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第57回 「?啄の機」というものを知っていますか?

2015年11月16日

仕事に置いて習うことの一つにお客様へのABCランク付けというものがある。
例えば100件のお客様があったとして上位20社までをAランク、50社までをBランク、残り50社をCランクといった具合にお客様を管理するという方式がある。
これは2.8の原則という物にもあらわさられ、売り上げの8割は2割のお客様で作りだされるという原則である。
また社内の行動も同じである。1年間の会社の成長はそのメンバーの2割の人で行われるというものである。
ということは最初から差別ではないが役割として「Aさんは引っ張る人」=管理者、「Bさんは言われたことができる人」=作業者、 「Cさんはもし良い人に恵まれたらその人の替わりの良い人を教育しよう」とされている人 といったところか。
野球がいい例である。明らかにAランクは常に試合に出られる。 Bランクは補欠でベンチ要員。Cランクは2軍か。
そして明らかにAランクには監督が自ら指導・叱咤・激励を行う。Cランクにはそれがない。というかその時間がないと言った方が良い。
そこで「?啄の機」というものがある。辞書で調べると、「禅で、機が熟して悟りを開こうとしている弟子に師がすかさず教示を与えて悟りの境地に導くこと。」とある。
どういうことかというと、ある鳥が卵を産んで温めていたとしよう。鳥が生まれる様子は卵の殻の中でひな鳥が殻をつつく。その音を聞いて親鳥もひな鳥がつついているところを外からつつく。すると殻は中と外から同時に同じところをつつかれるので割れて、新たな生命が誕生するということになる。
この小鳥を早く生まれさせたいということで親鳥がタイミング早く殻をつついて破ってしまうとその小鳥は十分成長していないので死んでしまう。
また逆に雛鳥が殻の中から一生懸命に殻をつついても親鳥が知らぬ顔であるならばまた同様雛鳥はこの世に生まれることなく殻の中で死んでしまう。
つまり「私はもうじき生まれます。準備できています」と小鳥が意思表示をする。それを聞いて親鳥も「そうかやっと生まれてきてくれるか。それでは立派に成長できるように導いてあげよう」と言うたとえである。
これが社会でもある。先輩が押し付け教育をしても覚える側がその気がなければ成長しない。逆に生徒が覚えようと思っていても先輩が教える気がない又はダメな先輩についてしまったら自分自身が成長しない。
ここに子弟が実にマッチしていないと成長しないんだということが良くわかると思う。
商売も同じである。いくらこの商品は良いものです。ぜひ買ってくださいお客さんと言ってみても、それより良い商品があればお客様はそちらを購入する。
逆にお宅の製品はいい。もっとたくさん売ってくれとお客様に言われても生産能力が追い付かなければお客様を満足させることはできない。

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第56回「あたりまえ」のことに感謝する

2015年11月15日

「あたりまえ」は実は「あたりまえ」ではないことが多くあります。

わたしは4歳児の母です。自分が親になって初めて子育てが大変なのかがわかり、親がどんな気持ちだったのかを考えるようになりました。

一人暮らしを始めて親のありがたみがわかったという人も多いですよね。距離が近すぎるとうるさく感じたり、やってもらえることに慣れてしまい、あたりまえだと勘違いしてしまいます。しかし距離をおいてみると、近くて見えなかったことが見えるようになり、親のありがたさがわかるのです。

みなさんは誕生日についてどのように考えているでしょうか。わたしも若いときは誕生日というのは誰かに祝ってほしいだとか自分のことしか考えていませんでしたが、本当はそうではなかったのです。

誕生日は親に感謝する日なのです。今生きていられるのは、親が生んでくれて育ててくれたおかげです。親に感謝することなんてないと言われる方も感謝するべきことはきっと何かあると思います。

祝ってくれる人がいないから自分の誕生日が嫌いだとか、もう年をとりたくないし祝ってほしくもないとか自分のことばかり言われる方もなかにはいらっしゃるようですが、感謝の気持ちを表す大切な一日なのです。

そして今日の自分があるのは親だけでなく家族、仕事関係、友達等のおかげです。いつもやってくれていること、言ってくれること、そばにいてくれることに日ごろからの感謝の気持ちを伝えるようにしたいです。

あたりまえのことに感謝することを習慣にするのにまず、日常生活のことにも感謝の気持ちを持つこと、気づくことが大事です。おいしい水が飲めること、ごはんが食べられること、おしゃべりができること、健康であること、勉強ができること、仕事があること、住む家があること等々。

あたりまえはあたりまえでないことに気が付くと、世の中感謝することばかりです。

みんながあたりまえのことに「ありがとう」の気持ちを忘れなければ、傷つけたり傷つけられたりすることもなく、不満を持つこともなくなり、何に対しても自信がつき、自分自身のことを好きになり、これからの人生がよい方向に向かうはずです。

良いことも悪いことも背中合わせです。例えば、事故や盗難にあった場合、それを運が悪かったと思うのか、注意を怠っていた自分への警告・サインだと思うのか、考え方次第で今後の自分が変わります。

誰でも目の前のことに気分を悪くしたり、イラッとしたりすることもありますが、視点を変えて違う方向から物事を見てみると、全く違う見方に変わります。

「ありがとう」は幸運を引き寄せる言葉だそうです。すべてのことに感謝の気持ちを持ち、そしてそれを相手に伝える習慣を身につけたいものです。

長文読んでいただきありがとうございました。

櫃田

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第55回 学校の作る“いい子”とは

2015年11月08日

ゆとり世代という言葉を聞いたことがありますか?ゆとり世代とはゆとり教育を受けた今の若者を指します。このゆとり教育により学力が低迷し、馬鹿が増えているのが現状です。

日本地理学会による、メディアによく登場する国の正式な位置を大学生、高校生に答えてもらう調査で、大学生の5割、高校生の7割がイラクの位置がわからないだそうです。この結果には驚きです。

上記のようなゆとり教育の思考力ゼロの若者が社会に出れば、若者層のワーキングプア、ネカフェ難民と厳しい環境におかれます。

そんな状態にも関わらず、どうして社会に送り出されるのか。これは一部の人間にとって都合が良いからです。この一部の人間とは日本を牛耳る政府や大企業=支配者です。第50回に紹介されている「バカを作る学校」にあるように、支配階級の都合のよいように義務教育が作られています。学校でお金の知識を教えてくれないのもそうです。余計な知識を持たれると都合が悪くなるから。そのために支配者は次のような労働者を求めます。

1. ”読み、書き、計算” といった最低限の識字をもっていること
2. 法律やお金儲けの知識など高度な知識はもっていないこと
3. とにかく命令を良く聞いて従順なこと

かなり自分勝手な内容ですが、これが学校教育に当てはまります。

1. この条件は社会生活をする上で必要不可欠なものです。これができない人はさすがに使い物になりません。教育崩壊しているとはいえ、”読み、書き、計算” を教えられなくなるほど崩壊しているわけではありませんので最低限の識字はゆとり教育でも若者に与えられているものです。

2. 労働者にとってはぜひとも身に付けたい知識です。しかし一方の大企業にとっては、労働者が法律やお金に関する知識や知恵をもってしまうと非常に都合が悪く、またお金儲けの知識をもたれても非常に困ります。お金儲けの知識をもてば自分で稼ぐことができるので、わざわざ劣悪な環境へ応募してこなくなります。そのため学校では法律やお金儲けの知識を全くといっていいほどに扱わず、「お金=悪」のイメージを植え付けています。今の学校は支配者にとって実に都合がいい仕組みになっています。

3. よく親や先生がホメる ”いい子” ってどういうものですか?いい子とは親や先生の言うことをキチンと従い、命令に絶対逆らいません。そして非常に従順です。親や学校で重宝され、ホメられるタイプである ”いい子” こそが支配者にとって都合のいい人間なのです。このような ”いい子” というのは親や先生からホメられるのが嬉しいために勉強を良くがんばります。しかし、このタイプの人間は自分のために勉強したのではなく、結局他人のために、他人に言われたから勉強した人間が大多数です。こういう人間は偏差値は高くとも、主体性がありません。論理的な考え方はできても行動力はありません。自分で考え判断して行動することがほとんどできないのです。そのため他人に完全に依存してしまいます。つまり優秀なのに意思がなく、命令を良く聞いて従順であるという、支配者にとって非常に都合がいい条件を満たした存在なのです。考えてみれば当然ですね。学校というのは支配者にとって都合のいい人間を作り出すのが仕事なんですから。

学校の教育というのは実に支配者にとって都合がいいものです。そして都合の悪いところは一切明かしません。一昔流行った「ドラゴン桜」のセリフにもあります。

「知らないというより大人は社会について教えないんだ。代わりに未知の無限の可能性なんて何の根拠もない無責任な妄想を押し付けているんだ。それを知らずに放り出される。そこに待っているのは不満と後悔だけだ」

「社会のルールってやつは全て頭のいいやつが作っている。そのルールは頭のいいやつに都合がいいように作られているんだ。逆に都合の悪いところはわからないように隠してある。つまり頭使わずに面倒くさがっていると一生騙されて高い金払わされるんだ。騙されたくなかったら、損して負けたくなかったら、お前ら勉強しろ」

山本

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第54回 天につばを吐く

2015年11月06日

天につばを吐くということわざがある。そんなことあるのかと思うがこんなことがあった。
日ごろ自動車の運転が荒い人がいる。心の中には俺は運転がうまいんだ。と思っているようである。
ある時自転車運転の女性にぶつかってしまった。悪気はなかったのだがついスピードが出すぎたようである。
事故処理をしていく中で反省してみた。そう言えば日頃から少しスピードを出しすぎていたな。自分の運転にうぬぼれていたと。
こんなことがあった。日頃車のドアを隣の車に平気で当てる人がいる。特に会社の車はひどい扱いである。
この人がある時車のボデーを知らない時に当てられて「誰がやった?」といろいろ聞いていた。
結局犯人は解らず仕舞いだったが、日頃からこの人は他人の車に平気でぶつけているので「ぶつけられて当然よ」と陰で言われていた。

このように日頃の行いが自分に帰ってくるということを自分自身に知らしめておいた方が良い。
そしてこれらをまた「神様が見てござる」という言い方もする。誰も見ていないだろうと少々悪事を企ても、その姿を神様が見ているからやってはいけないということわざである。
そんなこと関係ないという気持ちでやってしまうと結局最初に説明したように「天につばを吐く」つまりいつか同じことを自分にされるということになる。

ということでお互い気を付けたいものである。だが前回言ったように「やってしまった」という失敗は若い時は多々ある。その場合は素直に反省する気持ちを持ちたい。これはまたプライドという問題とは別である。

 

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第53回 何度でも言うが失敗することとは(・・?

2015年10月28日

人間だれもが失敗する。年寄りがなぜよく知っているか?それは色々と失敗してきたからだともいえる。しかしその失敗の内容で人間的に賢くなるのではなく、失敗をする愚かな行為を第3者的に眺めてみて自分自身を変えていくということを学習しないと、周り車の中で動いているハツカネズミと変わりない。
以前火傷の話をしたしブログにも載せてある。人の振り見て我が振り直せ。とあるが自分のふり見て自分をまず直せ。これが第1である。
普通の人は火傷しないとわからない。だから成長しない。火傷したくないからである。そうじゃなくて火傷しないぎりぎりの中で、火傷しない方法を考えないと。
自動車の事故や違反に関していえば私も自慢できない。前科2犯だからである。家庭裁判所にお袋と行っている。あの当時は岡崎でした。
愛知県庁のところにある名古屋裁判所も行っています。もちろんこれは20歳でしたから今度は独りで言ってきました。勿論略式ですが。
事故相手のお見舞いも行った。車の修理はしょっちゅう。しかしそれも25歳位までだった。人は年齢に応じた経験そして失敗があるはず。それを25歳超えてでやってはいけない。というか遅すぎる経験である。若気の至りという言い訳が利かない年齢である。
女性問題にしても然り、特に3角関係や不倫、そしてつまるところ妊娠問題、そして離婚・裁判・慰謝料・認知などいっぱいこれから出てくる。それらを一通り乗り越えていかないといっちょまえの生活など築けない。
また〇〇団がらみもあるはず。それも乗り越えないと大きくなっていかない。というか世間知らずのお坊ちゃんや娘である。!
15歳の小僧はリーゼントしていい。私も高校3年ではアイパー掛けていたし、18歳では一番小さなロッドでちりちりパーマをかけていて、45度のグラスして歩く。周りを見ればみんなヤンキーだった。
しかし25歳の若者が未だに小僧同様に突っ張るか(・・?そこには成長があるはず。失敗がなくても自分を振り返り今まで経験から何かをつかみまた他人を眺め又世間を感じていくはず。
23歳になったらひとりで海外旅行に行ってみたらどうか?近くでよい。台湾でも香港でも中国・韓国でも。十分日本語が通じる。アメリカへ行けば自分が変わるはず。そこで国際免許でレンタカーを走らせてみたり、アムトラックに乗ってカナダまで旅してはどうか。
そこで知らない旅人とともに行動してみる。年齢など関係ない。住んでいるところも関係ない。旅行の楽しいひと時を感じるのである。
この前は仙人になれと言ったが、お金を使う時は使ってみればよい。経験はお金を出さないとできないことはある。たくさん出せば経験値も高い。そして吐き出したお金で経験値を高め、そのパワーでまた働くことに精を出すのである。
電気自動車が充電するようなものである。この理屈は50歳超えたらわかるでしょう。中には60歳超えてもわからない人もいる。
世の中に別荘地帯というものがある。たとえば軽井沢・蓼科などご存知だと思うが。どこまで行っても別荘地帯である。
その別荘が買えない人はリゾートマンションを購入する。それも買えない人はリゾートホテルの会員権を買う。それもかなわない人はたまにいろいろなホテルに泊まりに行ってリゾートを味わう。こうしてひと時の安らぎを感じまた下界に戻るのである。
しかしこのような生活ができる人はごく限られている。自分の家を建てられないのに別荘など考えられないという人が多い。
この人たちも毎日普通に働いている。努力している。しかしダメなのである。どうあがいても別荘持ちにはなれない。
不思議に別荘持ちは車は軽ではない。悪くてレクサス、ポルシェ、ベンツ、ビーエムが当たり前である。
ということは車がまず入口か。これが買えなければ別荘は無理。
それなら素泊まりのビジネスホテルでも泊まって、学生のような貧乏旅行を楽しむか?それで自分のプライドが満足できるのか?
若者は将来がある。将来というものは自分で決めるのである。どんな生き方をしたいのか。どんな生活をしたいのか。
そのためはいろいろ経験することである。そして自らを信じおのれの能力を高め、1歩づつ前進するのである。
時間などない。あっという間に40歳が来るぜ。40歳から人間が変わりますか?お金がわいてきますか?能力が上がりますか?
人間50年の前の努力5年でっせ。就職5年。これで勝負付く。だからこの5年間死に物狂いで働く。遊ぶ。経験するのである。

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第52回 慰安旅行を通して

2015年10月25日

第45回や49回でも書かれていますが、先月のシルバーウィークに慰安旅行で長野蓼科に行かせていただきました。
一流を学ぶということで、フランス料理のフルコースを体験することができ、貴重な体験をする事が出来ました。
今回の旅行では、フランス料理も印象に残りましたが、2日目に見た諏訪湖のほとりにある上諏訪温泉の間欠泉に
ついて興味を持ちました。
DSC_0350諏訪湖の間欠泉は昭和58年に温泉採掘中に噴出した間欠泉で当時は高さが50メー
トルまで自噴し、日本で一番、世界では二位の高さを有していたそうです。しか
し、現在は間欠泉の自噴間隔が長引くようになり、やがて自噴が止まったため、
コンプレッサーで圧縮空気を送り、上部の冷えた温泉を取り除くことで、間欠泉
を噴出しているそうです。そのため、現在の噴出高は約5メートルに留まってい
るそうです。こう見ると諏訪湖の間欠泉は人工的に噴出させているので、天然の
間欠泉と比べたり、昔の噴出高と比べると偽物になるのかと思いますが、一日に
決まった時間に何度も噴出させることができるので観光をする際には便利だと思
いました。実際、平成二年に諏訪湖間欠泉センターと言う施設を建設し、解説プ
レートでの解説、同施設に隣接した公園内での足湯の無料開放を行うことで観光
施設として成り立たせているそうです。偽物と言うと悪いイメージを持つと思いますが、本物に比べて安く手に
入れる事ができ、身近に接する事ができるようになる。実際に私たちが普段口にするマーガリンなどもバターが高
価であったことから代替としてつくられたもので人造バターと言われていたそうです。なので、偽物自体が悪いも
のではなく、偽物を本物と偽って扱うことこそがダメだと思いました。なので、普段は偽物と言われるものなどで
節約をし、お金が溜まったら本物(一流)と言われるものを体験する事が自分をより成長させてくれると思いました。
今回の旅行に連れて行って下さった社長、幹事の方、ドライバーの方たちには感謝します。
福田
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第51回 社会人になってからの誘惑

2015年10月21日

社会人になって最も大きい変化が自由時間が増えるということ。この自由時間にゲームやテレビ、特に女性はドラマにのめりこむ。これは麻薬と同じで一度見始めたらまた一度やりはじめたら止まらない。週刊漫画と同じで、そこに時間を費やし脳の構造が仮想の世界に誘導され、現実に不満を持ち、さらに仮想の世界を楽しむようになっていく。そこにはさらにお金がかかり、時に口さみしさに菓子を食べながらという生活が待っている。
男性ならば飲むことそして打つ、特にパチンコか。これも同様のめり込んだらあっていう間におぼれる。そこにはセイブするものがない。
じゃあ何が楽しいのとなるが、入社して5年はまず我慢することを進める。テレビいらない、漫画いらない。金溜める。仙人になることです。
仙人になることをお勧めしましたが、「かすみを食べて生きろ、下界から生活を遮断しろ」という意味ではありません。誘惑に打ち勝つ精神力を5年で見につけろという意味です。
社会人1年生は学生の延長ですね。つまり付き合う世界が学生とあまり変わらない。また余暇時間も変化ない。しかしこれをどこかで自ら変えていかないと。
この5年間でいかに年長者を誘って社会人というものを吸収するか? 2.3人の人ではいけません。何十人という人と、知らない人とでも良い。交流を計り「人間の生活」という視線で純粋に眺めてみる。そこに自分の生き方がみえてくるようになる。
もう一つは自分の勤めている組織でNO.1をめざす。これはリーダーとしてではなく作業員としてである。
この2つのことを5年間でマスターしておかなければならない。
最も大切なことは朝起きた時に今日の課題をリストアップすることである。それは昨日と同じことまたいつもやっていることと、新しいことに挑戦することとの2色でなければいけない。
昨日の延長が今日であってはいけない。いや失礼。今日の延長であってもよい。私が言いたいのは「俺は藤榮に入社した」と言う本当の理由を発見したい人のみに言ったことです。
会話の内容が「最近寒くなってきました。体調管理に気を付けたいですね」「昨日の〇〇テレビ見た?」「子供がさあ……」これも大切な話題です。しかしこれは明らかに生きる世界が違う。
1%に入りたかったらこの世界からシャットダウンしろ!鎖国でなく鎖人しろ!その時間を本来やるべきことに充てろ。50過ぎたら時間は余ってくる。その時遊べるように今の内からコントロールしろ!
「あかん。何言ってるかわかりません」 理屈はない。行動しかない。結果しかない。→ハッピーになれるか?だ!
「そうですねそう思います」そう言う人いっぱいいる。やっているかどうかは私のことではない。ご本人のことです。そしてご本人の人生です。

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第50回 義務教育とは何か

2015年10月20日

「バカをつくる学校-義務教育には秘密がある」という本を書いたジョン・テイラー・ガットという人物がいる。
ガットによると義務教育が誕生したのは1850年頃のマサチューセッツ州で、その目的は、「大衆を厳しく管理すること」だったという。「支配階級」だけに自立と個性が許され、それ以外の大衆は問題にされない教育によって、「大人の世界に無関心になる」「集中力がほとんどなくなって、あっても長続きしない」「物質主義になる」「依存的で受け身で、新しい挑戦に憶病になる」ような子供に教育されるというのである。
義務教育はプロセインの「国家と産業に民衆を奉仕させる」教育システムに減を発しており、それをまずアメリカが導入し、それが明治日本と中国、ロシアにも輸出されたのだという。
この背景には、大衆というものは本質的には無知な存在であり、「人間は生まれながら権利を有する」というアメリカの建国の父の一人であるトマス・ジェファーソンの抱いた古典的な民主主義の考え方を完全に捨て去ったアメリカの一部のエリート層の自己正当化があった。
「すぐれた知的エリートが大衆を正しい方向に誘導してやる必要がある」-これは、つまり逆に言えば、「大衆というのはどうしようもない馬鹿で、放っておけば反乱を起こし支配階級を揺るがしかねない」ということである。
バカをつくる学校

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第49回 慰安旅行について

2015年10月18日

 

バブル経済崩壊後、社員旅行を中止する企業が多かったのですが、最近は社員同士のコミュニケーション不足を解消するために社員旅行を復活させている企業も多いようです。離職率を低くするのに成功している企業もあります。
やはり普段の仕事ではプライベートな話はしにくいし、他部門の社員とコミュニケーションをとることはなかなか難しいです。一緒に目的地に向かい、同じ物を食べて、同じ宿に泊まる、その中で普段の業務では話せないことを話したり、仕事場では見られない意外な一面を見ることができたりします。
社員旅行の目的の一つは、社員同士の親睦を深め、お互いを知ることです。そして、意見を言いやすい関係を作ることで、仕事の連携はスムーズになり、要望や不満がたまりにくい職場を作ることだと思います。
世の中には休みの日まで会社の人に気を使いたくないという人や、家でゆっくり過ごしたいという考えを持っている人もいるのかもしれません。
しかし社員旅行の目的や意義を自分なりにハッキリとさせて参加してみると、過ごし方や楽しみ方が全く違うのではないでしょうか。
行事にイヤイヤ参加するのはお金も時間も大変もったいないことです。せっかく会社がそういう機会を用意してくれるのだから存分に楽しまないと。そして、そのような機会(チャンス)をくれた会社に感謝するべきだと思います。
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先日、弊社でも一泊の慰安旅行がありました。強制ではないのですが全員参加しました。わたしは幹事をさせていただきました。
幹事といっても特に何をしたということはないのですが、何事もなく予定通りに進むだろうか、大きな失敗がないだろうかと、前日から緊張しておりました。
至らないところはたくさんありましたが、みなさんのご協力のおかげでなんとか無事に終えることができました。
実は幹事役をやるまで、申し訳ないのですが今まで幹事さんが何をしているのか、どんなことに気を配っているのか、あまり気にしていませんでした。自分がそういう目で見ていなかったのです。ただ旅行を楽しんでいただけでした。
やってみると、幹事というのは目配り・心配りというのがほんとに大切なことだと気が付きました。普段からできていない私が先頭に立って、全員に目と心を配ることをしなければならないのです。そして、常に第三者の目線で自分自身を見るようにすることも大切です。
幹事に指名された方は、自分がなぜ指名されたのか、幹事という役割をやることでどのようになってもらいたいと思われているのか、何か意図があるのか考えてみることが重要です。
普段の仕事でも同じことが言えます。誰でもよいから順番に指名されるのではないと思います。言われたから給料をもらうために作業をやるのか、それとも目的意識をもってやるのかで仕事の内容と自分の成長は大きく違ってくるのではないでしょうか。
わたしは幹事役が上手くできませんでしたが、次回の幹事さんの何かお手伝いできたらいいなと思います。
今回も楽しい旅行を企画していただいた社長、サポートしてくれた皆さま、長距離運転したいただいたドライバーの方、本当にありがとうございました。
櫃田

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第48回 成長するとは一体何なのか

2015年10月10日

「何から何へ変化することが自分自身にとっての成長であるかを考え、またその変化をもたらすために今の生活のどこを変えていけばいいのか見直すべきであると感じました」という意見があった。
学校の成長は簡単に言えば進級または進学などわかりやすい。しかもこれはほぼ与えられたものといってもよい。
しかし社会人になってしまうと「仕事の中の作業」というものは会社から与えられるが、それが自分の成長とどうつながるのか分けがわからない。
「年々仕事をすれば給料が上がっていくじゃない」その通りだが、果たして仕事の目的は給料を上げるためなのか?そのために我々は職場に行くのか?生活のごく一部が仕事である。1日の内の10時間ぐらいが仕事への時間とすると、それ以外の時間の成長は何(・・?また100日以上お休みがあるのだから1年の内の1/3の余暇時間での自分の成長は何(・・?となってくる。
私が思うのは成長とは「ライバルを追い越す」ということと思っている。
ではそのライバルは誰か?私は最大のライバルを自分の「親」と考えている。
親は子供の幸せを願って独り立ちできるように育てている。独り立ちしていくと寂しい思いがするが、人生最大の達成感を感じる。
子供も親から離れて自らの力で生活できるようになり、また社会でバリバリ活躍できるようになっていけば、こんなうれしいことは無い。
思うにこの社会でバリバリ活躍できるようになるのは何度も言うように35歳以降であろう。そして子供が中学ぐらいになった時以降が生活が大きく変化し、自らの足で立っていると感じるようになってくる。
自らの力で立っているつまり一端に社会で生きていると感じられるようになった時に、はじめて自分の親が自分を育ててくれた苦労を理解できるようになり、改めて自分は親よりも人間的にすばらしいであろうかと比較できるようになる。
大体40歳位で人間は自分の親を追い越すことができる。いや全員ではないが……。
この40歳以降はもう花で言えば枯れていく状況である。これ以上人間の能力アップは見込めない。だから成長も難しくなってくる。
この40歳ぐらいまでに親以上に自分はこの世に生を受けて思いっきり走れただろうか?
「よし追い越した」と感じた時が「成長」できたと実感できるときだと思う。

 

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過去の日記

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