境が嫌なら脱しようと努力し、努力するのが嫌なら不遇を受け入れましょう。

どちらか1つしかありません。この選択が自分のみならず、子にも影響することは言うまでもありません。

はじめの一歩の鴨川会長や中世の音楽家ベートーヴェンも言っています。

「努力した者が全て報われるとは限らん。しかし、成功した者は皆すべからく努力しておる!!」

山本

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第67回 「松下幸之助と社員研修」をスタート

2016年01月10日

PHPビデオアーカイブプラスという社員研修を2016年1月より始めました。
始めた理由は毎年新人が入社してくるので、そろそろ「教育の仕組みづくり」を行おうということからです。
研修というとOJT やOFFJT また通信教育や読書感想などなどいろいろ取り組むべきことはありますが、
まずは共通の教材で尚且つ基本的なことから取り組みたいと思ったこと、また値段がとても安いこと、
さらにはPCが10台までは活用してよいことや会員として値打ちに学習CDも購入できるというメリットもありましたからこちらに決めました。
とにかく藤榮の教育の欠点はテーマが定まっていなかったということです。
ある時は○○の本、あたある時はポットキャストまたある時は日本能率協会マネージメントセンターという具合にその都度飛びついてきましたが、
PHPは共通のテーマをわかりやすい学習内容で、しかもDVDを活用できるということが一番良いと思います。
これを活用して「第40期」のテーマである「若返りを図る」を推進していきたいと思います。
仕事の中で最も労力とお金と時間がかかるのはなんと言っても「教育」でしょう。
その教育によって会社の成長が大きく左右されるということはご存知だと思います。
ただ言えることは教える側が思っていることと感情をどれだけ相手に伝えることができるか?ということになります。
ここまで言うと関係がまずくなるなと思えばセーブする。セーブすれば中途半端な教育となる。
その教育は結局は弱い会社を作り出す。
しかし言いすぎるほど度が越してしまうと今度は退職につながることになる。
ですからここで大切になってくることは、教育にはコミュニケーションがセットで付いてくるということでしょう。
その為にはお互いが溶け込める環境づくりを取り組む必要があります。
詰め込み教育でもない、はたまたゆとり教育でもない「実教育」を実現することが「若返りの基本」ということでしょう。
そういった意味でもこのことに気付くことができたことだけでも大きな成果ではないかと感じております。

 

 

 

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第66回 会社内での裁判員裁判

2016年01月03日

先日、小雨の日にある社員が「このくらいの雨ならいいか」とステンレスシンクにシートをかけなかったことで、社長がその社員と先輩社員を怒鳴り叱ったことについて、それが是か非か皆で考える機会がありました。

裁判員裁判形式でお互いの弁護人役が意見を述べ、裁判長役と裁判員役による評議の結果、判決が出されました。

今回は本人よる説明や証人喚問等はありません。

①社長側の弁護人役の意見

ステンレス製品をトラックで運ぶ際に、雨の日は必ずシートをかけないといけないということは以前より決められていたこと。
ステンレスシンクが雨で濡れるとサビが発生する場合があり、クレームの原因になるので、小雨であってもシートはかけないといけない。

②社員、先輩社員側の弁護人役の意見

雨の日はステンレスシンクにシートをかけないといけないということはわかっていたが、このくらいの雨ならいいかと思ってしまい、かけなかった。

これからは周りの人もそのような場面を見た場合は、指摘したり、注意したりするべきだと思う。そして上司や先輩から指摘されたときに、もし自分の考えと違ったとしても、なぜ上司や先輩がそのように言われているのかを考えて、自分の行動がそれに伴っているかどうかも考えてもらいたい。それでも自分の考えの方が強いのではないかという時には、上司や先輩に相談や提案をしたり、話をしてみて、最終的な結論を出していかないと、また同じ間違いが起こると思う。

本人も雨の日はシートをかけないといけないということがわかっているので、今後はこのようなことがないようにしていきたい。

 

しばらく時間をとって、裁判長役と3人の裁判員役による評議が行われました。

 

③裁判長による判決

先輩の指導に対して、なぜ雨の日はシートをかけないといけないのか、意味がしっかり理解できていなかった為、状況判断を誤った。

周りの先輩も伝えてあるということだけでなく、後々の様子もチェックしたり、声をかけるべきである。

社長が怒鳴った件については、日頃より言っていることで、子供ではないので、しょっちゅう社長が言うべきことではないという思いがあったのだと思う。

このぐらいの雨ならいいだろうという判断をしてしまったが、雨で濡れたことが原因で錆びてしまった商品を受け取ったお客様がどう思うだろうかということをまず考えれば、必ずシートをかけようとしたのではないか。

自分で判断をするときに、その先にあるお客様のことを考えたならば、きっと正しい判断ができると思う。

今回みなさん反省しているので、これからは気を付けていただきたい。

 

という判決で今回の裁判員裁判は終わりました。

時間がないから、余裕がないからとつい手間を省いてしまったり、これくらいならいいだろうと目をつぶってしまうことがあるかもしれませんが、それはその場のことしか考えていないからです。

今やっている仕事は何のために誰のためにやっているのかを考えれば、答えは明らかです。

初めて裁判員裁判形式の裁判を会社でやりましたが、第三者からの目線で考える良い機会になりました。

会社内でそれぞれの立場によるいろんな意見があるかと思います。違う意見がぶつかったときには、それぞれの主張を聞いて正しい結論を出して、方針を定めてまとまりのある会社にしていければ、社員同士も仕事もしやすくなり、お客様の為にもよりよい会社となっていくのではないでしょうか。

櫃田

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第65回 世代間の違いをあらわすと

2016年01月02日

「能力」という言葉を違う表現で表すと、物事を成し遂げることができる力となるが、これには忍耐力、想像力、工夫力、体力、持続力、瞬発力、学力、活動力、粘力、胆力、集中力、迫力、戦力、注意力、思考力、説得力、即戦力、推進力、競争力、構想力、洞察力、精神力、説得力、判断力、発言力、包容力、影響力、基礎力、知力、表現力、決断力、行動力などが必要となる。
これらの「力」はほとんど子供のころに見につく。育った環境が大きい。とくに学力となると時の学校での授業内容と時間によってしまう。
インターネットで調べると下の票のようになっている。一番詰め込んで教育された連中が今の社会(会社)での中枢を担っている。
それから一世代下がると今の40代になるのだが、彼らが今後日本を背負って立たねばならない。勿論今の50代が最高と言っているわけではないが、この年齢は高度成長時代とバブル崩壊と長きデフレとリーマンショックとまた阪神淡路大震災や東北大震災なども経験してきている。さらにこの年齢の親は戦争体験層でもあるから、何もないまずしい日本の姿もうっすらと聞いている。
これらの環境の中 生き抜きそして現代を背負っている人々とそれらの経験値が薄い年齢層にバトンが移っていくのではどうしても不安を感じてしまう。
いやどっちにしろライバルも同じ年齢層ですよと言われればそれまでだが、そういう意味ではなく、先輩の知識・知恵を如何に次世代にうまくバトンが渡せるかつまり何とか同じレベルが維持できるか、先輩のマネができるかということが言いたいのである。
同じ能力でも先輩の能力を見につけた者が勝ちである。やはり今の50代の連中の能力と40代のの連中の能力では少し開きがあると思う。
一番の違いは働いてきた労働の時間とその中身だ。50代の連中は社会に出た時年間2100時間労働だった。それがバブルがはじけたころから緩やかに減り始め、いまでは年間1800時間に届かない。つまり1ヶ月25時間1日1時間は少ない。
この学力の違いと労働体験時間の違いは決して追いつかないであろう。もしバリバリの先輩に追いつこうと思うのであるならば、会社にいる間はすべてその先輩と一緒にいてすべてを盗み取らねばならない。
それでも追いつかないであろう。なぜなら50代の能力はすでに落ち込んでいるので本当の全勢力が出せていないからである。もっと早くそう20年ほど前にその人間の能力を超えようと努力していたならば可能であったが、落ち込んでいる能力では先生にもならなくなってしまう。
さあそんな40代の者を先生としてこれから社会人になり、稼いでいかねばならない20代の若者ょ。あなたは何をどう考えるか?どうしたら最高の世界を自分の物にすることができるのか?

 

小中学校の授業時間の推移[8][9]
? 1961年- 1971年- 1980年- 1992年- 2002年-
小学校 (単位時間45分) 5821 6135 5785 5785 5367
中学校 (単位時間50分) 3360 3535 3150 3150 2940
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第64回 2015年終わりを迎えて振り返ること

2015年12月29日

2014年新入社員3人 2015年も3人 2016年は2人。

この若いメンバーを向かい入れるために新普通免許で乗れるトラックに1200万かけて入れ替えた。大企業並みの環境を整えようということで福利厚生施設を購入し、それを利用できる旅行補助費の制度も整え、有給の積極活用を推進し、確定拠出年金や退職金制度も取り入れ、さらに生産作業がはかどるようにと新機械自動タッカー打ち機を購入。また業務も来春の新入社員のために2Fと1Fに分かれて作業できるように取り組み、はたまたソフト面ではHPの改良、カタログの新規化、チャットやクラウドの取り入れ、そして階段と入口周りのペンキ塗りなどなどここ最近非常に前向きに会社の変化に取り組んできた。

我ながら良くやっていると思っていた。 しかし所詮自己満足だった。

昨年末山本君が「社長の取組みと社員の捉え方が空回りしているようです」と言っていた。しまった。やり方が、考え方がまずかったのだ。

そこで考えた。「この環境を変えるために自己満足で推進してきた福利厚生行事を廃止し、長年形にとらわれてきた`形だけの会社運営`から脱出してみよう」と。

これは己の愚かさ加減を戒めるためでもあった。「今の中途半端な環境などいらない」と2015年末にそう反省した。

2016年からは新たな1歩を踏み出すため、まず1人ずつ自分の考え・行動を、1歩ずつ伝承する必要がある。

2016年 第40期の目標である「若返りを図る」を行うため、自分の取り組んでいること、又明日に向かって考えることを、次世代リーダーに引き継ぐ「仕組みづくり」を行おう。

ここに新たなる社長の考えを宣言いたします。

1.「人を責める前に仕組みのまずさを反省しろ」

2.「形ばかりにとらわれず中身のある会社にしろ」

3.「めんどくさがらず地道に理屈を説明しろ」

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第63回 忘年会を通して

2015年12月20日

今回の忘年会は京都に行かせていただきました。

今回の忘年会では、来年新入社員として入社する2名も参加するため、2班に分かれて行動する事になりました。

私は新入社員の方を接待する方のドライバーとして南禅寺、下鴨神社、鞍馬寺の観光をさせていただきました。

京都と言われると観光で行こうとなると清水寺や金閣寺、銀閣寺などをイメージすると思います。私自身も京都 に

観光に行った際は、清水寺などは行きましたが、今回行った南禅寺などは始めてでした。特に南禅寺について は、

早朝勉強会で最初に扱った副島隆彦さん著「隠された歴史」でも書かれていた臨済宗南禅寺派大本山の寺院 で、

京都五山と鎌倉五山の上に置かれ別格扱いの寺院とされ、日本全ての禅寺の中で最も高い格式を持っている 寺

院だそうです。

ブログ用

そもそも、禅とは天台宗や浄土宗などの「民衆の救済」を説いた他力本願とは違い「自己救済」や「他社を救う ことは

出来ない」と考えているため、他宗派のようなインド伝来の宗派のように仏典がないそうです。そのため、 他の宗派が

やるような葬式仏教で金儲けが出来ないので、信者を集める口実がないので「般若心境」や「観音経」 を借りて自分た

ちも唱えているそうです。

次に臨済宗については、当時の臨済宗は民衆が嫌いだったので他の宗派のような事をしたくなかったため、中国と の

貿易での文書作成(朱子学)を行っていたそうです。つまり、仏典よりも朱子学(儒教)を信じていたことになります。 これ

は、今では義務教育として学校に行き、勉強をするので文字の読み書きなどが出来ると思います。しかし、当 時は織田

信長や豊臣秀吉や徳川家康などの歴史的に有名な大名でも下手くそな平仮名しか書けなかったため、しっ かりとした

漢文の貿易文書を書ければ将軍や大名が優遇したため朱子学を学んだそうです。また、当時の人々は、 階級によって

信仰していた宗派に違いがあります。貧しい人々は、常に飢饉や災害などの不安があるため、神に助 けを求めるので

浄土宗や天台法華経のように祈れば救われると考えていた宗派を信仰したそうです。逆にくらいの 高い地位にいた朝

廷貴族や幕府などは、貿易の利益がなければ国の経営が出来なかったため、臨済宗を大切にして いたそうです。もし

自分が対等な立場として相手と取引をする際に交わす文章をしっかりと書ける人と書けない人 とのどちらかと取引をす

るとしたら、しっかりとした文章を書ける人の方が信頼出来ると思います。そのため、 しっかりとした文章を書ければとて

も重要な存在になれたので、臨済宗は朱子学を仏典よりも大切にしたんだと思 います。 今回の観光で、ただ本を読ん

で知っていた知識だった物を実際に見ることが出来たのはとてもいい経験になったと 思います。今回の旅行を企画し

てくださった方々には感謝します。ありがとうございました。

福田

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第62回 断捨離

2015年12月13日

今年もあと二週間となりました。みなさまにとってどのような一年であったでしょうか。今年中にやっておかなければならないことをリストアップして、すっきりと新しい年を迎えたいものです。年末ということで不要なものを処分したり、大掃除されたりしている家庭が多いと思いますが、以前流行語にもなった「断捨離」について書きます。
断捨離とは入ってくる要らない物を断ち、家にずっとある要らない物を捨て、物への執着から離れるという考え方、生き方のことです。日本人特有のもったいないという意識が「まだ使える」「いつか使うかもしれない」という意識につながり、捨てるという行為に嫌悪感を抱き、使ってないものでも捨てられなくなります。しかしそれが今の自分にとって必要なものなのか、未来のなりたい自分にとってふさわしいものなのかを見つめ直すことで、本当に必要なものが残ります。断捨離を続けていくと自分の周りに好きなものや好きなことが増えていくので、自分のことを好きになり前向きになり人間関係もよくなります。

断捨離を仕事に応用すると、机も頭の中もスッキリとして何を優先させるべきかが明確になり、より深い思考ができるようになります。作業効率が上がり、生産性がアップします。集中力も格段にアップするそうです。今の状況を変えたい方、仕事がうまく進まない方、来年は今年よりもさらに一段二段レベルアップしたい方は気付いたところから断捨離をしてみてはいかがでしょうか。
櫃田

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過去の日記

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