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2015年09月13日
仕事を一人前にこなすには、「知識・技術・技能」が必要となる。
「知識」とは「考え方・判断・知りうること」であり、「技術」とは「生産の方法・手段」、「技能」とは「生産の具体的な行為」を指します。
ただし、技能は「表現」や「カン・コツの抽出」が難しく、形式的に教えることが難しい。
逆に、技術は形式的に教えることができる。
製造業での手仕事には、機械加工でない限り、どんな些細な作業にも「カン・コツ」がある。
作業者は日々の作業で無意識にちょっとした加減をしている。
鉄鎚の使い方1つをとっても、作業者はその作業に合わせ使い方を加減している。
これがモノ造りにはとても重要なことで、良い仕事をするには必要不可欠となる。
「カン」とは感、すなわち5感を使うことで、俗に言うと「目の付け所」(視覚だけではない)だと言えます。
一方、「コツ」とは、骨法すなわち大事な骨組みのことでを指し、「上手くやるための方法」で、 この「カン」と「コツ」は言い変えれば「作業の要点」(急所)のことである。
この「カン・コツ」を身に付けるためには、経験により自然と身に付く事と、先輩から教えてもらう事があり、どちらも時間と労力が掛かる。
昔から、職人になるには、先輩の技を「目で見て盗め」と言われた。しかし、現代の会社組織の中では、なかなかそんな余裕はない。
会社としても、1日も早く一人前となる人材に育てることは重要課題である。
技能や技術の指導において、作業の手順ごとにこの「カン・コツ」、すなわち「作業の要点」を形式値化すると共に、作業者にしっかりわかりやすく教えることが必要である。
柏原
2015年09月10日
今年の就職活動は年内までかかりそうな感じです。学生さんも気の毒ですが、我々企業の側も予定がなかなか立たないのが現実です。
2015年9月中旬現在内定は女性2名。一人は椙山女学園大学、もう一人は愛知県立大学の方々です。
昨年は静岡大学、岐阜大学、中部大学の方々、一昨年は愛知大学、刈谷工業高校の方々でした。
それ以外にOBは愛知大学、名城大学、専修大学、名古屋学芸大学の方々がいます。 この内理系は3名、静岡大学、名城大学、椙山女学園大学の方々です。
人間の頭脳構造は理系と文系に分かれますが、平成15年度の学校基本調査によると,大学生の総数は,約250万人で、大学院生は23万人います。 文系が,55.3%,理系が28.2%,その他(家政,教育,保健,芸術,体育など)16.4%だそうです。
今までの経験ですと理系の頭脳は細かい。というか固いというか。杓子定規というか。それがまた良いところでもありますが。 根本的に考え方が違う。付き合い方は難しいが味があるというものでしょう。
いずれにしても仕事というもののとらえ方を「作業」ととらえてはいけません。「なぜそうなっているのか」という分析から始めて理屈を理解していかないと。暗記物ではありません。
それを文系の方は暗記物としてとらえていく物だから覚えるのは早いが応用が利かない。
逆に理系の方は理屈で覚えようとするので、覚えるのに時間がかかるが覚えとしまうと応用が利く。これが違いでしょうか?
自動車の免許もある。運転もできる。だけども具合が悪い時にどこが悪いかがわからない、またそれが気にならないのが文系。
どうも具合が悪いなと感じてその具合の悪さをディーラに持ち込んだ時に解ろうとするのが理系でしょうか。
まあ推理小説好きという人がいますが、この方々は大概理系の頭脳の持ち主のような気がします。
2015年09月06日
世界には約1500の活火山があり、日本の活火山の数は110にのぼり全体の7%を占めている。1位アメリカ(174)、2位ロシア(156)、3位インドネシア(130)に次ぐ第4位である。そもそも活火山とは、かつて噴火している火山は「活火山」、噴火していない火山は「休火山」「死火山」と呼ばれていた。しかし、1950年代から噴火していない火山も将来的に噴火する可能性がある火山を「活火山」とし、2003年に「概ね過去1万年以内に噴火した火山および現在活発な噴気活動のある火山」を「活火山」と定義し直している。
地球には十数枚のプレートがあり、そのうち4枚が日本列島付近で重なり合っています。プレートは常に動いており、重なった部分ではどちらかが地球の底へ沈み込んでいきます。このプレートの沈み込む運動の作用でマグマが生まれ、プレートが密集する日本には火山が多いわけである。そして、日本が地震大国であるのもプレートの影響である。プレートの沈み込みに対する反動、跳ね上がりによって起こるのが地震である。
最近、国内の火山が活発化していると感じる人が多い。2011年の東日本大震災を引き起こしたM9の巨大地震があったから、火山の活発化もあり得る。ところが、震源地に近い火山では、噴気の勢いが激しくなったりしたものの、噴火には至っていない。むしろ口永良部島、箱根山、御嶽山など震源地から離れた火山のが活発である。戦後最悪の火山災害となった御嶽山噴火は噴出量約40万立方メートルの「小規模噴火」とされる。では「大規模噴火」とはどのようなものだろうか。先に出た噴出量で言えば、数億立方メートル。1929年の北海道駒ケ岳(約3.4億立方メートル)がそうである。この駒ケ岳以降約100年、大規模噴火が起こってないとなると、これまでの100年近くの火山活動は低調であり、活発化はむしろこれからと考えた方がよいのではないか。
大震災が相次ぐ今と9世紀後半は似ている。
それは9世紀後半に起きた地震と噴火が今同じような場所で起こっているからだ。以下のように。
神津島(838)、伊豆大島(838、886)の噴火 → 三宅島(1983、2000)、伊豆大島(1986)の噴火
中越地震M8(863) → 新潟県中越地震M7(2004)、新潟県中越沖地震M6.8(2007)
富士山(864)の噴火 → ?
貞観地震M8.3(869) → 東日本大震災M9(2011)
仁和地震M8(887) → 想定三連動地震(南海トラフ)
となる。お分かりのとおり、富士山の噴火と南海トラフが残っている。南海トラフはあと数年と言われているとなると、その後に富士山の噴火の可能性があるのではないだろうか。かつて富士山も大震災後に噴火している。
関東地震M7(1433) → 1435年噴火
東海地震M8.3(1498) → 1511年噴火
宝永地震M8.4(1707) → 同年の49日後噴火
となり、先の可能性がより高くなる。なんにせよ9世紀後半と今が似ている事は事実である。人の力ではどうにもできない。私たちができる事は地震や火山の活発化が間もなくやってくることを想定して万全に備える事である。
山本
2015年09月03日
学生さんに聞かれること
・産休ありますか→過去1人取った人がいます
・有給は取れますか→病欠でも後処理で有給にしています
・お休みはどれぐらいありますか→年間120日ですか 盆+正月 土日+祝日です
・社会保険はありますか→株式会社ですからきっちり労務管理されています
・退職金制度は→1年後に全員入ります。また選択自由の確定拠出年金も取り組んでいます。
・保養に関しては→春の新入社員歓迎会、年1度の慰安旅行、年末の泊りでの忘年会、1年後に年1度の旅行への補助金給付(家族までも)、リゾート会員権を2社保有(リゾートトラスト・XIV+マロニエ)していますからみなさん活用できます。
・今年の慰安旅行はどこに出かけますか→蓼科への1泊旅行でXIV蓼科で宿泊予定です。夕食は特注のフランス料理(16000円ほど)をまったりと味わいます。
忘年会は冬の京都への1泊です。XIV京都八瀬離宮に宿泊です。大原三千院など観光もします。
来年は箱根への旅行だそうです。XIV箱根離宮に宿泊する予定です。
・会社の規模はどれぐらいですか→全国の80%の会社が約3億円ほど、0.5%が大企業と言われています。その残り19.5%が株式会社藤榮に当てはまります。
・定年はどうなりますか→60歳で定年しその後嘱託契約で65歳まで継続します。
・株式会社藤榮の勧めるポイントは→中小零細企業の中にあって労働環境への取り組みは、大企業並みに取り組んでいます。ですから働く環境は自信を持っておおすめできます。
・働く年齢層はどうですか→50代が3人、40代が4人、あとは30代が1人、それ以外は20代です。
・社歴は→個人の時代も含めて40年以上です。これだけ古い会社の割に古い従業員の方はいません。
・社長はどんな人ですか→朝礼でいつも「俺は豊明高校出身で高校ではハンドボールを、中学では水泳部だった。スポーツばかりやっていたので頭の方は全くダメ」と言っています。
仕事は社員に紛れて作業しているので見たところ誰が社長か全くわかりません。事務所で経理をしていることも全くありません。
・後継者はいますか→現在大学生男子が1人、この方は社長によく似て体育会系で高校では陸上部を、現在はバレーサークルを、また空手道不動会の3段保持者です。
今一人はまだ高校生男子ですが、この方は社長と正反対で大学受験を静岡大学か千葉大学かと言っています。今一人は中学女子で豊明高校に入るために受験勉強中であります。
・工場は女性でも採用してくれますか→女性でも大歓迎です。ぜひお願いします。それなりに給与を出してもらえます。
・9月になりましたがまだ募集中ですか→はい。まだ大丈夫です。
・他社で内定していますが面談してもよろしいですか→大丈夫です。もし株式会社藤榮の方が魅力的だったらぜひ入社する方向で考えて下さい。
・内定式はありますか→10/1に会社にて行います。その後皆さんで食事会に出かけます。昨年はご飯のお替りを4杯もした大食いの方もいました。
・内定後どんな具合ですか→石原明さんのポットキャストを教材にして週1のペースで感想をチャットしてもらうことになります。
以上でしょうか また質問がありましたらお知らせくださいね。
2015年08月30日
10人が働いていた。そこにまんじゅうが10個差し入れが来た。まんじゅうは全員一人1個ずつ行き渡った。ハッピーだった。
また翌日も10人が働いていた。今度は8個のまんじゅうに差し入れに減った。これでは全員行き渡らないのでじゃんけんして2人には我慢してもらった。
翌々日はリーダー格が10人から7人を呼んで8人のグループに減らした。差し入れのまんじゅうを計算したのだ。案の定まんじゅうは8個差し入れられ、一人1個ずつ行き渡った。
翌々日はまた8人集まった。しかし差し入れまんじゅうは6個に減ってきた。そこでリーダーは困った。
①自分とサブリーダーは今回は我慢して残りの人に分け与えようか?
②また同じようにじゃんけんして負けたものは無しにしようか?
迷った結果またじゃんけんで落ち着かせた。
次の日はリーダーは6人を呼ぶつもりだったが以前のこともあり5人に減らした。
案の定まんじゅうは5個しか差し入れされなかった。何とか一人1個行き渡った。
翌日リーダーはまたまた考えて4人に減らした。そしたら今度は6個のまんじゅうが来た。2個余ることになったのでリーダーとサブリーダーで分け与えた。つまりリーダーとサブリーダーは2個食べたのである。
ここでリーダーは初めて考えた。次回も4人で集まり、もし余分にまんじゅうが来たら翌日に取っておこうと。
案の定5個差し入れが来たので1個余った。これは翌日に回した。
翌日は6人集まりまんじゅうは6個もらえた。昨日1個残っていたのでそれを先に食べてまた1個残した。
リーダーはまた考えた、「1人1個必ずまんじゅうをもらえるようにできないか」と。
そこでこう考えた。まんじゅうを持ってきてくれる人に明日はいくつもらえますかと聞くことにしたのだ。
そこで明日のまんじゅうを聞いて集める人数を考えるようになったのだ。
しばらくまんじゅうが一定の5個もらえるようになったので、今度はまんじゅうを6個もらえないか聞いてみた。
そしたらこう帰ってきた。「今の働きでは5個しか渡せない。6個ほしければもう少し働きの結果を良くしろ」と。
そこでリーダーは考えた。何とか6個もらうために明日から、はじめから6人集めてきて一番出来の悪いものは無しにしようと。
そこでメンバーは何とかもらえるように必死で頑張るように考えた。
すると2日後にまんじゅうは6個もらえるようになった。
そこでリーダーはまた1人余分に連れてきた。そこでまたメンバーは必死に頑張った。すると2日後は7個もらえるようになった。
これは今の世の中の社会、つまり資本主義の世界そのものである。
2015年08月28日
ある人Aさんが仲間2人Bさん.Cさんを連れてパチンコに行った。元手はAさんが各自に1万円出した。
3時間後終わりにして結果をまとめると、Aさん→戻り3万円 Bさん→1万円 Cさん→0円 合計元手3万円のところ4万円戻って儲けが1万円という結果になった。
次の日また同じようにパチンコした。次の日も上と同じ結果になった。
また次の日も行った。また同じ結果になった。
3日間のトータルをここで表してみると、Aさん→3万円が9万円に Bさん→3万円は3万円 Cさん→3万円は0円に。
つまりCさんはすべて元手を無くしていた。
4日目さすがにAさんはCさんは断ってDさんを呼んだ。するとDさんは1万円を2万円にしてきた。
これが3日続けたら同じ結果で合計9万円が18万の倍になって帰ってきた。
前回のマイナス分を考えるとこれで納得した。
これを会社に置き換えてみよう。
AさんがBさんとCさんに作業を割り当ててチームで取り組んだ。
来る日も来る日もCさんが失敗するのでBさんに相談した。
「いい加減Cさんは外そう」と。するとBさんは「かわいそうだからもう少し待とう」といった。
これを冷静に考えてみると、Aさんは自分以外の2人の日当を出している社長。Bさんはもらって働く社員。Cさんは入社したての新人。となるか。
やはりAさんは経営者、算数が頭に立って儲けてくれる者が仲間と考える。
Bさんはやとわれ人なので自分のお金ではないので足を引っ張られても何とも気にしない。
ただCさんが気の毒だという考え方である。
そこでAさんが「わかりました。明日からBさんにCさんの給与も渡そう。それでCさんも食べさせてあげてください」と言ったらとたんにBさんは
「あんなできないボトルネックな人の面倒は見れませんよ」と言ってきた。ここで自分が損するということが理解できて断ってきたのである。
世の中こんなものである。いつもは人が良いと言われている人も自分ごとになると途端に冷たくなるのも世の中である。
2015年08月23日
第31回でも書かれた事ですが、現在、少人数での勉強会で仏教について勉強しています。日本人である私たちは墓参りや葬式などで仏教と関わる事があると思います。私自身この勉強会を始めるまで仏教についての知識は親から聞いた事や学校やテレビからの知識しかなかったので今回の勉強会で使用している副島隆彦さん著「隠された歴史」を読んで自分が仏教について知らなかった事が多くあることを知りました。
阿弥陀如来や観音菩薩などは聞いた事があると思いますが、「如来」と「菩薩」の違いについて知っていますか。私は勉強会をするまで知りませんでしたが、「如来」とは悟りを開いた者で、「菩薩」とは悟りを開こうと修行している者を指すそうです。また、仏教と言われると仏像を拝むものだと思っていましたが、これはブッダ(お釈迦様)が亡くなった200年後にギリシャ・ローマの影響を受けて作られたそうです。他にも仏教には多くの宗派があります。これは各宗派がよりどころにしている経典の違い、他の宗教の影響などによって変化していったからだそうです。こうして見るとブッダが開いた仏教とはどんなものだったのかと思いませんか。こうした疑問をそのままにせず、知っていこうとする事が自分の成長に繋がると思うので、これからの勉強会の時間を大切にしていきたいと思います。
福田
2015年08月23日
HP リンク http://www.fuji-advance.co.jp/prof/policy.html を見ていただいて解りますように「営業部」「業務部」「生産部」の3つに分かれています。
この中で最も付加価値の高く稼ぎ頭は「生産部」です。唯一の利益を生み出す場所です。
「営業部」は仕事の確保が目的でそこには利益は生み出す要素がありません。
「業務部」は当然のこと事務処理や管理面が役割となりますから逆に言うと唯一生産性の無い場所です。
当然社員の配置割合も「営業」:「業務」:「生産」=2:2:6となっています。
入社スタートはレベルも給与も同じですが、やはり一番教育熱心にされるのは「生産部」です。ですから給与面や立ち位置も一つ抜きんでることになっていく。
「生産部」の男女の割合は男:女=7:3になっています。この中で女性が大事な役割を果たしているのは「資材発注・パーツ管理」の面です。
男性と女性の家庭での役割でもそうですが、仕事をしてお金を稼ぐことは主に男性、家事一般は女性が受け持っています。勿論共働きは当たり前なのですが、要は女性はきめが細かいということでしょう。ですから工場内の管理的なことは女性が受け持っています。
それ以外に機械で材料を加工するためのプログラム作成も女性が受け持っています。要は藤榮全体の要は女性であるということが言えるでしょう。
女性で職種と考えると「事務」と考えがちですが、女性の中でも「私は会社の一員としてぜひ活躍したい」「女性でも男性に負けないわよ」という心意気の方はぜひ「生産部」をお勧めします。
確かに初めは抵抗があるかもしれませんが、藤榮の明日を作るのはやはり「生産部」であると言い切れるからであります。
ましてや一通り女性でやれる仕事をマスターしていけば女性工場長も生まれてくる可能性はあります。それだけ会社も期待していますし、また今の日本には新しい21世紀をしょって立つ若者が必要です。そこには女性の力がどうしても必要になってくると考えるからであります。
2015年08月20日
自分の経験したことのない世界を眺めたり感じたりしてみると①「アーすごいな。しかし私には無理」と考える人と、
②「アーすごいな。私もあのメンバーの一員として活躍したいな」と大きく2つに考えがわかれる。
①の場合の方は今後も無理をしなくて人生を進めていけばよい。
しかし②を感じる人は思い切って踏み出すしかない。振り返る余裕もないし、結果を悩む必要もない。成功者がいるのだからそれと同じことをすればよい。ただそれだけのことなのである。 もちろんただそれだけということの中に「ノウハウ」があるし、一見簡単そうに説明される中に影の努力がある。
こういう世界の例に芸術の世界、職人の世界が代表にある。この世界は「一子相伝」といっても過言ではない。 見た目に感動し、ああなりたいと思わされるものは「芸術」ととらえた方が良いだろう。味わう、聞きほれる、見た目に目を奪われる、どうしてもほしくなる、こう言った物であろう。
会社運営もこんなものであろう。そう「芸術」なのである。だから見た目に素晴らしいと思わせられ、その一員になりたいと思うのである。
芸術の世界はまさにその磨き上げた匠の技を「まねる」ことしかない。この「まねる」ことがすなわち「学ぶ」ことなのである。そして先生はある優れた人物のみにおのれの秘伝を極秘で教えるのである。 この秘伝は一種の毒にもなる。それなりで無い者が身に着ければそれは逆に悪いものになってしまう。だから先生は生徒を選ぶ。
ということは生徒も然り、本当の素晴らしき芸術を身につけた先生を選べ。そしていったん選んだらどこまででも食らいつけ。泣き言言うな。振り返るな。今を考えるな、10年先を見つめろ。そして去り際を見つけろ。
とにかく言いたい。「おのれを信じろ」すれば実力はおのずと結果としてついてくる。人生は自分との我慢比べである。 そしてあなた以上に数十倍も我慢してくれているのは、いつの日か自分以上に乗り越えてくれる立派な姿をあなたに思い浮かべて、必死に口に泡を浮かべながら「怒鳴り、叱咤し、激励し、時に無視する」先生の方である。
それで人は一人前になり、去り際というものを考えることになる。
去り際というものは自分が師匠に立派に作りだされたように、芸術的弟子をこの世に作り出すことである。
この一連の流れで人生は終わり後世に名が残るのである。名は墓に刻む物ではない。
2015年08月19日
「論語の中に「私は十五才で学問を志し、三十才で学問の基礎ができて自立でき、四十才になり迷うことがなくなった。五十才には天から与えられた使命を知り、六十才で人のことばに素直に耳を傾けることができるようになり、七十才で思うままに生きても人の道から外れるようなことはなくなった」というのがある。
この学問の基礎は何か?現代では社会人または職場の基礎と言い換えてもいいのだが……。
就職したら会社は新人君に早く仕事を覚えてもらいたい。だからまず作業から覚えることになっていく。確かに作業は大切である。しかしこれは一見近道を歩いているように見えるのだが実は後々遠回りになっている。
論語で説明している30歳での基礎というものはズバリ人生観であろう。
ギリシャ・ローマ時代に「リベラル・アーツ」という概念があった。これをインターネットで調べると
ギリシャ・ローマ時代に理念的な源流を持ち、ヨーロッパの大学制度において中世以降、19世紀後半や20世紀まで、人が持つ必要がある技芸(実践的な知識・学問)の基本と見なされた自由七科のことで、具体的には文法学・修辞学・論理学の3学、および算術・幾何(幾何学、図形の学問)・天文学(円運動についての学問、現在の地理学にも近い)・音楽(ここでいう音楽は現代の定義の音楽とは異なる)の4科のこととでてくる。
さらに第1科目として数論(1次元)と計算術の研究である算術、第2科目として平面(2次元)に関する研究である幾何学とでてくる。そして哲学は、この自由七科の上位に位置し、自由七科を統治すると考えられた。
つまり本題に戻るとすなわち人生観とは、ひとりひとりが、自身自身の人生や人間全般の人生について抱く諸観念のこととでてくるので、まずこの哲学を学ぶべきなのである。
この哲学を5年ほどかけて地道に学んでいけばウサギと亀のイソップ物語にあるように、いつかウサギつまり近道したものを追い越すことが必ずできる。またこの者は「砂上の楼閣」ではないので、スランプに落ちても自分自身でそれから抜け出すことができる。しかし近道をしたものは地図を失ったとたんに人生という道に迷い、どう進んでいいものかわからなくなってしまう。
だからくどい様だがまず人生観、つまり哲学から入り次に算数つまり儲けること、算式にある、「売り上げ、粗利、経常、生産性」などに今度は知識を全力で見につけていかねばならない。
この数字を身に着ける時に注意したいのは、数字を優先すると人間関係がぎくしゃくし、かえって良いと思われることが崩壊するということである。だからどうしても哲学=倫理感=道徳が必要になってくる。
「泥棒しても金儲けしろ」これでは数字は良くなるがあきまへん。「仲間をロボットと同じように働かせてピンハネしろ」これも同じ。世の中まず数字ではないのです。
次に大切なのは数字は帳面と電卓上のことではないということ。計算の上ではいくらでも理想を描くことができる。しかし数字こそ実際に積み上げたおのれのまたはその会社の能力の表れであるので、数字を考えるのならば実態をよく熟知しなければなりません。現実性のない数字ほど馬鹿げていることは無い。だから凡人に数字をいじらせてはいけない。そこで元に戻るが基礎的概念がしっかりしていてさらに基礎学力の見についている者のみが、「作戦」というものを考えてもよいのである。
作戦の考えられない司令官はリーダーとは言わない。ただのお山の大将である。何の裏付けもない者はいつか倒される。
こんな考えがある。ある者が若者に「どうしてお前は〇〇なんだ」「俺が言ったとおりにしろ」と言ってくる。それは社長が言っているわけではなので、その人が考えたことや経験からものを言っていると思うのだが、どうも言われた方は腑に落ちない。そこでその先輩に聞いてみた「先輩が言うことを行えば今度のボーナスが上がりますか」と。
何が言いたいかといえば命令・指示の見返りには必ず評価と手当が付いて回るということだ。一生懸命言われたことをやってそれが先輩の満足だけだったということならばやらない方がいい。
結論 つまりこの先輩には命令する権限がなかったということである。無い者はリードという振る舞いをしてはいけない。して良いものは哲学が理解し尚且つ次のステップに実績から導き出した数字を理解したものだけである。
地図を持たない先導車の後を付いて行くといつか迷路にはまるということである。