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第31回 勉強会について

2015年08月16日

現在、藤榮では少人数のグループで勉強会をしております。内容については「そもそも仏教とは何なのか」についてです。日本人のほとんどは宗教についてはあまり関心がないのではないかと思います。正月に神社に参拝したり、クリスマスにはお祝いしたり、と様々な宗教の行事を行ったりします。宗教の中でもイスラム教やヒンドゥー教などと比べると仏教については多くの人がなじみ深いと思いますが、仏教についてどれだけのことを知っているでしょうか?私自身まだまだ知らないことばかりですが、仏教は仏陀(ブッダ)=お釈迦様の教えであるという認識しかありませんでしたが、仏教には数多くの宗派がありその中には仏陀とはあまり関係のないようなものまであるそうです。仏に対してお祈りをするというと、普通は仏=仏陀(ブッダ)にお祈りをすることだと思います。しかし、お祈りをする対象が仏陀ではなく、べつのものにお祈りをしているものもあります。仏像というと仏陀の像を思い浮かべますが、全部が全部、仏陀の像でしょうか?
関心がなければ、「そんなことはどうでもいいじゃないか」で済んでしまうことかもしれませんが、そこでは終わらせずに勉強をすすめてみようと取り組んでいます。知らなかったことを知ることができる良い機会なので、これからも勉強をしていきたいと思います。

寺澤

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第30回 工場見学でまず目につくのは5Sの看板です

2015年08月11日

「5Sとは1.整理→不要なものを捨てること 2.整頓→使いやすく並べて表示をすること 3.清掃→きれいに掃除をしながら、あわせて点検すること 4.清潔→きれいな状態を維持すること 5.しつけ→きれいに使うように習慣づけること という意味である。
ここで最後に躾が入ってくるのだがこの躾をもう少し細かく見てみよう。インターネットで調べると、
しつけとは、人間社会集団規範、規律や礼儀作法など慣習に合った立ち振る舞い(規範の内面化)ができるように、訓練すること。
しつけとは、教育することと言い換えても良いが、教育一般よりも生活全般に根ざした、更に根源的な事柄にまつわる部分を教えていく行為を指す。とある。
たとえば「就職は人生の難関の何番目になるか」で紹介した、お受験ということがある。愛知県で男子というと最高の中学はやはり「東海中学」であろう。ここに入学させるため(子供本人はそんなことわからない)親が必死に勉強させる。
勉強とは机に向かってじっとしていられる人間が勝つと決まっている。落ち着きがない子供、またはそういった環境にいる子供または勉強しなさいといわれない家庭の子供は別段無理して勉強しない。
しかし勉強しなさいと親が厳しく躾し尚且つ一流の学習塾に入れるとだれでも入学できるかというとやはり落ちるべき人は必ずいるのである。しかし親は何とか受かってもらいたいだから躾ける。
これで躾けられた子供は、他のそうでない子供たちよりも結構きめが細かい。きめが細かい人間は神経質ともいえるので仕事もやりこなす。なぜなら自分にプライドを持っているからである。できない自分が許せないのである。
また彼らは自分に厳しいようにまた他人にも厳しい。だから組織にそれなりの立場に上がっていける。このようにすでに人生の競争は小学生から始まっているのだ。
これ以外に社会で競争に勝つ方法は自宅が仕事場であって親が子供に毎日毎日仕事のお手伝いをさせている家庭である。これは門前の小僧の世界であり親の背中を見て子は育つそのものである。
良く会社経営は3代目でダメになる言われるがまさにこれである。2代目はお父さんの仕事ぶりを見て育っている。ところが3代目は生活の場と職場が既に別になってるのでなかなかお父さんの仕事ぶりがわからない。
また3代目の中にはお父さんと違ったことをやりたいという者もいて突拍子もないことをやりだすものもいる。これを2代目が抑えることができれば良いのだが、親ばかというか案外自由にやらせてしまう。
本当に3代目に経営の素質があればこの自由奔放こそ最高の訓練となるのだが、それは子供のころに躾されていたという条件が必要になってくる。子供の時から甘やかされて大人になっても甘ければ結果は知れている。
では子供のころは甘やかし大人になったらしっかり躾すればよいかとなるがこれもダメ。甘やかされた坊ちゃんは打たれ弱い。また挑戦意欲もない。
では子供のころ厳しくされさらに大人になっても厳しくされたままの大人はどうか。これもあきまへん。自分の意思というものがない。自立できません。
結論やはり小学生まではしっかり躾けられた子供でその後年を追うごとに自立させられ、社会に出たらご自由にどうぞといって育てられた子供ほど競争の社会で強いものはない。
強いとは別の言葉で言いかえると要領がいいともいえる。要領をわかりやすく言うと、大学時代の試験をすべてカンニングできりぬけ、またレポート提出には他人の物を借りて写し、授業は友達に代弁してもらってバイトするか遊びに励んみ、卒論もめったに出なくて最後の発表のみ参加する、その癖4年でしっかり卒業し成績も優秀だった者といえるでしょう。
これは頭が良いという世界ではなく、まさに要領つまり友人関係・段取り・時間管理・目的意識などなどの社会人として必要なことをすべて持ち合わせているといえる。
この者が社会に出て「仕事を躾けられ」文句を言いながらそれなりに結果を出していくともう誰もついていけない。もともとの素質が違うからである。どれぐらい追いつけないか?
仮にその要領の良いものが上から1番だったとしよう、つぎの2.3.4番の3人が協力して対抗しても多分1番つまりその要領の良い人間には一生勝てないだろう。人生とはこんなものである。
「学生時代しっかり勉強してきてあまり遊べなかったから社会人になったらのびのびと生活します」という考えの者もいるがこれもあかん。そもそもこれからさらに競争が厳しくなるといっているのにそんな甘い考えではどうするの。
くどくど申し上げるがいい給料がほしくまたそれなりの地位立場がほしければ、よく考えることである。ほんの1時間ほど考えて結論出しこれではあきまへんで。
来る日も来る日もまた風呂入っていても眠っていても考え続けないと。だいたいこんな状態では不安でぐっすり眠ることもできないと思うのだが。
睡眠薬まがいの物を飲んで週に1回はぐっすり寝る。それ以外はとにかく励む。血のにじむとは言わないが、それでも血の小便が2.3回ほど出ないと。実は要領はいいのだが案外神経質で陰ではしっかり努力しているのである。
他人に負けるのが悔しいというその一点で生きているのである。だから誰が見ても優秀なのである。
お金持ちになれますか?という前にまずやることやってみることである。

 

 

 

 

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第29回 予習復習

2015年08月09日

予習復習と聞くと、学生の頃を思い出す。
予習とは前もって学習することであり、復習とは習ったことえお繰り返し学習することである。
やる人とやらない人では、成績の差は明白である。やれば授業もスムーズに進むし、テスト前に焦らずに済むし、いい点が取れる。では、なぜやらないのか。それは意識が低いからです。やる人は中1か2年には、どこの高校に行くか決めている。さらには「○○大学に行くには××高校に行かないと」という人もいるでしょう。やらない人は中3になってから「自分の学力なら□□高校かな」という具合に決める。しかも後者に限って提出物の出が悪い。つまりは先生の言うこと聞かないということである。
社会に出ても予習復習は大事である。
その前に、学生は学校にお金を払って教えてもらう、社会人は会社から給料を頂いて、さらに教えてもらう。このことを頭に置いておかなければなりません。
入社して間もない頃は、初めてのことばかりである。3カ月もすれば慣れてくる。もうこの頃には新入社員とは呼ばれない。最初は手とり足とり教えてもらえたが、もう自分で覚えていくしかない。どうするか。先輩のやっている作業を見て盗むのである。しかし、自分の作業も並行して進めなければならない。自分の作業ですら精一杯なのに、人の作業を見ている時間や余裕がない。時間がないなら増やせばいい。いつもより早く出社する、今日あった事を反省して明日に繋げる。仕事外の時間に勉強する。時間は誰もが平等である。1日24時間これは変わらない。この時間をいかに使うか。いかに努力するか。よく「私は努力しています」というフレーズがありますが、もし他の人も同じような努力をしていたら意味がありません。いつまで経っても平行線です。抜きん出るためには人の2倍3倍それ以上しなければなりません。言われたことだけでは、成長に限界がある。しかし言われたこともできない人が多いのも事実である。先に提出物の出が悪い人は言うことを聞かないと言った。学生であれば先生に、会社であれば先輩に言われたことである。これは今就活している人にも言えることである。本気で入りたいならば、その会社の隅々まで調べるであろう。調べてこなかったら、うちに入る気はないのだろうと考える。もし入れたとしても会社で言われたこともこの人はできないだろう。自分の入りたい会社を全力で予習し、入ったら毎日復習の繰り返し。これを怠れば違う人に仕事を取られ、自分の行き場がなくなる。常に競争である。

山本

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第28回 仕事を学ぶタイプあれこれ

2015年08月09日

こんな授業があった。
先生が生徒にやかんについての実験を説明していた。
先生「ここに水の入ったやかんがあります。これに火をつけて沸騰したら火を消します。沸騰したやかんは絶対に触ってはいけません。大変熱く触るとやけどをするからです」
生徒「はい。わかりました」と返答する。
その中の生徒A「本当にやけどするのかなあ。触ってみよ」「あちーやけどしたあー」→先生のことが信用できなくて実験してみるタイプ
生徒B「やっぱり触るとやけどするのだから触ってはだめだ」と学習するタイプ。
生徒C この生徒はこの先生の授業を受けていないのだが、たまたま通りががっておもしろそうだったので実験の一部始終を見ていて、熱いやかにに触ると火傷することを覚えた」
このタイプはなかなか社会にいない。どうしても自分の作業にいっぱいいっぱいで他人のふりを見る余裕がないからである。
生徒D「どうしても触ってみたい。しかし自分で触るのは嫌だからだれか違うやつに触らせて自分はその様子をうかがおう」
真に要領のいいタイプである。これは大成する。生徒Cも少ないがこの生徒Dはなお少ない。CとDの性質を兼ね備えている人は相当大成するであろう。
さて仕事に当てはめてみよう。
先輩が新人Aに作業を説明し最後に「ここに気をつけないと失敗します」と付け加えた。
先輩は新人Aに作業をやらせてみて30分ほどつきっきりで指導し、作業ぶりを確認していた。どうやらできそうだったのでその場を離れた。
始めてから40分後新人は先生が注意したことを守らなくて案の定失敗した。やかんの話でいうと熱いやかんに実際に触ってみたのである。
社会で仕事につかまると大体の新人は生徒Aである。頭では理屈がわかるのか説明が終わると「はい」と言う。しかし失敗するのだ。
それで先輩が飛んできて叱られる。「だからこうすると失敗するといったでしょう」と。
これが普通の出来事である。その叱られている様子を見てBさんは学習するのである。これを「人の振り見て我が振り直せ」ともいう。

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第27回 就職は人生の難関の何番目になるか

2015年08月06日

人生の通り道の中で難関と言われるものが5つある。
1.大学入学 2.就職 3.結婚 4.子育て 5.マイホームを持つ
1.の大学入学はすでに経験された方がこれを読んでいると思うので言うまでもない。なんだかんだと言って日本という社会は学歴社会である。そしてまた偏差値優遇社会であるといってよい。いい例が国家公務員=官僚は中卒では決してなれない。一流大企業に就職しても部長クラスにはなれない。大体出身大学で判断されてくる。銀行マンでもそうである。中卒の人はいない。人生の勝負はまず初めは大学に入るかどうか、そしてその大学はどこなのかなのである。
2.次は就職である。どこに就職するか?大企業や国家公務員に名を求めていくか?慣れたころには2.3年に一度の転勤移動が当たり前のようにやってくる。では中小企業で我慢するか?親に言われる「私はあんたに中小企業に行ってもらうために大学まで入れたんじゃないよ」と。親も内心名を求める。そこで大企業に入ることにした。学歴社会だから上層部は国立1期校のなかでさらに優秀と言われる学校卒の連中で埋め尽くされる。それでも名を求める。
それならば中小零細の中で優秀と言われるところに入社し、重要人物になろう。
社会で2.8の原則がまかり通っている。「会社を盛り上げるのは全体の2割の者で残りの8割はこの2割の人間の付いて回りだ」という意味である。このように上下関係はどこまででも追いかけてくる。というか学生時代の上下関係などかわいいものだ。社会の上下関係は即収入・地位が関係するからである。「鶏口となるも牛後となるなかれ」という故事がある。
3.就職したら学校と違うのだから他人は自分の仕事を決して渡そうとしない。渡せば自分のおり場がなくなってしまう。きるだけ新人教育はしたくないものである。だから昔は仕事は見て覚えるとか盗む物と言われていた。未だにそれを貫いている会社もある。逆に手とり足とり丁寧に教える会社もある。
まずは28歳ごろに係長になること。つまり就職5年である。これが最初の最も大事な時期である。
4.28歳で自分の会社でのおり場を見つけ出したら次は身を固めることである。結婚し子供を育てる。そこでどの家庭も悩むのである。そして子供に期待をする。自分よりはできのいい学校に入ってほしいと。それで小さなときから学習塾に入れる。時間を割いて親は送り迎えをし、自己満足に浸る。そして勝負の初めは大体中学ぐらいで決まる。有名私立中学に入学できるかである。まさに時間とお金の戦いである。そのためだけに親は働くといっても過言ではない。
そうでない家庭もある。それは初めから社会に競争していないのだった。だから子供にも競争させない。またはおのれの能力を知っているから子供に無理を求めないのかもしれない。そこで勝ち残っていけて頂点の学校に行ける子供のみが親がなしえなかった道に行けるのである。ただし受験勉強は社会に出ても役立たないのだが。
5.子育てが目鼻がつくのは中学卒業ぐらいである。高校に入学すれば義務教育でもないので親も気が楽になる。後3年すれば働いてくれる。家庭は楽なる。
そこで考えるのが自分達の生活の場所である。初めはアパート暮らしだったのだが何とか中古のマンションでもいいから住みたいと考える。子供も就職してくれたから何とかローンも返せるだろう。小さな幸せでも自分にとっては最高に幸せであると。
そう、こんな感じで一生の勝負事がやってくる。勿論子供を何人作ろうだとか親の遺産分与でどれだけもらおうだとか別の勝負事はあるのだが……。
これらのことを就職する前からすでに計画立てておかなければならない。いずれある年齢になれば自分の死ぬ時のことも計画立てるようになる。これが人生設計と言われるものであり、それには人生観=哲学が関連してくるのである。
ダイヤモンドはなぜ光るのか?それは光る原石を磨いたからである。道に落ちている石を死ぬまで毎日磨けばダイヤモンドになるか?なるのならば毎日磨こう。
人間も同じかもしれない。孫子が言う「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」と。まず己を理解することである。それで人生観を考え設計を立て相棒を見つけ怒鳴り合いながらあっという間に年を取っていく。

 

 

 

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第26回 就職は簡単である

2015年08月05日

自分がお気に入りの所へ会社訪問した。そこでいろいろ情報を聞いてみると自分に真に合っている。ぜひ就職したいとアピールしたら、選考okが出た。来春から晴れて社会人1年生だ。
ここに落とし穴がある。会社の本音を言うと実は学生のことを深くわかっていないのである。が、まあそれなりに良いだろうということで採用してみるという具合である。逆に学生もその会社のことがはっきりわかっていないと思う。それでまあここにしようとなる。お互い様である。務めて1か月する。GWが終わると会社も新入社員の学生気分を抜くために一端に扱い始める。ここが大事なのである。この1か月間で「この人間はどうなのか」とさぐられているのである。そしてGW後にこの人間は近々○○の仕事を担当させよう。またあるものはこの時点でエリートコースに選ばれているといっても過言ではない。
学校と違って会社の先生は全員を均等に扱う又は教えるということなどできない。先の見込みのあるものにはどんどん教えられるというより、中小零細企業にでもなると、入社3か月過ぎたあたりから社長直々に教育が始まる。これはつまり将来を託されたメンバーだと言い換えてもよい。これが社会であり世の常なのである。え、私はあの苦手な先輩が担当なの、またはあーよかったあの人やさしいから楽だわ。こんなこと感じていてたらすでに来年の新卒に1年もしなくて追い抜かれることでしょう。来年の7月ごろからはまたその新卒の良くできるものをえりすぐんで社長自ら教育しだすからである。この繰り返しで組織は発展しその能力の高いものはどんどん実力を蓄えサラリーも上がっていき組織の立場も大きなものになっていく。ところがそうでないものはなかなか浮上するのに苦労する。学生時代では先生が成績という名目で評価していたはず。5段階評価で5が多いものは優秀。1が多いものはダメ。社会でも同じなのである。だから「よっかった目当ての会社に入社できた」と安心してはいけない。とりあえず入れてもらったと考えるのである。
前回就職するときに「その会社はもうかっているか?」を確認した方が良いとお伝えした。次にお伝えしたいのはその会社のレベルである。果たして自分が入社してついていけるのか?
学生時代に偏差値があるように、会社にもある。評価会社は帝国データーバンクや東京商工リサーチといった会社が有名である。
この会社も偏差値をつける。そうよいと思われるところは60点以上 あかんというところは40点以下。これも相手の担当者に聞いてみると良い。「お宅の会社は評価会社から何点もらっていますか」と。
60点はあるよと自信を持っ手返答する会社で、自分の学生時代の偏差値が50点ならまずその会社に入っても付いていけるのか難しいと考えられる。逆に40点ぐらいかなと答える会社は優しいと考えた方が良いだろう。しかしこの会社は可もなく不可もなくという状態であることからそれなりの収入で落着くであろう。
自分が60点ならばぜひ60点のところへ入社すべきである。まことにマッチしているといえる。60点とは相当優秀な会社で赤字など過去になかった、借金も少ないスバ抜けた経営状態であるといえる。これに人生を託せば必ず裕福になるだろう。
ところが偏差値を教えてもらえなかった場合はどうやって判断するのか?
「この会社アットホームで温かそうだ」これはのんびりした環境なのだからそういうものであるといえる。
「この会社はピリッとしている。片付けもされ掃除もされている」これはまず社長が細かいといっていいだろう。社長が細かいということは仕事熱心であるということだからまずもってそういうものだと判断できる。
会社訪問で仮にいろいろ聞いても答えてもらえなくとも、それなりの自分の目で確かめてくる必要はある。何せ一生をその会社に自分の大切な時間を預けるのだからである。

 

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第25回 社会は学校と違い自分の椅子があるとは限らない

2015年08月04日

学校時代は授業の始まるときにだいたい出席を取る。ということは自分のクラスに自分のおり場があるということだ。
しかし社会に出たらそうとは限らない、会社のおり場は自分で作りだすといった方がわかりやすいでしょうか。
たとえば就職するときにまずおり場を選ぶ。どの会社に勤めようか?会社訪問し現地見学そして社員との会話で自分の選んだこの会社でいいのか?と考える。
そこで仮に選考に選ばれたとしよう。となると自分は会社に成績証明を提出しなければならない。ところが自分はこの会社はもうかっているのか?そして会社として資産またこの会社は裕福だろうか?は教えてもらえない。つまり自分の中身はさらけ出してしまい、相手の中身つまり一生を預ける大切な稼ぐ場所である会社の中身はわからずに選ばなければならないのである。これはどう考えても具合が悪い。自分が成績証明を出したら相手、つまり勤めようと考えている会社も決算内容を提出する必要があるのではないか。そこでズバリ聞いてみればよい。「すみませんが御社に勤めようと思っていますが途中でつぶれたり具合が悪くなるといけないので現状の決算書を見せてもらえますか?」と。ここで大事なことなのだが、株式会社なら「決算書が見たい」といえば提出する義務があるのです。だから堂々と尋ねればよい。そこで担当者は「それは企業秘密である」とか、「私の権限では見せることはできない」とか言って煙に巻いてくるような会社はどうも内容がおかしいと感じた方が良い。
せっかく一生を預ける場合に勝負した会社が3年もしたらつぶれたり、または業績不振で営業所がなくなった、またはリストラということはできないので飛ばされたり降格されたりまたは何時まで経っても賞与が増えないといったことはざらに発生してくる。それは会社にとって皆さんの給与つまり生活費は「仕入れ材料費」に次ぐ大きな「人件費」という経費なのだからである。
ここで製造業の会社は考える。今まである作業をしていた、ところがその作業を2000万の機械を買って機械に働いてもらった。え 2000万も出してとなるのだが、機械というものは最初は高いが毎年償却するのでだんだん安くなる。しかも故障するのは5年後位からでそれまでは人間と違い文句も言わずに働く。だから最終的には安いものだとなる。ところが人間様は採用すると「教育・研修・社会保険・雇用保険・法定外福利厚生などなど」付随するお金がかかる。いくら初任給が20万弱でも6年もすれば機械よりも高くなっている計算となる。つまり人間様を採用すると最初は安いが後々大変な金額なると考えられているのである。これが社会である。
決算の中の経費扱いならば会社としては安く上げたい。当たり前の真理である。だから会社はアー言ったこと、こー言ったことを昔から作戦として出るのである。
だから「どこに就職するのか」=「この会社はもうかっているのか?」を絶対に知らなければならない。そこで大丈夫だと判断したならば、何が何でもその会社で活躍できることを次に考えるべきであろう!

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第24回 2016年新入社員募集活動始まります その2

2015年07月31日

ブログの良いところは自分が過去書いたことを読み返して、自分を改めて学ぶことができるということと、皆さんに情報が提供できて藤榮という会社を理解してもらうことができるということであります。
読んでくださった方々が「うんその通りだ」「へーそんなものなのか」「この人は何を言っているのかなあ」「こんな考え方の会社なら商品は買うのをやめよう」と、いろいろ評価してくださっていると思いますが、それはそれで我々も面白いことであります。
前回の続きとなる「新入社員募集活動」についてでありますが、昨年は工場の女性が窓口となり会社訪問に来た学生さん達に藤榮の会社の案内と考え方をご紹介しました。
今年は27歳という若い男性に担当してもらいます。というのは案内係ができるだけ学生さん達に近いと親近感があり良いだろうということと、この若さでこのレベルの会話をしてくれるのなら藤榮に入社してみようと考える学生さんもいるだろうと思っての抜てきであります。
会社は人の集まりです。この人の中でも新卒で入ってきてそれなりに成長していく社員、この方たちは「子飼い」と呼ばれ、会社の社長から大変厳しくしつけられ、また期待され、そしてそれなりの役割を担うようになっていく。
もう一方は中途採用組でこの人たちは「外様組」と呼ばれ社員なのだがどうしても子飼いの方々からすると別扱いされる。これはどこの会社でも同じであろう。私が以前勤めていた会社は極端に差別されていた。それぐらい子飼いは社長の信任が厚くまたこき使われた。
この子飼いの方々の役割はもちろん社長の考えを形に表してあげることが大事な役割なのであるが、その考え方というものは「企業文化」であるということをあらかじめ理解していなければならない。
言い方はえげつないが経営理念が「念仏」に近いものとしたら、企業文化とは「しきたり=社長の姿そのもの」といった方が良いであろう。だからこの企業文化というものは国民性というか県民性というかそういうものに近い。
こういう場合社長ならこういう判断するだろう!もしこれをすると社長はどう言ってくるだろうか?部下に相談を受けたが社長ならどうやって答えるだろうか?こういった類なものがすべて企業文化と言える。
新卒の方は「作業を覚えて早く会社の役に立つような人材になりたい」と考えて入社してくると思うが、藤榮としては「まずは企業文化を見につけてほしい」とお願いしたい。
だから会社訪問される方々は会社のしきたりや社員の年齢層、そして彼ら彼女らの顔付をじっくり観察してもらい、自分が入社してもみんなとともにやっていけそうかを考えてほしい。
「なかなか仕事は面白そうだ、しかし社員層は気に合わないぞ」「ブログや会社案内の書いてあるのは大げさで、実際見学してみたら興ざめした」「この間訪問した会社の方が給料もよいし、会社も明るいし、仕事も覚えやすい」「自分の存在価値を認めてもらえるような会社ではない。もっとレベルの高い会社に行こう」などなどと判断していただき、それでもどうしても藤榮に入りたいと思う方がいてくださったら、最低5年は我慢して勤めてもらいたい。
やめるのはかまわないが、やめたらまた社会人1年生になってしまうこと、詰まりすごろくで言えばスタートに戻ったことになる。また新しい会社では「外様」である。さらに世の中リタイヤ組が重宝がられることはまれである。そしてなによりも社会=会社の仕組みが理解できるには5年はかかるということを声を大にしてお伝えしたい。
これらの「企業文化を覚えること」「最低5年我慢することができること」「ブログや会社案内の通りの会社であると理解できる」「先輩がのびのび生き生きと働いている」などと考えることができる人のみぜひ入社してもらいたいと藤榮社員一同考えています。

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第23回 親になって気づくこと。

2015年07月26日

おはようございます。 梅雨も明け、気温も35・36℃と夏本番がやって来ました。
子供達は夏休みに入り1週間が経ちました。これから、あちこち町内で夏祭りが毎週のように続きワクワクしているようです。その初日…小6の息子が祭りに行って10時半になっても帰って来ず、LINEで友達に聞きまくり、まだ祭りにいるとのことで自転車で捜しに行ったのですが…すれ違いで帰って来たみたいでホッ??としましたが、怒り爆発でした(笑)
私も子供の頃、祭りは楽しくて良く行きました。何時に帰ったか?までは覚えてないですが、親は心配していたんだなぁ!と自分が親になってわかること。子供の気持ち・親の気持ち・両方の気持ちを知ることで、どう考え 子供に伝えていくかが問題になってくると思います。 子供が成長し、大きくなれば考え方・問題も変わってくると思うので、それに対応できるよう親としても成長していかなければいけないと思います。?? この祭りの2日目に花火が上がったので 家の屋上から写真を撮ってブログに載せようと思っていたのですが…上手く撮れず失敗です。次回をお楽しみに…。
さて、今回も新商品の紹介をしたいと思います。今回は、別注商品です。
通常の流し台から高さをマイナス50のH750を紹介します。H800とH750を並べてみました。下の黒い台輪の部分はそのままで、扉の大きさで高さを調整しています。通常H800にプラス50というH850の商品はあるのですが、それ以外高くしたい! 低くしたい! という事も可能です。 他にも別注として制作可能なものもありますので、お見積り依頼・問い合わせ頂ければ、相談・お応えさせていただきます。外山

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第22回 2016年新入社員募集活動始まります その1

2015年07月24日

CIMG3356一昨年は3人入社、昨年も3人入社しました。6人の内1人はリタイアしましたが、他の方は毎日必死に頑張っています。
ここで考えるのはなぜ新卒募集採用しなければならないのか?です。それは人間年取れば定年でリタイヤするからでしょ!
その通りです。しかし何も未経験のついこの間まで学生だった未熟な者よりも経験ある中途採用者の方がいいじゃないと考える。
どこの会社でもそうですがいつも採用、定着、教育、評価、給与、賞与、人事と言った「人」に関することに最も悩んでいるのではないでしょうか?売り上げが上がらないのに悩むのかそれとも「人」という関することで悩むのか?
まあ大概は「人」に関することでありましょう!
さて新卒教育はどのように行えばいいのか?これでまたつまずく。会社だから作業を教えればいいでしょ!
その通りなのですが、人を作業者と割り切ってしまえるのは中途で採用した方で、「この会社で自分は挑戦しよう」と意欲ある若い方を採用すると、採用した側も「人並み以上の生活を送れるようにさせてあげたい」と考えるのが親心でありましょうか。
「人並み以上の生活が送れるようになる」にはただ作業だけできれば良いというものではないと考える。
仕事は個の生活つまり人生観で決まる。その人生観はほとんど物心ついた時に出来上がっていると言っても言い過ぎではない。
なぜなら人生観は親から受け継ぐものだと思えるからである。
親が朝から晩まで必死に働いて子供に何とかいい学校に行かせ人並みの生活が送れるようにしてあげたいと考えて日々努力している家庭の子は、同じように社会についていこうと必死に努力する。その姿はまたその子供にも乗り移りいずれその子孫は裕福になりまた人間的にも優秀になっていく。きっと最初のお父さんお母さんが努力する生活を始めた時から100年後にはその立派な人生観は実現していると言えるでしょう!
そう考えると若い23.4の子を面倒見だして定年で会社から去っていくまでの年月は40年間もある。この年月の中にその子の両親以上に影響力を与え続けることができれば、その子たちは少しずつでも人生観が良い方向に行こうとするでしょう!
と言っても物心ついた時に出来上がった人生観を変えることは無理である。だからその子が結婚し生活を新たに始めだしたときにより一層人生というものの大切さを教えていけばその子供たちは少し成長してくれるのではないでしょうか。
人間23歳から働き出したとして一つの山場は30歳である。このころ結婚して自分の生活を作ろうとする。ここで初めて親から独立することになる。
30から45歳位までは子供を育てることとまた社会的に立場が重要なポジションになってきていることとのダブルパンチで自分という時間などほとんどなく、あっという間に15年ぐらいが過ぎ去る。
この時が一番大事な時間である。この時に人生観がしっかりしているものは「努力」と言うものをする。
努力は具体的に言うと「100人の内1人しかやれないこと」である。数字で言うと、「1日12時間 年間3700時間以上15年間労働していくこと」である。これができるものはそれなりの地位・信頼・収入・生活・マイホーム・そして老後が保証される。
人間はほぼ45歳で出来上がる。あとは下り坂である。しかし45歳から55歳が一番脂の乗る時期でありまた社会人として最も輝く時間でもある。実際は下っているのだがそれまで20年間培った知識・経験・要領という類の結集で何とか乗り切っていける。
55歳以降残りの10年はまさに後輩の面倒見ということになり、また上手な去り際を見つけ出していくことになる。
55歳過ぎても「俺が俺が」というお山の大将の延長を続けていれば「もういい加減にしてよ」ということになっていく。
30から45歳の最も大切な時期に会社がその子を必死に仕事を与え続け収入面でも応援し続けると、その家庭で育った子は生まれ持って立派な人生観を持つことになる。ここで初めて会社は新卒を採用したという役割をはたしていることになる。
壮絶な話である。何もそんなことまでしなくてもとなるのだがこれがまた性分だから仕方がない。
だから他人様の子供なのに親のつもりでしかりつけたり馬鹿にしたり理屈をぐたぐたと並べてしまう。そして人一倍興奮し神経をすり減らしていく。これが藤榮という会社の中身であります。

 

 

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過去の日記

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